第三の星(第57話)
「……久しぶり?」
その一言は、風のない空気にぽつりと落ちた。
ミナがぽかんと口を開く。まるで、目の前の少女が突然別の世界から現れたかのように。
「え、知り合い?」
ルミナは答えない。
普段なら即座に返すはずの彼女が、まるで時間が止まったように固まっていた。
瞳は少女を見ているのに、焦点が合っていない。記憶の底を探るような、そんな沈んだ目。
少女は首を傾げる。
その仕草は無邪気で、しかしどこか“人間らしさ”が薄い。
「違った?」
「……」
キーリが呼ぶ。
「ルミナ」
その声でようやく、ルミナの意識が現実へ戻ってきた。
数秒後、彼女はかすれた声で答えた。
「違う……」
少女が少し困った顔をする。
その表情は、まるで「どうして分からないの?」と問いかけているようだった。
「そう?」
「私はあなたを知らないわ」
即答。
だがキーリは気づいていた。長い付き合いだからこそ分かる。
ルミナは──震えている。
表情には出していないが、肩の力がわずかに抜け、指先が微かに揺れていた。
少女は残念そうに俯いた。
その姿は、迷子の子供のようであり、同時に底知れない何かを孕んでいた。
「そっか」
「……お前は誰なんだ?」
レオンが改めて聞く。
少女は空を見上げるように少し考え、そして静かに言った。
「分からない」
全員が頭を抱えそうになった。
「名前は?」
「忘れた」
「どこから来た?」
「分からない」
「家族は?」
「覚えてない」
「完璧だな……」
カイトが遠い目をする。
「ここまで情報ゼロなの初めて見たぞ」
しかしリディアだけは真剣だった。
少女の首元──そこに刻まれた紋様を凝視している。
その目は、学者としての冷静さと、恐怖の予感が混じっていた。
「その刻印……」
「これ?」
少女が指で触れる。
触れた瞬間、刻印が淡く光ったように見えた。誰も声に出さなかったが、全員が息を呑んだ。
「うん」
「生まれた時からある」
リディアの顔色が変わる。
血の気が引くというより、何か“確信”に近いものが胸を締めつけたような表情。
「生まれた時から……?」
星の文明文字の刻印。
しかも自然発生──そんなことはありえない。
「リディア?」
キーリが聞く。
「文献があるの」
リディアは低い声で言った。
その声は震えていた。恐怖ではなく、真実に触れた者の震え。
「星文明末期に記された記録」
全員が耳を傾ける。
風が止まり、空気が重く沈む。
「そこには、“刻まれた子供たち”という記述があった」
「刻まれた子供?」
ミナが聞き返す。
「詳細は不明。でも生体へ直接星の文明文字を埋め込む研究があったらしい」
空気がさらに重くなる。
少女はその重さに気づいていない。まるで自分の話ではないかのように、ただ静かに聞いている。
「人体実験ってことか?」
レオンが眉をひそめる。
「記録上は分からない」
リディアは首を振る。
「ただ、その研究資料は全部消失している」
少女は不思議そうに聞いていた。
その瞳は澄んでいて、恐怖も不安もない。ただ“知らない”という純粋さだけがあった。
そのとき。
ドクン。
キーリの胸が反応した。
星が脈打つ。少女を見た瞬間だけ、確かに胸の奥が震えた。
「……!」
冷たい汗が背中を伝う。
「キーリ?」
ミナが気づく。
「いや……」
言葉を濁す。だがルミナは見逃さなかった。
彼女の瞳が鋭くキーリを射抜く。
「反応した?」
キーリは頷く。
「少しだけ」
ルミナの目が細くなり、少女を見る。
その視線は、まるで“答え合わせ”をするようだった。
「やっぱり」
小さく呟く。
「何がだよ」
カイトが聞く。
しかしルミナは答えない。代わりに少女へ尋ねる。
「夢を見る?」
少女が頷く。
「見る」
「どんな夢」
少女は少し考えた。
その間、風がひゅうと吹き抜け、草がざわめく。
まるで世界が答えを待っているようだった。
そして。
「灰色の光」
キーリが固まった。
全身に鳥肌が立つ。
胸の奥で、星が再び脈打つ。
「……何?」
少女は続ける。
「ずっと呼んでる」
誰も声を出せない。
ルミナですら沈黙した。彼女の手がわずかに震えている。
「待って」
キーリが前へ出る。
足が勝手に動いた。少女の言葉に引き寄せられるように。
「灰色の光のこと知ってるの?」
少女は頷く。
その頷きは、まるで「そんなの当たり前でしょ」と言っているようだった。
「うん」
「灰色の光は何なの?」
少女は首を傾げた。
その仕草は無邪気なのに、背筋が冷える。
「みんな知らないの?」
嫌な予感がした。
胸の奥で何かが軋む。
だが少女は続ける。誰も止められない。
「灰色は灰色だよ」
「いや、そうじゃなくて」
カイトが突っ込む。
「説明になってねぇ!」
少女は困った顔になる。
本当に分からないらしい。
だが、次の言葉だけは全員を黙らせた。
「だって」
少女が空を見上げる。
その瞳は、遠い遠い場所を見ていた。
「もうすぐ起きるから」
風が吹いた。妙に冷たい風。
空の色がわずかに灰を帯びたように見えた。
「……何が」
レオンが低く聞く。
少女は答える。まるで当たり前の事実を言うように。
「第三の星」
その瞬間、ルミナの顔色が変わった。
キーリも。リディアも。全員が息を呑んだ。
第三の星。
そんな言葉、今まで一度も出てきていない。
だが──その響きだけで理解できた。
それは、星でもない、黒星でもない、何かだ。
そして、少女が現れた本当の理由もそこにある気がした。
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