力になりたい(第3話)
森は再び静かになった。
だが、キーリの心臓はまだ早く打っている。
「……本当に消えた」
さっきまでの黒い影は、跡形もなく消えていた。地面には、焼け焦げた痕だけが残っている。
ルミナはその痕を見て、少し眉をひそめた。
「思ったよりも早い」
「え?」
「追跡」
ルミナは森の奥を見つめた。
「落ちた場所、もう知られている」
キーリは不安になっていた。
「また、あんなのが来るの?」
「うん」
「どれくらい?」
ルミナは少し考えてから言った。
「たぶん……すぐ」
キーリは思わず叫んだ。
「すぐ⁉︎」
ルミナは肩をすくめた。
「だから言ったでしょ。騒がしくなるって」
キーリは頭を抱えていた。
「私……ただ散歩していただけなのに……」
星が落ちてきて、魔物に襲われて、どう考えても普通じゃない。
ルミナはキーリを見た。
「帰る場所ある?」
「村がすぐそこにあるけど」
「村……」
ルミナは少し困った顔を浮かべた。
「人。たくさんいる?」
「さ、三十人くらいなら」
「それは困る」
「何で?」
ルミナは静かに言った。
「私を探しているのは人じゃない」
「……さっきの黒いやつ?」
「うん」
「でも……村には魔法を使える魔法使いがいる」
ルミナは首を横に振った。
「たぶん無理」
その言い方があまりにも真剣だったので、キーリは言葉を失った。
「そんなに強いの?」
「強いって言うよりかは──」
ルミナは空を見上げた。
「人とは違う存在」
その時だった。
風が少しだけ強く吹いて、木々の葉っぱがざわめいた。
ルミナの顔色が変わった。
「……来た」
森の空気が変わった。
さっきまで夜の静けさに満ちていたはずの空間が、急に重く、冷たく沈んでいく。
風は吹いていないのに、木々の葉がざわりと震え、枝が微かに軋む。
その揺れは自然のものではなかった。
まるで、森そのものが“何かの接近”に怯えているようだった。
キーリは息を呑んだ。
胸が締めつけられ、呼吸が浅くなる。
空気が薄くなったように感じるのは、気のせいではない。
森の奥から、見えない圧力が押し寄せてきていた。
遠くで、何かが地面を踏みしめる音がした。
ドス……ドス……と、湿った土を深く抉るような重い音。
そのたびに地面がわずかに震え、足元の小石がカタリと転がる。
音はひとつではない。
複数の足音が、ゆっくりと、しかし確実にこちらへ向かっていた。
闇が揺れた。
木々の間に、黒い影が滑るように現れ、また消える。
その動きは獣のようでありながら、どこか人間の歩みにも似ている。
だが、どちらでもない。
輪郭が揺れ、形が定まらず、まるで闇そのものが意思を持って動いているようだった。
キーリの背中に冷たい汗が流れた。
喉が渇き、唾を飲み込む音さえ大きく響く。
心臓の鼓動が速まり、耳の奥でドクドクと響く。
その音が、森の静寂の中でやけに大きく感じられた。
ルミナは一歩前に出た。
羽が淡く光り、周囲の闇を押し返すように輝く。
その光が森の奥を照らし、赤い光がいくつも浮かび上がった。
キーリは息を呑んだ。
赤い目はひとつ、ふたつではない。
十……いや、それ以上。
木々の間に潜む影が、次々と姿を現し、こちらを見つめていた。
影たちは音を立てない。
ただ、じりじりと距離を詰めてくる。
その動きは捕食者のようでありながら、どこか機械的で、感情の欠片も感じられなかった。
森の匂いが変わった。
湿った土の匂いに、焦げたような、鉄のような匂いが混ざる。
影たちが近づくほど、その匂いは濃くなり、胸の奥をざわつかせた。
「さっきのより……多い……?」
キーリの声は震えていた。
ルミナは小さくうなずいた。
黄金の瞳が鋭く光り、影の数を正確に数えているようだった。
「十……いや、二十」
キーリの膝が震えた。
さっきの三体だけでも恐ろしかったのに、今はその数倍。
森の闇が、影たちの存在で塗りつぶされていく。
影たちが一斉に動いた。
その動きは速く、静かで、まるで風が形を持って襲いかかってくるようだった。
木々の間をすり抜け、地面を滑るように進み、赤い目が一斉に光る。
キーリは思わず後ずさった。
足元の枝を踏み、乾いた音が響く。
その音に反応するように、影の一体が前へ飛び出した。
ルミナの羽が強く光った。
その光は闇を押し返し、影たちの動きを一瞬止める。
だが、光はさっきより弱い。
羽の輝きが揺れ、ルミナの呼吸がわずかに乱れている。
キーリは気づいた。
ルミナは落下の衝撃でまだ完全に回復していない。
この数を相手にするには、あまりにも不利だ。
影たちが低く唸った。
その音は、獣の咆哮とも、人の悲鳴ともつかない、不気味な響きだった。
森の空気が震え、木々の葉がざわめく。
ルミナはキーリを振り返り、静かに言った。
「ねえ。あなたは、逃げて」
その声は優しく、しかし揺るぎなかった。
キーリは首を振った。
「でも、村が近いんだよ……!」
ルミナは目を細めた。
「だから、ここで止める」
その言葉はあまりにも軽かった。
キーリは怒った。
「無茶だよ!」
「そう?」
「さっきふらついていたのに」
ルミナは一瞬、言葉に詰まった。
図星だった。
その時、森の闇から──影が溢れ出た。
赤い目に黒い身体。さっきと同じ存在。だが、数が違う。
ぞろぞろと現れる。
十。
十五。
二十。
キーリの足が震えていた。
「……もう無理だ」
ルミナは羽を光らせて前に出る。
だが、光はさっきよりも、弱い。
キーリは気づいた。
「ルミナ……」
「大丈夫」
ルミナは言う。
「少し時間があれば」
だが、その時間がない。
次の瞬間、影たちが一斉に動いた。
ルミナが手をあげる。
「光よ──」
その瞬間だった。
突然、キーリの胸が熱くなった。
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