次は第一席(第72話)
パチ……
パチ……
静かな拍手だけが、広大な記録庫の空気を震わせていた。
天井は高く、星の欠片を埋め込んだような淡い光が漂っている。無数の結晶棚が整然と並び、どれも冷たい光を放っていた。
その静寂の中を、黒眼のシオンはゆっくりと歩き始める。
その歩みには、一切の揺らぎがない。まるで、ここが自分の家であるかのように。
「止まれ!」
ガルドが剣を向ける。
声は鋭いが、記録庫の広さに吸い込まれていく。
「これ以上近付くな」
「怖い顔をするな」
シオンは肩をすくめた。
その仕草は軽いのに、どこか底知れない。
「私は戦いに来たわけじゃない」
「信用できるか」
レオンが前へ出る。
その足取りは慎重で、床の震えすら探るようだった。
シオンは小さく笑った。
「できないだろうね」
「それが普通だ」
キーリは星の剣を構えたまま動かない。
だが胸の奥で、何かがざわついていた。
レギスとは違う。
この男から感じるのは圧倒的な威圧感ではない。
もっと嫌なものだ。
見透かされている。
心の奥まで覗かれているような感覚。
「……あんた」
キーリが口を開く。
「どうやってここまで入った」
「簡単だよ」
シオンは右目を指差す。
「私は”見る”ことが得意なんだ」
銀色の瞳が淡く光る。
その光は、記録庫の結晶の輝きとは違う。
もっと冷たく、もっと鋭く、もっと“生きている”。
「結界の綻び、魔力の流れ、封印の弱点、全部見える」
リディアの顔色が変わる。
その瞳には、恐怖と理解が同時に宿った。
「だから封印を……」
「壊せた」
シオンはあっさり認めた。
「便利な目だろう」
オリオンが険しい表情になる。
「黒眼……その力まで継承されていたとは」
シオンは少し驚いたように眉を上げた。
「知っているのか」
「星文明にも記録があります」
オリオンは静かに答える。
「万物の綻びを見る異能、ですが、失われたはずでした」
「残念」
シオンは笑う。
「まだ残っていた」
その瞬間、銀色の瞳がキーリへ向けられる。
ゾクリ。
背筋を冷たいものが走る。
空気が一瞬だけ重くなったように感じた。
「なるほど。君の星は……」
シオンは興味深そうに目を細める。
「まだ眠っているのか」
キーリは剣を握り直す。
胸の奥で、星がわずかに震えた。
「何を知ってる」
「色々。でも教えない」
まるで子供のような返事だった。
だがその軽さが、逆に不気味だった。
「意地が悪いだろ」
カイトが舌打ちする。
「性格がな」
シオンは笑顔のまま頷く。
「よく言われる」
だが次の瞬間、笑みが消えた。
記録庫の空気が、ひと呼吸分だけ沈む。
「君たちは勘違いしている」
静かな声だったが、胸の奥に直接響くような重さがあった。
「敵は黒星だと思っている」
「違うのか」
レオンが問い返す。
シオンは首を横に振る。
「黒星は敵であり、敵じゃない」
「何を言ってる」
「今は分からなくていい」
再び笑う。
「その方が面白い」
キーリは苛立ちを覚えた。
胸の奥の星が、怒りに反応して熱を帯びる。
「ふざけるな!」
星の剣を振るう。黄金の斬撃が一直線に走る。
記録庫の空気が裂けるような音が響いた。
しかしシオンは避けない。
斬撃が体を通り抜けた。
「なっ!」
身体が揺らぐ。
蜃気楼のように、そこにあるのに触れられない。
「幻影?」
ミナが驚く。
「半分正解」
声は後ろから聞こえた。
全員が振り向く。
シオンは結晶棚の上へ座っている。
足をぶらぶらさせ、まるで遊んでいる子供のようだ。
「いつの間に!」
カイトが飛び出す。短剣が閃く。
しかし、また空を切る。
「そこじゃない」
今度は右。
「こっちでもない」
左。
「残念」
声だけが移動する。姿は捕まらない。
空気が揺れるたびに、誰もが一瞬だけ“そこにいる”と錯覚する。
リディアが必死に魔力を探る。
「反応が一つじゃありません! 十……二十……」
「全部本物に見える!」
ガルドが低く呟く。
「幻術か」
「違います」
オリオンが首を振る。
「視覚そのものを書き換えられています。見る者全員が騙されている」
シオンは拍手した。
「さすが管理者。正解」
キーリは目を閉じた。
見えないなら。感じる。
レギスと戦った時もそうだった。
星が教えてくれる。胸の鼓動に意識を集中する。
ドクン。
ドクン。
そして、一か所だけ、空気がわずかに揺れた。
「そこだ!」
キーリは迷わず剣を振るう。
ガギィン!!
初めて確かな手応えが返ってきた。
シオンの笑みが少しだけ消える。
彼の手には、細身の黒い短剣が握られていた。
「……驚いた」
シオンは静かに距離を取る。
「もう見つけるか」
キーリも驚いていた。
今のは見えたわけじゃない。星が導いた。
「やっぱり」
シオンは小さく笑う。
「君は面白い」
銀色の瞳が妖しく輝く。
「だからこそ、首座が欲しがる」
その言葉と同時に、記録庫の奥から轟音が響いた。
ドゴォォォン!!!
床が激しく揺れ、結晶棚が震え、光が乱反射する。
空気が重く、灰色の圧力が押し寄せてくる。
オリオンの顔色が変わる。
「第三封印が……! 破られました」
シオンは満足そうに微笑む。
「これで仕事は終わり」
「待て!」
キーリが踏み込む。
しかし、シオンの身体は黒い霧へ溶け始めていた。
消え際、彼は一言だけ残す。
「次は、本物を連れて来る……第一席を」
その言葉だけを残し、黒眼のシオンは完全に姿を消した。
静まり返る記録庫。しかし、その奥では重々しい扉がゆっくりと開き始めていた。
扉の向こうから漏れ出す灰色の光は、先ほどまでとは比べものにならないほど濃く、禍々しかった。
オリオンは震える声で呟く。
「……封印区画が、目を覚まします」
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