崩壊と黒星(第48話)
崩壊は、ゆっくりと、しかし確実に始まった。
天井の亀裂から落ちる砂は、まるで時を刻む砂時計のように絶え間なく降り続け、壁の紋様は色を失い、古い絵画が朽ちていくようにひび割れを広げていく。
空気そのものが弱っていくような、乾いた匂いが鼻を刺した。
「……ここ、長く持たねぇな」
カイトが立ち上がると、足元の石がわずかに沈み、低い音を響かせた。
「装置の中枢が壊れた影響ね」
リディアは崩れゆく天井を見上げ、眉を寄せる。
光の筋が揺れ、埃が舞い、視界が薄く霞んだ。
「エネルギーの支えが消えてる」
「脱出だ」
レオンの声は、崩落の音に負けないほど鋭く響いた。
振り返ると、来た道は半分崩れ、黒で塞がれていた箇所は消えているものの、瓦礫が山のように積み上がっていた。
そこから吹き込む風は冷たく、もう戻れないことを告げていた。
「別ルートを探す」
レオンが前方を指す。
「リディア、出口の気配は?」
「……微弱だけど、風の流れがある。多分あっち」
右の通路を示す指先は、わずかに震えていた。
「よし、移動!」
全員が駆け出す。
足音が崩れかけた床に反響し、遠くで石が落ちる音が連続して響く。
ミナがキーリの横に並ぶ。
「ねえ、さっきの……大丈夫?」
「……うん。なんとか」
キーリは短く答えたが、視線は自然と足元へ落ちた。
さっき見た“欠片”。
もう、そこにはない。
──気のせい、か?
そう思おうとするほど、胸の奥がざわついた。
冷たい指先で心臓を撫でられたような、不快な震え。
「キーリ」
ルミナが横から声をかける。
「ん?」
「さっきの選択。覚えておいて」
淡々とした声。
しかし、その奥にある緊張は隠せていなかった。
「揺らぐ時が来る」
「……縁起でもないね」
「事実。飲み込まれないで」
その言葉は、キーリの胸のざわつきと同じ場所に沈んだ。
前方で爆音が響く。
ドォンッ!!!
「チッ、崩落か!」
天井が落ち、通路が塞がれる。
砂煙が視界を奪い、肺にざらついた空気が入り込む。
「回り込む!」
レオンが進路を変えた瞬間──
ズズッ……
床が沈む。
「うわっ!?」
ミナが足を取られ、身体が傾く。
「全員、止まれ!!!」
レオンの叫びが空気を裂く。
床の一部が黒く染まっていた。
薄いが、確実に蠢いている。
「……残ってる」
リディアが息を呑む。
「黒星の残滓……!」
黒は、まるで生き物のようにゆっくりと形を変え、床を舐めるように広がっていた。
「完全には消えてないのかよ……」
カイトが顔をしかめる。
ドクン。
キーリの胸が、微かに反応した。
心臓ではない、もっと深い場所が震える。
「……やっぱり、ある」
「何が?」
レオンが振り向く。
キーリは黒を見つめたまま言う。
「“核”が、残ってる」
その瞬間、黒が跳ねた。
「来る!!!」
細い槍のような黒が床から突き上がる。
「散れ!!!」
全員が左右に跳ぶ。
槍が壁を貫き、石片が雨のように降り注ぐ。
「まだ動くのかよ!」
「小さいけど、性質は同じ……!」
「放っておくと、また増えるわ!」
黒が集まり始める。
床の残滓が吸い寄せられ、中心へと収束していく。
「……マズい」
キーリの声は、どこか震えていた。
「また、“種”になる」
「冗談だろ!?」
ミナが顔を引きつらせる。
「この規模でもかよ!」
「時間を与えたら、ね」
ルミナの声は冷静だが、指先は緊張で強く握られていた。
「だから──今のうちに潰す」
レオンが頷く。
「やるぞ。さっきと同じだ」
「オーケー、短期決戦だな!」
カイトが笑うが、キーリは首を振る。
「いや……違う」
「何?」
キーリは前に出る。
黒の中心に吸い寄せられるように。
「これは、私がやる」
黒は小さな球体になりつつあった。
だが、その濃さは先ほどよりも深い。
まるで“意思”を持っているように。
「キーリ、一人で行く気か?」
「……うん」
短い言葉。
しかし、その声には迷いと決意が同居していた。
「さっきので分かった。これは……“触れる距離”でやらないとダメだって」
ミナが不安そうに言う。
「でも、危ないよ……!」
「分かってる」
キーリは笑った。ほんの少しだけ。
その笑みは、恐怖を押し隠すための薄い膜のようだった。
「だから、近くにいて──みんな」
ミナが強く頷く。
ルミナが一歩前へ。
「魔法で援護するわ」
レオンも剣を構える。
「フォローする。だが、無茶はするな」
「分かってる」
カイトが肩を回す。
「ったく、最後まで楽させてくれねぇな」
リディアは息を整え、黒の波動を追う。
黒は完全な球体になった。
小さな“種”。
しかし、そこから溢れる気配は、まるで深い井戸の底を覗き込んだような寒さだった。
ドクン。
「……行く」
キーリが踏み出すと、黒も同じように脈打った。
針のような攻撃が無数に飛ぶ。
レオンが弾き、ミナが斬り、カイトが蹴り、ルミナの光が空間を焼く。
仲間が道を開く。
「今!!!」
キーリが飛び込む。
目の前に、“小さな黒星”。
「……終わらせる」
剣を構えた瞬間──
ドクン。
黒が囁いた。
──お前も、同じだ
「……は?」
意識が揺れる。
足元が沈むような感覚。
──力を使っている
──奪っている
「違う……」
──与えるフリをしているだけだ
「違う!!!」
叫びは自分でも驚くほど大きかった。
黒が、笑った気がした。
「……黙れ」
剣に光を集める。
だが、心の奥にわずかな迷いが生まれた。
その瞬間──黒が跳ねる。
「キーリ!!!」
間に合わない。
黒がキーリの腕に触れた。
冷たい何かが皮膚を滑り、血管を逆流するように侵入してくる。
「ッ……!!!」
視界が黒く染まりかける。
世界が沈む。
「キーリ!!!」
ミナの声が遠い。
「離れろ!!!」
レオンの叫び。
ルミナの光が炸裂する。
パァン!!!
黒が弾け、キーリは後ろに吹き飛ばされた。
地面に転がり、息が詰まる。
腕を見ると──黒く染まりかけていた。
「……侵食……!」
リディアが青ざめる。
ルミナがすぐに手をかざし、光で黒を焼く。
「動かないで」
ジリジリと黒が剥がれ落ちる。
痛みは鋭いが、どこか心の奥にも同じ痛みが走った。
「……ッ、ありがとう……」
だが、完全には消えない。
薄く、黒が残った。
「……残った」
ルミナが呟く。
キーリはその黒い痕を見つめる。
まるで自分の中の“影”を見せつけられているようだった。
「……これも、“選択”なの」
小さく笑う。
その笑みは、震えていた。
だが目は前を向く。まだ、“種”は残っている。
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