広がる灰色(第67話)
「全員、防御!」
ガルドの怒号が観測区画に響き渡る。その声は空気を震わせ、兵士たちの背筋を一斉に正した。
兵士たちは訓練で叩き込まれた動作で盾を構える。金属が擦れる音が連続し、まるで巨大な壁が一瞬で形成されたかのようだった。
レオンはキーリの前へ躍り出る。
その表情は険しく、しかし迷いはない。仲間を守るという意志が、瞳の奥で鋭く光っていた。
ルミナは震える指先で光の魔法陣を展開する。淡い光が円を描き、観測区画の暗がりを押し返すように広がった。
リディアは補助魔法を重ねる。その声はかすかに震えていたが、魔力の流れは乱れない。恐怖を押し殺し、仲間のために集中していた。
それでも──誰も、この一撃を防げるとは思っていなかった。
レギスは静かに槍を振り下ろす。
その動作はあまりにも滑らかで、まるで重力すら彼の意志に従っているかのようだった。
「──黒槍技・天穿」
ブォォォンッ!!
槍が振り抜かれた瞬間、黒い衝撃が一直線に走る。空気が裂け、観測区画全体が一瞬で暗く沈む。
それは斬撃でも魔法でもない。
空間そのものを押し潰すような、理不尽な一撃だった。
「来る!」
キーリは星の剣を両手で握りしめる。
手のひらが汗で滑りそうになるが、力を込めて押さえつけた。
黄金の光が剣から噴き上がる。
限界まで高められた光は、周囲の影を焼き払うほど眩しかった。
「はああああっ!」
真正面から迎え撃つ。
ドゴォォォォン!!
黒と黄金が激突した。
衝撃が観測区画を揺らし、床が波打つように震える。
橋が砕け、壁が軋み、天井から石片が雨のように降り注ぐ。
兵士たちは盾を構えたまま踏ん張るが、足元が滑り、何人かは膝をついた。
「ぐっ……!」
キーリの足が地面へ沈む。
まるで大地そのものが彼を押し潰そうとしているかのようだった。
押される。
あまりにも重い。
星の剣が悲鳴を上げるように震え、黄金の光が不規則に揺らぐ。
「キーリ!」
ミナの叫びが響く。
その声は震えていたが、必死に彼を呼び戻そうとしていた。
「まだだ!」
キーリは歯を食いしばる。
腕が焼けるように痛む、肺が潰れそうだ。それでも、剣を離すわけにはいかなかった。
胸の星が激しく脈打つ。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
星の光が少しずつ強くなる。
その光は、彼の恐怖と覚悟が混ざり合った色だった。
レギスはその様子を見て、目を細める。
「それだ。見せてみろ、星の器の力を」
さらに力を込める。黒い衝撃が黄金を押し込む。
空気が悲鳴を上げるように歪んだ。
その瞬間。
「キーリ!」
ルミナが両手を前へ突き出す。
光が星の剣へ流れ込み、黄金が一気に濃くなる。
「レオン!」
「任せろ!」
レオンがレギスの死角へ飛び込む。足音すら消すほどの鋭い動きだった。
ガルドも同時に踏み込む。
「王国軍! 突撃!」
兵士たちが一斉に前へ出る。
恐怖を押し殺し、仲間の背中を押すように叫びながら。
レギスは視線だけを動かす。
「連携は悪くない」
槍を横へ払う。
ガギィィン!
レオンの剣が弾かれ、火花が散る。
続けてガルドの一撃も受け流され、兵士たちの突撃は一瞬で崩れた。
それでも──
ほんの一瞬。
レギスの力がキーリから逸れた。
「今だ!」
キーリが踏み込む。
足元の石が砕けるほどの勢いだった。
「うおおおおっ!」
黄金の光が爆発する。
星の剣が黒い衝撃を押し返す。
ドォォォン!!
衝撃波が四方へ広がり、観測区画の空気を巻き上げる。
煙が舞い上がり、視界が白く染まった。
やがて土煙が晴れる。レギスはその場に立っていた。
傷一つない。
ただ──黒い外套の肩口だけが、わずかに裂けていた。
レギスはその裂け目を見る。そして、小さく笑った。
「なるほど、届いたか」
キーリは肩で息をしていた。
胸が焼けるように痛む。腕は震え、剣を握るだけで精一杯だった。それでも、立っている。
その事実だけが、彼の誇りだった。
レギスは槍を肩へ担ぐ。
「今日はここまでだ」
「逃げるのか!」
カイトが叫ぶ。
声には怒りよりも恐怖が混ざっていた。
「違う」
レギスは首を振る。
「役目は終わった」
「役目?」
「器を確かめること」
レギスは真っ直ぐキーリを見る。
その瞳は冷たくも、どこか興味を含んでいた。
「まだ未熟。だが──思っていたよりは面白い」
その言葉に敵意はなかった。
まるで師匠が弟子を見定めるような口調だった。
「次に会う時までに強くなれ。そうでなければ」
槍を軽く回す。
「一撃で終わる」
黒い魔力が足元へ広がる。
床が波打つように揺らぎ、空気が黒く染まる。
「待て!」
キーリが一歩踏み出す。その足は震えていたが、迷いはなかった。
しかし──レギスの姿は黒い霧へ溶けるように消えていった。
静寂だけが残る。
ガルドが剣を鞘へ収める。
「……助かった」
「いや」
レオンが首を振る。
「見逃されたんだ」
誰も否定できなかった。
オリオンはレギスが去った方角を見つめる。
その表情は険しく、しかしどこか冷静だった。
「七矮星第四席。噂以上ですね」
リディアが震える声で言う。
「第四席で、あれほど……」
オリオンは静かに頷く。
「ですが。彼は本気ではありませんでした」
その一言で空気が凍る。
「本気じゃ……なかった?」
ミナが目を見開く。
「ええ」
オリオンは球体を見上げた。
灰色に侵食された光が、ゆっくりと脈打っていた。
「彼の目的は戦うことではありません。確認することでした」
キーリは拳を握る。
悔しさが胸を締め付ける。
自分はまだ届かない。
それが痛いほど分かった。
「強くならないと」
小さく呟く。
その声は震えていたが、確かな意志があった。
その時だった。
観測機構の中心部で、灰色に侵食されていた光がわずかに脈打つ。
ドクン──。
オリオンの表情が変わる。
その瞳が一瞬で緊張に染まった。
「……まずい」
「どうした!」
ガルドが振り向く。
オリオンは険しい表情で答えた。
「レギスの襲撃で封印の均衡が崩れました。このままでは、観測機構の最深部が開いてしまいます」
キーリは観測機構の中心を見る。
灰色の光が、ゆっくりと広がり始めていた。
冷たい風が吹き抜ける。
まるで深淵が口を開け、世界を飲み込もうとしているかのようだった。
世界は、また一歩、破滅へ近づこうとしていた。
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