路地裏の影(第16話)
レクトの街の門は、想像以上に大きかった。
近づくほどに、その巨大さが圧力のように迫ってくる。
石で作られた壁は何十年、いや何百年もそこに立っていたような重厚さで、中央にある鉄の門は、まるで巨人の盾のようにそびえ立っていた。
門の前では人が行列を作っている。
商人、旅人、兵士、農民──服装も、持ち物も、表情も、歩き方も、みんな違う。
キーリはその多様さに圧倒され、思わず息を呑んだ。
「……すごっ」
声が自然と漏れる。
村では見たことのない光景。
人がこんなに集まる場所があるなんて、想像すらしていなかった。
ルミナも同じように見上げている。
「酔いそうなくらい、人が多いわね」
ルミナの白い髪が風に揺れ、街の喧騒の中でも不思議と目を引いた。
カイトは笑っていた。
「まだまだ序の口だぞ」
その軽さが、逆に街の規模を実感させる。
三人は列に並ぶ。
前に進むたび、街の匂いが濃くなる。
焼きたてのパンの香り、香辛料の刺激的な匂い、馬の汗、油の匂い──いろんな匂いが混ざり合い、キーリの鼻をくすぐった。
門の前には槍を持った兵士が立っていて、通る人を一人ずつチェックしていた。
その鋭い視線は、まるで嘘や隠し事を見抜くかのようだ。
検問を通る経験がないキーリは、少しだけ緊張していた。
胸がどくどくと脈打つ。
手のひらが汗ばむ。
それを見たカイトは、小さな声で言った。
「そんなに心配しなくても、普通にしていれば普通に通れるよ」
「う、うん」
キーリは深呼吸をした。
森の戦いよりは怖くない。
でも、知らない世界に踏み込む緊張は、また別の怖さがあった。
キーリたちの順番が来た。
兵士が睨みつけながら言う。
「名前は?」
「キ、キーリです……」
「ルミナ」
「カイト」
兵士は三人を順番に見て、軽く頷いた。
「問題なし」
その一言で、キーリの肩の力が抜けた。
そして、門が開く。
三人は街の中へ入った。
中に入った瞬間、キーリは完全に立ち止まった。
「……すごい」
石畳の道がまっすぐ伸び、左右には高い建物が並んでいる。
店の看板は色鮮やかで、布や木で作られた装飾が風に揺れていた。
人、人、人──村では考えられないほどの人の波が、絶え間なく流れている。
喧騒の中でも、商人の声はよく通る。
「いらっしゃい! 焼きたてのパンだよ! 一つどうかい!」
「安いよ安いよ! 今日は野菜が安いよ!」
「お嬢さんに似合う服があるよ! 見ていかないかい!」
「今日は美味しい魚が入ってるよ!」
「武器の修理ならこっちだぜ!」
キーリは目を丸くしていた。
村とはまるで別世界。
色も音も匂いも、すべてが濃くて、強くて、圧倒的だった。
ルミナもキョロキョロしていた。
「音が多いわね」
カイトは笑う。
「これがこの街だよ。活気があっていいでしょ」
キーリは胸が高鳴るのを抑えられなかった。
「……すごい……何でもある」
その時だった。
遠くから悲鳴が聞こえた。
「捕まえろ!」
人混みがざわつく。
キーリが振り向くと、路地から誰かが飛び出してきた。
それは少女だった。
黒い髪で、汚れた格好。
だが、その動きは驚くほど軽く、素早い。
人混みを縫うように走り抜け、兵士三人が必死に追いかけていた。
「止まれ!」
少女は振り向きもせず走る。
そして──キーリたちの前に来た。
キーリは少女と一瞬目が合う。
その瞳は鋭く、獣のような警戒心と、路地裏で生きてきた強さが宿っていた。
その瞬間。
少女がキーリの持っていた袋を掴んだ。
「借りる!」
「え?」
キーリは何もできなかった。
あまりにも一瞬の出来事だった。
カイトは大きな声で笑っていた。
