星脈柱(第73話)
ゴゴゴゴゴ……
記録庫の最奥で、巨大な封印扉がゆっくりと開いていく。その動きはまるで、長い眠りから目覚めた巨獣が息を吐くようだった。
隙間から溢れ出す灰色の光は、床を這う霧となり、冷たい指先で足首を撫でるように広がっていく。
結晶棚の光が次々と弱まり、まるで命を奪われていくかのように色を失っていった。
「記録が……!」
リディアの声は震えていた。
彼女の瞳に映る結晶は、灰色に染まり始めている。
大切に守ってきた記録が、触れられただけで壊れてしまいそうな儚さを帯びていた。
「侵食されています!」
オリオンは即座に杖を掲げる。
その動きには迷いがないが、指先はわずかに強張っていた。
青白い魔法陣が広間いっぱいに展開され、光の壁が結晶棚を包み込む。
しかし侵食は止まらない。
ただ、速度だけがわずかに鈍った。
「これ以上は持ちません……!」
額に汗が滲むオリオンの声は、焦りを隠しきれていなかった。
「早く封印区画へ!」
キーリは頷き、胸の奥で高鳴る鼓動を押し込める。
怖い。でも、進まなければならない。
「行こう!」
全員が封印扉へ駆け出す。
扉をくぐった瞬間──空気が変わった。
冷たさと重さが混ざり合い、肺に入るだけで胸が圧迫されるような感覚。
そこは巨大な円形空間だった。床一面に刻まれた星の紋様は、まるで夜空をそのまま地面へ押し付けたように複雑で美しい。
だが、その中心に立つ白い柱──星脈柱は半分以上が灰色に侵食されていた。
ドクン。
ドクン。
柱が脈打つたび、空間全体がわずかに震える。
まるで生きている。いや、苦しんでいる。
「これが封印柱……」
リディアは息を呑む。
その声には、恐れと同時に“見てはいけないものを見てしまった”という感情が混じっていた。
オリオンは苦しそうに頷く。
「星脈柱。施設の心臓です。ここが失われれば、施設は完全に灰化します」
その瞬間──。
ガキン。
柱の表面へ大きな亀裂が走った。
空気が裂けるような音。
「まずい!」
灰色の霧が亀裂から噴き出し、床へ落ちると一つに集まり始める。
形を成す。人の形のように。しかし、それは人ではない。灰色の鎧に覆われた騎士。
兜の奥には闇だけが広がり、右手には長剣、左手には大盾。
『……』
何も喋らない。
それでも全員が理解した。
──敵だ。
「迎え撃て!」
ガルドが飛び出す。
その背中には、仲間を守るという揺るぎない決意があった。
兵士たちも続く。
灰の騎士は静かに剣を振るう。
ブォン。
ただ、それだけ。
「ぐあっ!」
兵士二人が盾ごと吹き飛ばされ、壁へ叩き付けられた。
あまりの衝撃に、空気が悲鳴を上げたように感じられた。
「強い!」
レオンが剣を合わせる。
火花が散る。
重い。
腕が痺れるほどの重さ。レギスほどの技はない。だが純粋な力が桁違いだった。
「ミナ!」
「分かってる!」
ミナが背後へ回り、ナイフを突き立てる。
ガキン。
傷一つ付かない。
「硬すぎ!」
ルミナが光弾を放つ。
光が騎士へ命中し、灰色の霧が少しだけ蒸発した。
「効く!」
「光です!」
リディアが叫ぶ。
「灰化には光属性が有効です!」
キーリは星の剣を構える。
胸の奥で、恐怖と使命感がせめぎ合う。
逃げたい。でも、逃げられない。
騎士が初めてキーリを見る。
ズン。
一歩。また一歩。
その歩みは、獲物を見つけた獣のように迷いがなかった。
「狙いはキーリだ!」
ガルドが割って入る。
騎士の剣を受け止める。
しかし。
ドォン!
ガルドごと吹き飛ばされた。
「隊長!」
「まだだ……!」
ガルドは立ち上がる。
血が口元から流れている。それでも目は死んでいない。
キーリは走る。星の剣を両手で握る。
手が震えている。でも、握り直す。
「ルミナ!」
「任せて!」
光魔法が星の剣へ流れ込む。
刃は黄金から白金色へ変わり、空気が震えた。
その輝きを見たオリオンが目を見開く。
「まさか……その光は……」
キーリは高く跳ぶ。
騎士も剣を振り上げる。
二つの刃が交差する。
「星剣技──」
黄金と白銀の光が渦を巻く。
「天星斬!」
ズバァァァァン!!
閃光が封印区画を包み込む。
灰の騎士の身体へ一本の光線が走る。
次の瞬間。
パリン──
鎧が砕けた。
灰色の霧が光へ溶けていく。
騎士は最後まで一言も発しない。ただキーリを見つめたまま、静かに消えていった。
その跡には、小さな青い結晶が一つだけ残されていた。
キーリが拾い上げる。結晶は優しく輝き、手のひらに温かさを残した。
『第一封印核』
認証鍵が反応した。
『封印核を回収』
『管理権限を更新します』
キーリの腕の紋様がさらに広がる。
星の光が一段と強くなる。
オリオンは安堵の息を吐く。だが、その目にはまだ不安が残っていた。
「封印核が戻ったことで、第一封印は安定します。ですが……残る封印は三つ。そして七矮星も、次は本格的に動くでしょう」
その頃──黒星教団本拠。
黒霧の玉座の前で、シオンが静かに膝をついていた。
その姿は忠誠というより、恐怖と期待が入り混じった奇妙な静けさをまとっていた。
「首座。第三封印は予定通りです」
カインは満足そうに微笑む。その笑みは、誰かの運命を指先で弄ぶ者の余裕に満ちていた。
玉座の横で燃え続ける黒炎。その中から、一人の男が立ち上がる。赤黒い髪。鋭い眼光。全身を包む黒炎。
七矮星第一席──黒炎のラグナ。
彼は静かに剣を抜く。
その動作だけで、玉座の間の空気が灼熱へ変わった。
カインは小さく頷く。
「星の器に、絶望を教えてやれ」
ラグナは何も答えない。
ただ静かに歩き出す。その背中から立ち上る黒炎は、まるで世界そのものを焼き尽くす業火のようだった。
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