星の光の下で(第8話)
ガルドから事情を聞いた後、長い沈黙が続いた。
アルドは深く目を閉じ、何度も考えるように息を吐いた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「森に魔物が出た」
ガルドがうなずく。
「それも見たことない種類だ」
アルドは目を細め、ルミナを見る。
ルミナは静かに立っていた。
「その娘が倒した」
ルミナは軽くうなずいた。
アルドはため息を吐いた。
「小さな村には、大きすぎる話だ」
キーリの胸がざわつく。
アルドの視線がキーリに向く。
「キーリ。正直に言え」
「はい……」
老人の目は鋭い。
逃げ場のない視線。
「キーリ。何を隠している」
キーリは視線を落とした。
ルミナが心配そうに見つめている。
だが、キーリは覚悟を決めた。
これ以上、嘘はつかない。
「……私」
アルドの目を見て言う。
「村を出ていきます」
部屋が静まり返る。
ガルドが一番驚いた。
「おい! 正気か!」
キーリはうなずいた。
「今日会った森の魔物。また来るかもしれない。今度は、村を襲われてもおかしくはない」
それは本当だった。
ルミナも言っていた。追跡者。狩人。
きっと終わらない。
「私がここにいたら、村が危ない」
アルドは黙っていた。
しばらくしてから、ゆっくりとうなずいた。
「……そうか」
ガルドが立ち上がり、机を揺らすほどの音を立てた。
「待て! キーリはまだ子供だぞ!」
キーリは笑って見せた。
その笑顔は少し震えていた。
「ガルドさん。私、魔法が使えないからって、役立たずって言われていたじゃないですか。でも、今なら、誰かを守れるかもしれない。無力な私でも誰かの役に立てるのなら、やってみたいんです」
ガルドは何も言えなかった。
拳を握りしめ、唇を噛む。
ルミナも静かに言った。
「私も行く」
アルドがルミナを見る。
「理由は?」
ルミナは迷いなく答えた。
「キーリが必要だから──」
そして、キーリを見た。
「星の器」
その言葉を聞いた瞬間、アルドの眉がわずかに動いた。
長い人生の勘が働いたのだろう。
アルドは深く追求しなかった。
「……世界は広い。知らないことを知るにはいい機会だ」
そして、キーリを見つめる。
「気をつけろ」
追い出されたわけでも、引き止められたわけでもない。
ただ、ひとりの人間として道を選んだことを、静かに受け止められた──そんな感覚だった。
胸の奥で、知らない形の痛みと、同じくらい知らない温かさがぶつかり合う。
それが村長の許しだった。
村長の家を出たあと、夜の空気はひどく冷たく感じられた。
村の灯りはほとんど消え、家々の窓から漏れる光もまばらで、風が吹くたびに木壁がきしむ音が響いた。
村全体が、何かを恐れて息を潜めているようだった。
キーリは自分の家の前に立った。
扉に触れると、木の冷たさが指先に伝わる。
押し開けると、軋む音が夜の静けさに溶けていった。
家の中は暗かった。
小さな窓から差し込む月の光が、床に細い光の帯を落としている。
その光の中で、埃がふわりと舞い、ゆっくりと沈んでいく。
この家で過ごした時間が、胸の奥に重く沈んだ。
幼い頃、母と笑った記憶。
魔法が使えないと責められた日々。
ガルドに叱られながらも鍛冶場の火の匂いを嗅ぎに行った夕暮れ。
全部が、静かに、しかし確かに胸を締めつけた。
棚から古い服を取り出す。
布は硬く、ところどころほつれている。
それでも、手に触れると温かかった。
何度も洗って、何度も着て、何度も泣いた服だから。
ガルドにもらったナイフを手に取る。
刃は鈍いが、持ち手には彼の大きな手の跡が残っているように感じられた。
それを鞄に入れると、胸が少しだけ軽くなった。
昨日買った硬いパンを包み、鞄に詰める。
パンの匂いが、妙に現実的で、旅立ちの実感を強めた。
家の中を見渡す。
家具は少なく、壁には何も飾られていない。
生活していたはずなのに、まるで誰かの通り道のように空っぽだった。
──私、こんなに何も持ってなかったんだ。
胸が少し痛む。
けれど、その痛みは不思議と、前に進む力にもなっていた。
外に出ると、夜風が頬を撫でた。
森の匂いと、土の湿った香りが混ざり合い、深く吸い込むと胸が少し震えた。
ルミナは家の前で空を見上げていた。
白い髪が風に揺れ、星の光を受けて淡く輝いている。
まるで夜空の一部が地上に降りてきたようだった。
キーリが隣に立つと、ルミナは振り向いた。
その瞳は、星の光を映して揺れていた。
「本当に行くの?」
ルミナの声は、夜の静けさに溶けるように柔らかかった。
キーリは笑った。
その笑みは少し震えていたが、迷いはなかった。
「もう決めたことだから」
空を見上げる。
星が無数に瞬き、まるで何かを見守っているようだった。
「世界の誰かに連れて行かれるのなら、それはルミナがいいな」
ルミナは少しだけ目を丸くし、そして小さく笑った。
その笑みは、星よりも温かかった。
「変な子」
キーリは肩をすくめる。
「星から落ちてきたルミナにだけは言われたくないよ」
二人は少し笑った。
その笑い声は、夜の静けさに吸い込まれ、どこか遠くへ消えていった。
その時、空の向こうで──
一つの星が、他の星よりも強く輝いた。
まるで二人の旅立ちを祝福するように、夜空を切り裂くような光を放った。
キーリはその光を見つめた。
胸の奥が、静かに、しかし確かに熱を帯びる。
──ここから始まるんだ。
風が二人の間を通り抜け、草が揺れた。
夜の匂いが濃くなり、世界がゆっくりと動き出す。
それはまるで、物語の幕が静かに上がる瞬間のようだった。
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