視線(第7話)
森には、しばらく沈黙が続いた。
風が止まり、虫の声すら消え、世界が一瞬だけ呼吸を忘れたようだった。
さっきまでそこにいた怪物は跡形もなく消え、地面には巨大なクレーターだけが残っている。
白い煙がかすかに立ち上り、焦げた匂いが夜気に混ざって漂った。
村人の一人が、震える声で言った。
「……今の、何だ?」
その声は、森の静寂に吸い込まれ、すぐに消えた。
別の村人がキーリを見る。
松明の炎が揺れ、キーリの影が地面に長く伸びる。
「キーリ……お前……」
十人以上の視線が、キーリに集まった。
恐れ、驚き、戸惑い──そのすべてが混ざり合った目。
キーリは立ち上がったが、胸が重く、喉がひどく乾いていた。
知っている顔ばかりのはずなのに、誰一人として、さっきまでと同じ人には見えなかった。
畑で笑っていた人も、パンを分けてくれた人も、今はまるで知らない誰かのような目をしている。
村という囲いが、音もなく形を変えていくのを、ただ見ていることしかできなかった。
「……私も……わからない」
俯いて言ったその声は、夜の空気に溶けていくように小さかった。
言葉にした途端、胸の奥にあった小さな支えが崩れ落ちた気がした。
自分の声が、誰の耳にも届かずに消えていく。
その静けさが、恐怖よりもずっと冷たかった。
誰もが一歩引いていく中で、ただ一人だけ、前へ出ようとする影があった。
その動きが見えた瞬間、胸の奥に張りつめていた糸が少しだけ緩んだ。
ガルドがゆっくりと立ち上がる。
頭から血が流れ、松明の光で赤く光っている。
だが、その目はしっかりとキーリを捉えていた。その視線だけは、他の誰とも違っていた。
恐れよりも先に、確かめようとする意志がある。
責めるためでも、突き放すためでもなく、ただ「見よう」としている目だった。
「ガルドさん!」
キーリが駆け寄ろうとすると、ガルドは手を上げて制した。
「大丈夫だ」
ふらつきながらも立ち上がり、キーリを見る。
その目は、恐れではなく、確かめるような色だった。
「さっきの光──お前がやったのか?」
森が静まり返る。
松明の炎がパチパチと音を立てるだけ。
キーリは迷っていた。
嘘をつくのか。それとも──
その時、ルミナが一歩前に出た。
星の光を受けた白い髪が揺れ、夜の闇の中で淡く光る。
「違います」
全員の視線がルミナに向く。
ルミナは落ち着いた声で続けた。
「私の魔法です」
キーリは思わず振り向いた。
ルミナは平然としているが、その横顔にはわずかな緊張があった。
ガルドは眉をひそめた。
「お前が?」
「はい」
村人たちがざわつく。
「そんな強い魔法、見たことないぞ」 「旅の魔法使いか?」
ルミナは軽く頭を下げた。
「少しだけ」
完全な嘘だった。
だが、キーリは理解した。
ルミナが自分を守ってくれているのだと。
ガルドは鋭い視線のまま、しばらく考え──そして言った。
「……とりあえず村に戻ろう」
松明を掲げる。
「この場所には、ながくはおれん」
村人たちは頷いた。
皆、疲れ切っていた。恐怖で顔が青い。
こうして一行は、森を後にした。
♢♢♢
森の道は暗く、松明の炎が揺れるたびに木々の影が伸び縮みした。
キーリは歩きながら、何度も後ろを振り返った。
さっきの怪物がまた現れるのではないか──そんな恐怖が、背中に張り付いて離れなかった。
ルミナは隣を歩いていた。
その横顔は静かで、どこか遠くを見ているようだった。
星の光が彼女の髪に降り注ぎ、淡い光の粒が揺れているように見えた。
村の灯りが見えた時、キーリは少しだけ息を吐いた。
だが、その安堵はすぐに胸の重さに変わる。
──この村に、私はもういられない。
その思いが、夜風よりも冷たく胸を刺した。
♢♢♢
ヴェーリス村は、普段なら夜は静まり返っている。
だが今夜は違った。
家々の前に松明が灯され、村人たちが外に出てざわめいていた。
「何があったんだ!」
「森が光っていたぞ!」
「魔物が出たって本当か!」
戻ってきた一行を見て、騒ぎはさらに大きくなる。
松明の炎が揺れ、村人たちの影が地面に踊る。
ガルドが声を張った。
「後で説明する! 他の皆はもう休め!」
その声は、鍛冶屋らしい太さで村中に響いた。
村人たちはしぶしぶ散っていくが、視線は何度もキーリとルミナに向けられた。
ガルドは二人を見て言った。
「お前たちは村長の家に来い」
足が自然と重くなる。
呼び出されたというより、裁きを受けに行くような気分だった。
村長──この村で一番年上の男。
噂はすぐ広がる。逃げ場はない。
ルミナが小さな声で言った。
「顔色悪いけど大丈夫?」
キーリは苦笑した。
「多分……」
だが、内心は違った。
胸の奥がざわつき、足が少し震えていた。
♢♢♢
村長の家は、村の中でも一番古い木の家だった。
扉の前でランプの光が揺れ、木の壁に暖かい色を落としている。
外ではまだ、遠くで人の声がしていた。
けれど、扉の前に立つと、そのざわめきは一枚の板を隔てて別の世界の音になった。
この扉をくぐれば、もう元の場所には戻れない──そんな予感が、指先を冷たくする。
扉が開き、白い髭の老人──村長アルドが姿を見せた。
「中に入りな」
その一歩が、村での最後の夜を決定づけるものになると、キーリはまだ知らなかった。
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