黒の残滓(第47話)
崩壊は、ゆっくりと、しかし確実に始まった。
天井の亀裂から落ちる砂は、まるで古い砂時計が最後の一粒をこぼすように静かで、逆に不気味だった。壁に刻まれた紋様は色を失い、皮膚のように乾き、ひび割れていく。
空気そのものが弱っていくような、そんな感覚。
「……ここ、長く持たねぇな」
カイトが立ち上がる。足元の石がミシ、と嫌な音を立てた。
「装置の中枢が壊れた影響ね」
リディアが周囲を見回す。
彼女の瞳に映る光は揺れ、崩壊の振動に合わせて震えていた。
「エネルギーの支えが消えてる」
「脱出だ」
レオンの声は短く鋭い。
だがその背中には、仲間を守るための焦りが薄く滲んでいた。
振り返ると、来た道は半分崩れていた。
黒で塞がれていた箇所は消えているが、代わりに瓦礫が積み上がり、まるで「戻るな」と言われているようだった。
「別ルートを探す」
レオンが前を指す。
「リディア、出口の気配は?」
「……微弱だけど、風の流れがある。多分あっち」
右の通路を示す指先が、わずかに震えている。
「よし、移動!」
全員が駆け出す。
走りながら、ミナがキーリの横に並ぶ。
息が荒いのに、彼女の瞳だけは心配で揺れていた。
「ねえ、さっきの……大丈夫?」
「……うん。なんとか」
キーリは短く答える。
だが視線は足元へ落ちる。
さっき見た“欠片”。
もう、そこにはない。
……気のせい、か?
そう思おうとするほど、胸の奥がざわついた。
心臓の鼓動が、普段よりわずかに重い。
「キーリ」
横からルミナの声。
「ん?」
「さっきの選択。覚えておいて」
淡々とした声。
だがその奥に、冷たい緊張が潜んでいた。
「揺らぐ時が来る」
「……縁起でもないね」
「事実。飲み込まれないで」
それ以上は言わない。
言葉の余白が、逆に不安を増幅させた。
前方で爆音。
ドォンッ!!!
「チッ、崩落か!」
天井が落ち、通路が塞がれる。
粉塵が舞い、視界が白く濁る。
「回り込む!」
レオンが進路を変えた瞬間──
ズズッ……
床が沈む。
「うわっ!?」
ミナが足を取られる。
「全員、止まれ!!!」
レオンの叫びが響く。
床の一部が、黒く染まっていた。
薄い。だが、確実に“動いている”。
「……残ってる」
リディアが息を呑む。
「黒星の残滓……!」
黒は、まるで呼吸するように脈動していた。
「完全には消えてないのかよ……」
カイトが顔をしかめる。
ドクン。
キーリの胸が、微かに反応する。
まるで内側から呼ばれたように。
「……やっぱり、ある」
「何が?」
レオンが振り向く。
キーリは床の黒を見つめたまま言う。
「“核”が、残ってる」
その瞬間、黒が跳ねた。
「来る!!!」
細い槍のような黒が、床から突き上がる。
「散れ!!!」
レオンの号令で全員が左右に跳ぶ。
ザンッ!!!
槍が壁を貫き、石片が飛び散る。
「まだ動くのかよ!」
「小さいけど、性質は同じ……!」
リディアの声が震える。
「放っておくと、また増えるわ!」
黒が集まり始める。
床の残滓が吸い寄せられ、中心へと凝縮していく。
「……マズい」
キーリが呟く。
「また、“種”になる」
「冗談だろ!?」
ミナの顔が引きつる。
「この規模でもかよ!」
「時間を与えたら、ね」
ルミナの声は冷静だが、眉間には深い皺が寄っていた。
「だから──今のうちに潰す」
レオンが頷く。
「やるぞ。さっきと同じだ」
「オーケー、短期決戦だな!」
カイトが笑う。
だがキーリは首を振った。
「いや……違う」
「何?」
リディアが見る。
キーリは前に出る。
黒の脈動が、彼女の鼓動と同期するように強まった。
「これは、私がやる」
黒は小さな球体になりつつあった。
だが濃度は先ほどより濃い。
まるで“意志”を持っているかのように。
「キーリ、一人で行く気か?」
「……うん」
短いが、揺らぎのない声。
「さっきので分かった。これは……“触れる距離”でやらないとダメだって」
ミナが不安そうに言う。
「でも、危ないよ……!」
「分かってる」
キーリは笑う。
ほんの少しだけ。
その笑みは、仲間を安心させるためのものだった。
「だから、近くにいて──みんな」
その言葉に、ミナは強く頷く。
「うん!」
ルミナが一歩前へ。
「魔法で援護するわ」
レオンも剣を構える。
「フォローする。だが、無茶はするな」
「分かってる」
カイトが肩を回す。
「ったく、最後まで楽させてくれねぇな」
リディアは息を整える。
「波動、追う。変化は全部伝える!」
黒が完全な球体になった。
小さな“種”。
だが、そこに宿る悪意は濃密だった。
ドクン。
「……行く」
キーリが踏み出すと、黒も反応する。
針のような攻撃が無数に飛ぶ。
「キーリ!!!」
ガキィン!!!
レオンが弾く。
ザシュッ!!!
ミナが斬る。
ドンッ!!!
カイトが蹴り飛ばす。
ルミナの光が空間を焼き、道が開く。
「今!!!」
キーリが飛び込む。
目の前に、“小さな黒星”。
「……終わらせる」
剣を構えた瞬間──
ドクン。
黒が囁いた。
──お前も、同じだ
「……は?」
意識が揺れる。
足元がふらつく。
──力を使っている
──奪っている
「違う……」
──与えるフリをしているだけだ
「違う!!!」
キーリが叫ぶ。
黒が、笑った気がした。
「……黙れ」
剣に光を集める。
だが、心の奥にわずかな迷いが混じる。
その瞬間──黒が跳ねた。
「キーリ!!!」
間に合わない。
黒がキーリの腕に触れる。
ゾワッ、と冷たい何かが侵入する。
「ッ……!!!」
視界が黒く染まりかける。
心臓が、別の何かに握られたように痛む。
「キーリ!!!」
ミナの声。
「離れろ!!!」
レオンの叫び。
ルミナの光が炸裂する。
パァン!!!
黒が弾け、キーリは後ろに吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
地面に転がる。
腕を見ると、黒が染み込むように広がっていた。
「……侵食……!」
リディアが青ざめる。
ルミナがすぐに手をかざす。
光が腕を包み、ジリジリと黒を焼く。
「……ッ、ありがとう……」
キーリが息を吐く。
だが、完全には消えない。
薄く、黒い痕が残っていた。
「……残った」
ルミナが呟く。
キーリはその腕を見つめる。
黒い痕が、まるで“選ばされた証”のように見えた。
「……これも、“選択”なの」
小さく笑う。
だがその目は、前を向いていた。
まだ、“種”は残っている。
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