「はははっ。キーリ、盗まれたな」
キーリの顔が固まる。
袋の中には、パンとお金と服──キーリの持ち物のほとんどが入っていた。
「待てー!」
キーリは慌てて走り出す。
ルミナも一緒に後を追う。
その後ろで、カイトが楽しそうに走る。
少女は惑わすように、建物の角を何度も曲がり、細い路地へと消えていく。
キーリもその後を追うが、路地に入った途端──
「……いない」
先は行き止まりだった。
左右の壁も高く、逃げ場所はどこにもない。
キーリが息を切らす。
「消えた……」
遅れてきたカイトが言う。
「上だね」
キーリは空を見上げた。
建物の屋根の上で、少女が足を垂らしながら座っていた。
手にはキーリの袋を持っている。
「やっぱり追いかけてきた」
キーリが叫ぶ。
「返して!」
少女は袋を開けて中を見る。
そして言った。
「碌なもの入ってないじゃん。まさか、貧乏なの?」
キーリがショックを受ける。
「だって仕方ないでしょ! 無には何にもないんだから!」
少女は少し考えて、袋をキーリに向かって投げた。
「え?」
少女が言う。
「こんなつまらないものしかないとは思ってなかった。金少なすぎでしょ。この街では暮らしていけないよ」
カイトが笑う。
「相変わらずひどいな」
少女は屋根から軽々しく降りた。
着地の音は聞こえないほど静かだった。
ルミナは少女をじっと見つめていた。
「速い……」
少女は、ルミナには目もくれず、キーリに言った。
「あんた、どこの村の出身なの?」
「ヴァーリス……」
「そ。だから、こんだけしか持ってないのね」
図星だった。
言い返すことができなかった。
「なんで盗んだの?」
少女は肩をすくめる。
「仕事だよ。獲りやすそうなやつから、巻き上げるの」
カイトが興味深そうに聞く。
「名前は?」
少女は少し迷って、キーリを見ながら言った。
「……ミナ」
その時だった。
遠くからまた兵士の声。
「いたぞー! こっちだ!」
皆が舌打ちをする。
「面倒な奴め」
キーリが聞く。
「ミナはなんで追われているの?」
ミナは頷く。
「ちょっと宝物庫……入っちゃって」
カイトが笑う。
「ちょっとじゃないだろ。俺よりもやばいな」
兵士の足音が近づく。
ミナの顔に焦りが見えた。
「じゃあね。長居していると、捕まるから」
ミナは屋根の上に飛ぼうとしたが──その瞬間、空気が変わった。
ルミナの顔が険しくなる。
「……待って」
キーリが聞く。
「どうしたの?」
ルミナは低く言った。
「嫌な気配がする」
次の瞬間。
路地の奥にある影が動いた。
黒い霧が発生し、それが形を作る。
キーリの背筋が凍った。
「……まさか」
影の中から声が響いた。
「見つけた」
低い声。
聞いたことがある。
森で会った怪物と同じ声。
カイトとミナが驚く。
「なに……これ」
影が大きくなる。
そして、現れた。
黒い身体。
赤い目。
ルミナが呟く。
「追跡者」
キーリが剣を抜いて構える。
カイトも剣を抜く。
ミナは混乱していた。
「な、何?」
影の怪物は言った。
「星の器。見つけた」
赤い目がキーリを見た。
「見つけた、見つけた」
キーリは歯を食いしばる。
街に来てまだ数時間なのに、もう敵が来た。
ルミナが言う。
「キーリ!」
「うん」
カイトが笑った。
「面白くなってきたな」
ミナは呆気にとられていた。
「……何──この人たち」
こうして、レクトの街で、キーリの最初の街の戦いが始まる。
そしてこの出会いが──のちに、世界を変える仲間になることを、まだ誰も知らなかった。
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