一歩前進(第35話)
星塔の地下。
戦いの余韻は、まだ石造りの空間に濃く残っていた。
冷えた床には黒星教団の兵士たちが倒れ伏し、鎧の継ぎ目から漏れた血が石の溝に沿って細く流れている。王国軍の兵士たちは無言でその身体を運び出し、崩れた瓦礫を片付けていた。鉄の匂い、焦げた魔力の残り香、湿った石の匂い──それらが重なり、地下の空気は息を吸うだけで胸が重くなるほど濃密だった。
星装置は沈黙していた。
つい先ほどまで青白い光を放ち、空間を震わせていたはずの装置は、今はただの冷たい石の塊のように見える。キーリはその前に立ち、胸に手を当てた。胸の星は静かで、深い湖の底に沈んだ光のように穏やかだった。
リディアは装置の側にしゃがみ込み、表面のひび割れを指でなぞる。指先に触れた石は冷たく、まるで長い眠りに戻ったかのようだった。
「暴走はしてないな。よかった」
ミナが胸を撫で下ろし、肩の力を抜く。
「よかった〜。キーリに何かあったらどうしようかと思ったよ」
カイトは壁にもたれ、ゆっくりと息を吐いた。
壁の石は冷たく、戦いの熱気を吸い取ったかのようにひんやりしている。
「今までで一番疲れたよ」
ルミナは天井を見上げていた。
そこにはもう星の光はない。
ただの石の天井──しかし、さっきまで光が満ちていた記憶が残っているせいで、余計に空虚に見えた。
そのとき、重い足音が響いた。
ガルドが近づいてくる。王国軍の指揮官の赤いマントが揺れ、戦場の空気を引きずるように冷たい気配をまとっている。
レオンが一歩前に出て、警戒するように言った。
「何をするつもりですか?」
ガルドは鋭い目でキーリを見つめた。
その視線は刃のように冷たく、しかしどこか迷いの影があった。しばらく沈黙したあと、低く言う。
「捕まえるつもりはない」
ミナが目を丸くする。
「意外……」
ガルドが睨むと、ミナは慌てて口を塞ぎ、視線を逸らした。
ガルドは腕を組み、短く言う。
「それよりも、黒星教団が先だ」
その言葉には、王国軍の現状と焦りが滲んでいた。
確かに、黒星教団は王国にとっても脅威。キーリをどうこうするより、まずは敵の本拠を叩くべきだ。
リディアが立ち上がり、ガルドを見る。
「それに、彼女は私の研究に必要だから。勝手に連れて行くことはさせない」
ガルドは小さく呟く。
「研究か」
リディアは真剣に頷いた。
「星の器──数百年ぶりの出現だよ。研究しないわけにはいかない」
カイトが眉を上げる。
「キーリって、そんなレアなの?」
リディアは視線をキーリに向け、静かに言う。
「この場所も他の場所も、星の器についての記録はほとんど残ってない」
そして、ほんの少しだけ声を落とす。
「でも……一つだけ残っているのがある」
キーリが息を呑む。
「どこにあるの?」
リディアは奥の通路を指差した。
「ここの先にある、星の塔の記録室」
レオンが驚いたように目を見開く。
「まだ先があるのか」
リディアは微笑む。
「本当に案内したいのは、ここだよ。本願はこれからだよ」
その言葉に、全員の胸に小さな緊張が走った。
奥へ進むにつれ、空気はさらに冷たく、重くなっていった。
湿気を含んだ空気が肌にまとわりつき、足音が石壁に反響して、まるで誰かが後ろからついてくるように感じられる。
古い石の部屋に入ると、空気が一段と変わった。
壁一面に貼られた石板は、長い年月を経て黒ずみ、ひび割れ、ところどころ欠けている。
それでも、どこか神聖な気配が漂っていた。
まるでこの部屋だけ時間が止まり、外界とは別の世界になっているかのようだった。
ミナが石板を見上げる。
「どこかの文字?」
カイトが近づき、石板に触れようとして手を止める。
石板からは微かな冷気が漂い、触れれば指先が痺れそうな気配があった。
「読めない……見たことない文字だな」
リディアが言う。
「当然よ。この文字は星文明の文字。解読されたのは最近のことだから」
ルミナはゆっくりと歩き、ある石板の前で立ち止まった。
その石板だけ、他よりも淡い光を帯びているように見えた。
「これは……」
キーリが近づいた瞬間──胸の星が淡く光り、石板が震えた。
青い光が石板から溢れ、部屋全体を染め上げる。
光は水面のように揺らぎ、壁を伝い、天井を走り、空気そのものを青く染めた。
冷たいはずの空気が、光に触れた部分だけわずかに温度を帯びる。
ミナが呆れたように言う。
「また始まった」
光の粒が空中に舞い上がり、文字を形作る。
その光は星の瞬きのように細かく揺れ、まるで古代の記憶が呼吸しているかのようだった。
リディアが息を呑む。
「石板が……起動した」
浮かび上がったのは星の絵。
夜空、星々、そして空から落ちる光。
その光は尾を引き、空気を焼き、地面に触れた瞬間、眩い閃光を放った。
光が収まると──そこに人が立っていた。
光の残滓がその身体を包み、まるで星の欠片が人の形を取ったようだった。
キーリの胸が脈打つ。
胸の星が、映像の光に呼応するように震え、淡い光を返す。
ミナが声を震わせる。
「え? これって……」
ルミナが静かに言った。
「やっぱり。そうなのね」
リディアが呟く。
「これが……星の器……」
最後に浮かび上がった文字は、他のどれよりも強い光を放っていた。
青白い光が部屋の空気を震わせ、石壁に影を揺らす。
リディアが読み上げる。
「星は……」
一拍置き、息を整えて続けた。
「空から来た者の種子」
その瞬間、部屋の空気が凍りついた。
誰も言葉を発せず、ただ光の余韻だけが静かに揺れていた。
キーリの胸の星が、静かに、しかし確かに光った。
まるでその言葉に答えるように。
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