侵入者(第60話)
老人が灰となって消えてから、しばらく誰も口を開かなかった。
集会所には、まるで空気そのものが重く沈んだような静寂が残っていた。
誰もが息を潜め、灰の散った床を見つめている。
木造の壁がきしむ音さえ、異様に大きく響いた。
ガルドがゆっくり立ち上がった。
その動作は、静寂を破るというより、静寂に押し返されながら立ち上がるようだった。
「……埋葬はできんな」
低く響く声に、兵士たちは灰を見つめたまま小さく頷く。
灰は風もないのに、まるで呼吸するように微かに揺れていた。
リディアは膝をつき、灰へそっと手を伸ばす。
指先が触れた瞬間、彼女の肩がわずかに震えた。
「どうだ」
レオンが声を潜めて尋ねる。
「やっぱり分かりません」
リディアは静かに首を振った。
その瞳には、理解できないものを前にした魔術師特有の恐れと興奮が入り混じっている。
「魔法でもありません。呪いでもない。生命そのものが別の何かへ変質したような……そんな反応です」
「黒星……」
キーリが呟く。
その言葉は、集会所の空気をさらに冷たくした。
「それとも、もっと別の何かか」
ルミナは灰を見つめたまま言った。
彼女の瞳は、灰の奥に何かを探しているようだった。
「黒星とも少し違うわね」
「違う?」
「黒星は壊れた星。でもこれは……」
ルミナは少し考え込み、指先で灰の輪郭をなぞる。
触れているはずなのに、何も触れていないような感覚が伝わってくる。
「うまく言えない。冷たくて、何も感じない」
キーリはルグナ遺跡を思い出していた。
あの時感じた黒星は違った。禍々しく、怒りや憎しみが渦巻いていた。
世界を壊そうとする意思が、触れた瞬間に皮膚へ突き刺さるようだった。
しかし、この灰からは何も感じない。
まるで命だけが切り取られてしまったような、不自然な静けさだけが残っている。
胸の奥がざわつく。
嫌な予感が、ゆっくりと形を持ち始めていた。
「行こう」
ガルドが口を開いた。
「ここにいても答えは出ん」
誰も反論しなかった。
一行は重い足取りで集会所を後にした。
◇◇◇
村を抜けると、森はさらに様子を変えていく。
緑だった葉は灰色へ変わり始め、風に揺れるたびに色のない影が揺れた。
草花も色を失い、まるで世界から彩度が奪われていくようだった。
「これ……」
ミナが一本の花を摘み上げる。
花びらは灰色だが、枯れてはいない。
ただ、生きているのに死んでいるような、奇妙な存在感があった。
「まだ生きています」
リディアが花へ魔力を流す。
その瞬間、花が微かに震えた。
「でも、生命力が極端に弱い」
「病気なのかな」
ミナが不安そうに花を見つめる。
「違います」
リディアは困ったように眉を寄せた。
「生命力を吸われたような状態です」
その言葉に、キーリは無意識に北を見る。
灰色の光柱。あれが原因なのか。
胸の奥で、星が小さく脈打った。
歩き続けて一時間ほど。突然、木々が途切れた。
「……っ」
全員が息を呑む。
目の前には巨大な建造物が広がっていた。
山を切り開いて造られた円形の施設。
幾重にも重なる石壁は、時の流れに削られながらも威厳を保ち、天へ伸びる白い塔は雲を突き刺すようにそびえている。
その周囲には、星を模した巨大な環状建造物が浮かぶように組み込まれていた。
崩れている部分も多い。
それでも、圧倒されるほど美しかった。
「これが……」
リディアの目が輝く。
学者としての本能が、抑えきれず溢れ出していた。
「北天観測区画」
「遺跡っていう規模じゃねぇぞ……」
カイトが口を開けたまま見上げる。
「一つの都市だ」
レオンも感嘆の声を漏らす。
その声には、恐れと期待が入り混じっていた。
キーリの胸が熱くなる。
ドクン。
認証鍵が青白く光った。
同時に、腕の紋様も淡く輝き始める。
胸の奥で星が反応し、何かが目覚めるような感覚が走った。
「また反応した」
キーリは認証鍵を見つめる。
すると、施設の正面に刻まれた古代文字が、一斉に光り始めた。
「文字が……」
リディアが驚く。
「読めるか」
レオンが尋ねる。
キーリはゆっくり文字を追った。
『正面ゲート』
『緊急封鎖中』
『管理権限を確認できません』
さらに別の文字が浮かび上がる。
『侵入者を排除します』
その瞬間。
ゴゴゴゴゴ……
地面が震えた。
巨大な正門の両脇から、何かが動き始める。
石壁の奥で、長い眠りから覚めた巨人が軋むような音が響いた。
「下がれ!」
ガルドが叫ぶ。
兵士たちが武器を構え、緊張が一気に張り詰める。
石壁の中から、人型の巨大な影がせり上がってくる。
その姿は、古代の守護者そのものだった。
「防衛兵か……!」
リディアが息を呑む。
その声は震えていた。
だが、その時。
「だめ」
少女がキーリの袖を掴んだ。
その手は小さいのに、驚くほど強く震えていた。
「正面は嫌」
「どうして?」
「分からない」
少女は首を振る。
瞳は恐怖ではなく、もっと深い“拒絶”を宿していた。
「でも、ここじゃない。入ったら戻れない」
全員が少女を見る。
ガルドは少し考え込む。
「リディア。結界は見えるか」
リディアは魔力を集中させる。
そして、顔色が変わった。
「あります。施設全体を覆う結界です。しかも正門だけ異常に強い」
「突破できるか?」
「無理です」
即答だった。
その声には、魔術師としての確信があった。
ガルドはキーリへ目を向ける。
「どう思う」
キーリは認証鍵を見つめる。
胸の奥で星が脈打つ。
そして、不思議な感覚が流れ込んできた。
「……西だ」
「え?」
「西側に搬入口がある」
「そんなことまで分かるの?」
ミナが驚く。
「いや……」
キーリ自身も困惑していた。
「鍵が教えてくれてるみたいなんだ」
ルミナは静かに頷いた。
「なら行こう。星は嘘をつかない」
ガルドも決断する。
「全員、西側へ回る。正面突破は中止だ」
一行は観測区画の外壁沿いに歩き始めた。
足音が石壁に反響し、古代都市の静寂に吸い込まれていく。
誰も気付いていなかった。
遥か高くそびえる白い塔の最上部。
割れた窓の奥で、誰かが静かにキーリたちを見下ろしていたことに。
その視線は敵意でも殺意でもない。
まるで、何千年もの時を待ち続けた者が、ようやく“約束の相手”を見つけたような眼差しだった。
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