老人(第59話)
ルグナ遺跡での戦いから半日。暴走した星装置は停止した。だが、北の空へ伸びた灰色の光は消えていない。
細く、淡く。まるで世界の果てへ続く一本の柱のように、今も空へ溶け込んでいた。その光は、森の影を切り裂くように静かに輝き、一行の進むべき道を示しているようだった。
先頭を進むのはガルド率いる王国軍。その後ろをキーリたちが続く。
森は深く、木々は空を覆い隠すほどに生い茂っている。それなのに、不気味なほど静かだった。風が枝葉を揺らす音すら弱々しく、まるで森そのものが息を潜めているようだった。
「……静かだな」
レオンが周囲を見回す。
その声は、沈黙に吸い込まれるように小さく響いた。
「鳥の鳴き声もしねぇ」
カイトも辺りを見渡す。
彼の眉間には、いつもの軽口とは違う緊張が刻まれていた。
「魔物の気配もありません」
リディアは目を閉じ、魔力の流れを探っていた。
森の奥へ意識を伸ばすほど、胸の奥に冷たいものが広がっていく。やがて、小さく首を振る。
「この森には生命の反応がほとんどありません」
「ほとんど?」
ミナが首を傾げる。
その声には、恐怖よりも理解できないことへの戸惑いが混じっていた。
「植物は生きています。でも、それ以外がいないんです」
「妙だな」
ガルドは歩みを止めなかった。
だが、その背中にはわずかな緊張が走っている。
「警戒を強めろ」
「はっ」
兵士たちが隊列を広げる。
その時だった、前方から一人の兵士が駆けてくる。息が荒く、鎧の金具が小さく鳴った。
「隊長」
「どうした」
「先行していた斥候隊より報告です」
兵士は敬礼すると続けた。
「消失村へ到着しました」
「生存者は無事か」
「はい。集会所で保護しています」
「他は」
「村人は見当たりません」
ガルドは静かに頷いた。
その表情は変わらないが、わずかに拳が強く握られていた。
「案内しろ」
「了解」
兵士を先頭に、一行は村へ向かった。
◇◇◇
森を抜けると、小さな村が姿を現した。
木造の家々。畑。井戸。煙突。石畳の広場。
人が暮らしていた形跡は残っている。だが、人の姿だけがなかった。
風が吹くと、干されている洗濯物だけが静かに揺れていた。
その揺れは、まるで住人の不在を訴えるように寂しげだった。
「本当に誰もいない……」
ミナが呟く。
その声は震えてはいないが、胸の奥に冷たいものが広がっていくのを自覚していた。
「争った跡もないな」
レオンが家々を見回す。
扉は開いたまま、家具も食器もそのまま。まるで住人だけが一瞬で消えたようだった。
その異様さに、レオンの背筋がわずかに粟立つ。
「こちらです」
兵士が集会所の扉を開ける。
集会所の中は薄暗かった。木の壁は冷たく、空気は重い。毛布を掛けられた一人の老人が、壁にもたれて座っている。
数人の兵士が付き添っていたが、その表情にはどうしようもない困惑が滲んでいた。
「隊長」
「様子は」
「意識はあります。ただ……」
兵士は困ったように老人を見る。
「ほとんど話しません」
ガルドは老人の前へ膝をついた。
「私は王国軍指揮官ガルドだ」
「聞こえるか」
老人はゆっくり顔を上げる。
濁った瞳が一人ずつ見回した。
その瞳は、恐怖と疲労と、言葉にできない何かで濁っていた。
そして、キーリを見た瞬間、その瞳が大きく開いた。
「……星の器」
部屋の空気が変わる。
キーリの胸がわずかに跳ねた。自分が呼ばれた理由を知らないまま、ただ老人の視線の重さだけが心に刺さる。
「私を知ってるの?」
キーリは老人へ近付く。
老人は震える手を伸ばした。
その指先は、何かを掴もうとしているのに、もう力が残っていない。
「ようやく……来た」
「何があったの?」
「村の人たちは」
老人は何度も息を吸いながら答える。
「連れていかれた」
「誰に」
「分からない」
かすれた声だった。
その声は、恐怖を思い出すたびに喉が締め付けられているようだった。
「黒い霧が……村を覆った」
キーリたちは顔を見合わせる。
黒い霧。身に覚えがあった。
黒星教団か、それとも別の何かか。
「そのあと」
老人は北を見た。
壁の向こう、まるで、その先を見ているようだった。
その視線は、恐怖と絶望で固まっていた。
「門が開く」
その言葉に、ルミナの表情がわずかに変わる。
胸の奥で何かが冷たく鳴った。
「門……」
「空が裂ける。灰色の光が降りてくる」
リディアが手帳を取り出す。
だが、手がわずかに震えていた。
「その門はどこに」
老人は震える指で北を指差した。
「北天観測区画」
「私は……見た。空を見上げた。そこには……」
言葉が止まる。
老人の呼吸が乱れ始めた。胸が上下し、目が見開かれ、恐怖が再び蘇っている。
「大丈夫か」
ガルドが肩を支える。
その瞬間だった。
老人の胸元から、灰色の光が漏れ始める。
「っ!」
リディアが駆け寄る。
「魔法陣展開!」
淡い光が老人を包む。
しかし。
「違う……」
リディアの顔色が変わった。
「これは魔法じゃない」
「呪いでもない」
「生命そのものが……」
老人の腕がゆっくり灰へ変わっていく。
サラ……。
皮膚が崩れる。
骨まで灰色に染まっていく。
「離れて」
ルミナが叫んで、全員が一歩下がる。
キーリはただ見つめることしかできなかった。
自分の力では救えない現象が、目の前で起きている。
老人は最後の力を振り絞るようにキーリを見つめた。
「器よ。止めろ。今度こそ……世界を」
その言葉を最後に、老人の身体は音もなく崩れ落ちた。
灰だけが床に残る。
部屋は静まり返った。
誰一人、言葉を発することができない。
その灰の中で、一枚の金属板だけが鈍く光っていた。
キーリはそれをゆっくり拾い上げる。
そこには古代文字が刻まれている。
触れた瞬間、文字が青白く輝いた。
『北天観測区画』
『第二管理層 認証鍵』
「読めるのか」
レオンが尋ねる。
「うん」
キーリは頷く。
胸の奥がざわつく。これは偶然ではない。自分がここへ来た理由が、少しずつ形を持ち始めている。
「これは認証鍵みたい」
リディアが息を呑む。
「認証鍵……つまりこの先の施設へ入るための鍵ということですか」
キーリが金属板を握りしめる。
その瞬間だった。
ドクン──。
胸の奥で星が脈打つ。
腕に刻まれた紋様が淡く光る。まるで認証鍵に呼応するように。
そして遥か北。
森の向こうにそびえる巨大な塔の頂で、灰色の光が再び静かに揺らめいた。
それはまるで──キーリたちを待っているかのようだった。
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