黒槍(第66話)
「キーリ、待て!」
レオンの声が観測区画に鋭く響いた。
空気が震え、緊張が一気に張り詰める。
「挑発に乗るな!」
キーリは振り返らず、一度だけ小さく頷いた。その横顔には迷いがない。
分かっている。真正面から戦えば勝てない。
それでも──退けば仲間が危険にさらされる。
胸の奥が熱くなる。恐怖ではない。覚悟だ。
レギスは槍を肩に担いだまま、まるで彫像のように動かない。その佇まいは静かで、しかし圧倒的な存在感を放っていた。
周囲の空気が彼を中心に沈み込むようだ。
「どうした。来ないのか」
低く、乾いた声。
挑発ではなく、ただ事実を述べているだけのような無機質さ。
「行くさ」
キーリは星の剣を構えた。
剣身がかすかに震え、黄金の光が脈打つ。
その光は、彼の鼓動と同じリズムで揺れていた。
「でも……私は一人じゃない」
その言葉に、レギスの口元がわずかに緩む。
ほんの一瞬、影のような笑み。
「ほう。面白い」
キーリは仲間へ視線を向けた。
皆の顔が見える。
緊張、恐怖、そして──揺るぎない信頼。
「レオン」
「ああ」
「時間を稼いで」
「任せろ」
レオンの目は鋭く、しかしどこか温かい。
背中を預けられる仲間の目だ。
「カイト」
「了解」
カイトは短剣を回しながら笑う。
その笑みは強がりではなく、戦場に立つ者の覚悟そのもの。
「ミナ」
「いつでも!」
ミナは震える手を握りしめながらも、前を向いていた。
恐怖を押し殺し、それでも仲間のために立つ。
「ルミナは私の援護を」
「分かった」
ルミナの光がほのかに揺れ、周囲の闇を押し返す。
彼女の魔力は、仲間の心を照らす灯りのようだった。
「リディアはレギスの動きを見て」
「解析します!」
リディアの瞳は鋭く、まるで獣のように獲物を捉えている。
彼女は恐怖よりも興味が勝っていた。
ガルドは立ち上がり、剣を握り直す。
その動きは重く、しかし迷いがない。
「王国軍も加わる。時間くらいは稼いでみせる」
兵士たちも一斉に武器を構えた。震える者もいる。それでも前へ出る。仲間を守るために。
レギスは静かに頷いた。
「全員で来い。それがお前たちにはお似合いだ」
その言葉は侮蔑ではなく、むしろ称賛に近かった。だからこそ、余計に恐ろしい。
次の瞬間、ガルドが飛び出した。
「前へ!」
兵士たちが一斉に続く。
足音が床を震わせ、観測区画の空気が一気に動く。
左右へ展開し、レギスを包囲する。
槍の穂先が一斉に向けられ、緊張が極限まで高まる。
「はっ!」
兵士の槍が突き出される。
しかし──
ヒュン。
レギスは半歩動いただけだった。
その動きはあまりにも自然で、まるで風が流れただけのよう。
穂先は空を切る。
「遅い」
槍の石突きが兵士の胸を打つ。
ドンッ!
鈍い音とともに兵士が吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられ、崩れ落ちる。
そこへ別方向から二人。
「まだだ!」
レギスは槍を横へ薙ぐ。
ガギィィィン!
二本の剣が同時に弾かれた。
火花が散り、剣を握る手が痺れる。
「力任せじゃない……!」
レオンが目を見開く。
無駄が一切ない。
最小限の動きで、全員をいなしている。
「カイト!」
「おう!」
その隙を突き、カイトが背後へ回る。
短剣が首筋を狙う。
呼吸を殺し、影のように迫る。
「もらっ──」
カンッ!
振り向きもしない。
槍の石突きが正確に短剣を弾いた。
「うそだろ!」
さらに槍の柄が腹へ突き刺さる。
「ぐっ!」
カイトが吹き飛び、ミナが慌てて受け止める。
「平気……じゃねぇ」
苦笑しながら立ち上がる。
その笑みは悔しさと恐怖が混じっていた。
「あいつは化け物だ」
リディアはレギスから目を離さなかった。
瞳が揺れ、しかし興奮している。
「違う……」
「え?」
「見えてます。全部」
「何が?」
「私たちの動きです」
レオンがハッとする。
「先読みしてるのか」
「違います」
リディアは首を振る。
「体重移動。視線。呼吸。全部見て、次の動きを読んでる」
ガルドが歯を食いしばる。
「武人か……!」
レギスは静かに槍を回した。
その動きは美しく、まるで舞のようだった。
「ようやく気付いたか。俺は能力で戦わん。鍛え続けた己の技だけで十分だ」
キーリの背筋を冷たいものが走る。
ゼルは影を操り、ヴァルドは黒星の力を振るった。
だが、この男は違う。黒星の力に頼らない。ただ純粋に強い。だからこそ恐ろしい。
「キーリ!」
ルミナの声が響く。
光が揺れ、空気が震える。
「今!」
キーリは地面を蹴った。
床石が砕け、一直線に距離を詰める。
星の剣が黄金に輝く。その光はまるで夜空を裂く流星のよう。
「はああぁっ!」
レギスも槍を構えた。
黒い魔力が穂先へ集まり、空気が重く沈む。
ガギィィィン!!
剣と槍が激突する。
衝撃波が観測区画を駆け抜けた。床石が砕け、火花が舞う。キーリは歯を食いしばる。
重い。
剣が押し返され、腕が軋む。
「悪くない」
レギスが初めて力を込める。
「だが、まだ軽い」
ズンッ!
槍から凄まじい力が伝わる。
キーリの足元が砕け、体が沈む。
「ぐっ……!」
押される。止まらない。視界が揺れる。
その時。
「キーリ!」
ルミナの光魔法が剣を包む。
温かい光が腕の痛みを押し返す。
「今だ!」
レオンが横から斬り込む。
ガルドも兵士を率いて突撃する。四方から同時攻撃。
空気が裂ける。レギスは初めて一歩だけ後ろへ下がった。
その瞬間、キーリは見た。レギスの口元が、わずかに笑っていたのを。
「それでいい。それがお前たちだ」
次の瞬間──レギスは黒い槍を大きく振りかぶった。
空気が震え、観測区画の壁が軋む。
「下がれ!」
オリオンが叫ぶ。
その声は悲鳴に近かった。
「その技は──!」
黒い魔力が槍へ収束していく。
空気が押し潰されるように重くなる。観測区画そのものが悲鳴を上げるように軋み始める。
レギスは静かに名を告げた。
「黒槍技──」
その一撃が放たれようとした瞬間だった。
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