拾ったから(第2話)
キーリはまだ状況が理解できていなかった。
星から落ちてきた少女。光の羽。黄金の瞳。
どれも現実とは思えない。
「……えっと」
キーリは頭を掻いた。
「星って……空の?」
ルミナは当然のようにうなずいた。
「そうよ」
「…………」
「何。信じてなさそうな顔ね」
「いや、だって、普通は信じられないよ」
キーリは思わず言った。
「空から人が落ちてくるなんて」
ルミナは少し考えてから言った。
「……それはそうだけど」
言い返せなかった。確かに、目の前で落ちてきたのだ。
ルミナは周囲を見渡した。
破壊されて倒れている木々。抉られた巨大な穴。
「落下の衝撃は、思ったより大きかったのね」
「普通の人なら死んじゃうと思うけど……」
「私は普通じゃないもの」
さらっと言った。
その言い方が妙に自然で、キーリは黙ってしまう。
その時、ルミナは羽を軽く動かした。ふわりと淡い光が散る。
「……すごい」
思わずキーリはつぶやいた。
村の魔法使いでも、こんな光は見たことがない。
ルミナはキーリを見た。
「あなた、本当に魔力がないのね」
「…………」
またそれだ。
キーリは視線を逸らした。
ルミナは首を傾げた。
「気にしてるの?」
「……うん。ちょっと」
「どうして?」
キーリは苦笑した。
「この世界じゃ、みんな普通に使えるから」
魔力。この世界では呼吸みたいなものだ。誰でも持っていて、誰でも使える。それなのに、自分にだけはない。
「魔法が使えないと、役に立たないんだ」
ルミナはしばらく黙っていた。そして、ぽつりと言う。
「それ、変」
「え?」
ルミナはキーリの胸を指した。
「空っぽってことは──何でも入るってこと」
キーリは眉をひそめた。
「どう言う意味?」
ルミナは答えなかった。代わりに空を見上げた。星が瞬いている。その表情は、どこか寂しそうだった。
「……ここ、静かな世界」
「世界?」
「うん」
ルミナは少しだけ笑った。
「でも多分、もうすぐ騒がしくなる」
「なんで?」
ルミナはキーリを見た。
黄金の瞳がわずかに光った。
「私が落ちたから」
その時だった。
──ゾワッ。
その感覚は、まるで背骨の内側を冷たい指でなぞられたようだった。
風が吹いたわけではない。気温が下がったわけでもない。けれど、森の空気が一瞬で変わった。静寂が深まり、音が吸い込まれたように消えていく。
キーリは思わず肩をすくめた。胸の奥がざわつき、心臓が早鐘を打つ。
森の闇が、さっきまでと違う“質”を持ち始めていた。
ただの暗さではない。何かが潜んでいる暗さ。何かがこちらを見ている暗さ。
「……今、何か?」
自分の声が、やけに小さく聞こえた。声を出した瞬間、闇が揺れたように見えた。
森の奥から、重たい足音が響いた。
ドス……ドス……と、湿った土を踏みしめる音。
そのたびに、地面がわずかに震える。
枝が折れる乾いた音が続き、何かが木々の間を押し分けて近づいてくるのがわかった。
ルミナも振り向いた。
黄金の瞳が細くなり、羽がわずかに光を帯びる。
その光が、闇の中に淡い輪郭を作り出した。
「来た」
その声は、冷たく、鋭かった。
キーリは喉が渇き、唾を飲み込むことすら忘れそうになった。
森の闇が、ゆっくりと形を持ち始める。
最初は影の塊だった。
だが、近づくにつれ、輪郭が歪み、腕のようなものが伸び、赤い光が二つ、闇の中に浮かび上がった。
目だ。
真っ赤な目が、こちらを見ていた。
「……魔物?」
キーリは後ずさった。
足元の枝を踏み、乾いた音が響く。
その音に反応するように、影が一歩前へ出た。
黒い身体は、まるで煙が固まったように不定形で、輪郭が常に揺れている。
腕は長く、指先は鋭い爪のように尖っていた。
その爪が地面を引っかくたび、土が裂け、冷たい音が響く。
「違う」
ルミナが静かに言った。
その声は、影よりも冷たかった。
「これは魔物じゃない。私を追う追跡者」
キーリは息を呑んだ。
追跡者──?
その意味を理解する前に、影が動いた。
黒い塊が、まるで弾かれたように跳んだ。
空気を裂く音がし、キーリの目の前に迫る。
「うわっ!」
キーリは反射的に後ろへ倒れ込んだ。
影の爪が、さっきまで彼女が立っていた地面を深く抉る。
土が舞い、冷たい風が頬をかすめた。
ルミナが前に出た。
羽が強く光り、周囲の闇を押し返すように輝く。
「下がって」
その声は、さっきまでの柔らかさが消えていた。
戦う者の声だった。
キーリは這うようにして後ろへ下がる。
心臓が痛いほど脈打ち、手が震える。
影が二体、三体と姿を現し、ルミナを囲むように動き始めた。
闇が蠢く。
赤い目が光る。
湿った土の匂いと、焦げたような匂いが混ざり合い、息が苦しくなる。
ルミナは手をかざした。
羽が大きく広がり、光が集まる。
「──光よ」
その瞬間、世界が白く染まった。
爆ぜるような閃光が森を照らし、影の一体が悲鳴もなく消えた。
光は熱を持たず、ただ純粋な“力”だけを残して闇を切り裂く。
キーリは目を見開いた。
村の魔法とはまるで違う。
規模も、質も、存在感も。
残りの影が唸り声をあげる。
その声は、獣の咆哮とも、人の叫びともつかない、不気味な音だった。
ルミナは小さく息を吐いた。
羽の光が揺れ、少しだけ弱まる。
「まだ来る」
影が再び跳んだ。
だが、ルミナの羽が大きく広がり、光が奔った。
「消えて」
光が闇を切り裂き、影は霧のように消えた。
森が再び静かになる。
キーリは呆然と立ち尽くした。
足が震え、呼吸が乱れる。
けれど、目はルミナから離れなかった。
「……すごい……」
それしか言えなかった。
ルミナが羽をたたむと、光が弱くなった。
その瞬間、ルミナは少しよろめいていた。
「……あ」
キーリは慌てて身体を支えた。
「大丈夫?」
ルミナは首を横に振った。
「落ちたばかりだから、力が安定していない」
「ルミナ。さっきのやつ何?」
ルミナは少し考えてから言った。
「簡単に言うと──」
「うん」
「私を殺しに来たもの」
キーリの顔が固まる。
「……え?」
ルミナは平然としていた。
「多分これからも来る」
「ちょっと待って……」
キーリは頭を抱えていた。
「星から落ちてきて、追われてて、魔物みたいなのが来て」
ルミナは頷く。
「そう」
「それ、全部私の人生に関係あるの?」
ルミナはキーリを見つめた。
そして、こういった。
「ある」
言葉には自信があった。
「何で?」
ルミナは当然にのように言った。
「あなたが──私を拾ったから」
キーリは空を見上げた。
星はいつもに増してキラキラときらめいていた。
さっきまでは綺麗だと思っていた星空も今は少しだけ──怖く見えた。
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