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『転生タコチュウチュウ♡』  作者: 亜呂真ほのか


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【第5話】親の心、タコ知らず

『私も生まれて、一年ぐらい経ったのかしら』

 人間としては子供を産めなかったけれど、このタコとしての生で、私は次に子孫を残そうとしている。

『幸せな気持ち? しあわせなのかな? 正直よくわからないなぁ』

 けれど、確かなことは一つだけある。

『このタコの体に宿った命を、命懸けで守らなきゃ。それが私の喜びなんだ』

 お腹にあたる頭の奥深くで、無数の小さな命が鼓動しているのを感じる。かつての私が両親にそうしてもらったように、今度は私が母になるのだ。

『あ! 美味しそうなカニだ! これが最後の食事ね』

 これでお腹を満たしたら、どこか安全で良い場所に卵を産み付けなければならない。私はその、とても美味しそうに動くカニに向かって、勢いよく飛びついた。

 ――しかし、八本の腕でガッチリと抱え込んだ瞬間に、私は違和感に気づいてしまった。

 硬い。これはカニの殻の硬さではない。そしてこの、子供の頃によくおもちゃとして遊んでいた独特な飾りは……!

『あっこれ、お父さんの手作りのやつだ! 明石の漁師のこだわりの……!』

 そう、それはカニではなく、実家のタコ漁師である父が丹精込めて作った、特製のタコテンヤ|《疑似餌》だったのだ。

 漁師の娘だからこそわかる、見事な職人技。それにまんまと釣られてしまった自分のマヌケさを呪うが、気づいた時にはすでに遅かった。

 太い針がしっかりと私に食い込み、抗う間もなく、私の体はものすごい力で海面へと引き上げられていく。

 暗く穏やかな海底から、眩しい太陽の光が射す人間の世界へ。容赦なく巻き上げられる糸の振動を感じながら、私はただ一つ、冷静なツッコミを心の中で響かせていた。

『あー、終わったわーこれ』

『痛くはない。けれど、なんとか、この卵が詰まったお腹だけは守らないと……!』

 心の中でぼやきながらも、引き上げられる道中、私は必死に耐えた。しかし抵抗も虚しく、とうとう船の上へと引き上げられてしまった。冷たい板の上に転がされ、もう、私は半分諦めていた。

潮流の速い海峡で、一年間張り付き踏ん張って、こんな魅力的に太く、美味しそうに、育った私の自慢のタコ腕岩礁 こんなに丸々と大きくて美味しそうなタコ。しかも卵を抱えているなんて、人間にとって絶好の獲物ではないか。たしか、5月から8月がマダコの産卵期だったはず。卵持ちのタコって、人間も食べることもあるのよね……。

『あぁ、子供の頃、たまに海へ連れて行ってくれていたな、お父さん』

 でも、うちの食卓にタコの卵が出た記憶はない。ということは、食べられずに逃がしてもらえる望みはあるのかな? ねぇ、お父さん。

 祈るような気持ちで、タコの目で人間時代の父親を見上げた私は、その姿にハッと息を呑んだ。

 私が最後に見た父の姿――あの結婚式の日、誇らしげにバージンロードを一緒に歩いてくれた、あのピンと背筋の伸びた父の姿とは打って変わり、目の前の父はものすごく老け込んでいたのだ。

 髪の毛は手入れもされずバサバサで、白髪も増えてほぼ真っ白。顔には深いシワが刻み込まれ、肩は力なく落ちている。

 なぜ、そんなに老け込んでしまったのか。その理由を、タコになった私の耳はたしかに聞いた。

「道子……なんで、儂らを残して先に逝ってしまったんやー!」

 潮風に混じって響く悲痛な叫び。父は、一年が経ったこの日までも、まだ私の死を受け止められずにいたのだった。自分の死が、大好きなお父さんからこんなにも生気を奪ってしまったのだと気づき、胸が締め付けられる。

 そりゃそうか……。たしかに私は、一人娘として非常に可愛がられて育った。決して裕福な家庭でもなかったけれど、父は一生懸命に働いて、頑張って私を大学まで出してくれたっけ。

 しかし、今の私には泣くための涙腺がない。心までタコになってしまったのだろうか? いや、親の気持ちは、我が子を抱えた今、最高にわかる。

『だから、早く逃がして、お父さん! 卵が死んじゃうよー!』

 声の限りに叫びたくても、タコの喉では声も出せない。「大丈夫だよ」と声をかけることも、泣いている背中をさすってあげることもできない。

 激しく動けば、お腹の大切な卵を傷つけてしまう。ジタバタすることもできず、ただじっと耐えていると、不意に我に返った人間時代の父親が、足元に転がるタコの私をじーっと見つめてきた。

「あー……子持ちかいな。お前も、親か。立派な海藤花(かいとうげ)を、咲かせたれよ」

 父はポツリとそう言うと、返しのない大きな針から、そっと私を片手で優しく掴んだ。そしてまたじっと、涙の溜まった老いた瞳で私を眺め込んだ。

「……お前、なんか道子に、雰囲気似とるなー?」

 首をひねる父。『お父さん、私だよ!』と心の中で叫ぶけれど、当然届かない。

「……そんなわけ無いか」

 父は自嘲するように泣き笑いしながら、そっと腕を伸ばし、私を海へと放り投げてくれた。

 ザバーン! と冷たい海中へ潜り込みながら、私は遠ざかる船底を見つめた。

『あー、やっぱそうだよな。「親の心子知らず」って、よく言ったものね』

 私が死んで、お父さんがここまで深く落ち込んでいるとは、生前は本当に思いもしなかった。ごめんなさい、お父さん。けれど今は、少しだけど、この小さなタコ頭でも親の愛の深さがわかるよ。お父さん、道子はもう人間の世界にはいません。どうかご自分を責めず、立ち直ってくれることだけを祈っています。私を逃がしてくれて、ありがとう。

  自分がどうやってあの日死んだのかも、正直、まだわからない。しかし、私もこのお腹の子達を立派に孵化(ふか)させることで、少しでも親からもらった愛情のバトンを繋ぐ恩返(おんがえ)しができるだろうか?

『いや、待てよ。どう考えても、私の子孫を美味しく食べる明石の人々は、今の私にとって敵なのか、味方なのか?』

 安全な産卵場所に向かいながら、人間の時の感情とタコの感情が入り混じり、頭の中がぐちゃぐちゃになる。

『お父さん? でも今は我が子を狩る、悪いやつ。……しかし、人間時代にタコ焼きとかを美味しく食べてた自分もいる。茂くんも、タコになった今の私にとっては敵。でも……』

『あーー! そもそも、タコになった時点で感情の行き先なんて行き止まり。つまり詰んでるのね、これ。これ以上考えても、絶対に答えが出ないやつだわ!』

 そう悟ると可笑しくて、私はフッと肩の力を抜いた。海の中でブクブクと小さな泡を吐き出しながら、私は少しだけ笑った。

 これも自然の摂理か、はたまたタコの弱さか。タコ目線になって分かったことは、人間って本当に勝手で理不尽な生き物だなってこと。人間としての親孝行はもうできないけれど、この命を繋ぐことが、今の私にできるせめてもの恩返しだ。

 もう食事はいらない。さぁ、立派な卵を産むわよ!

『あ~あの子、終わってるわー! それ、蛸壺だよって教えてあげたいけど、近づいたら攻撃されそう』

 そうよねー、それ卵を産むのに最適なのよねー、住処としてもね。でも、もう私は騙されないよー。

『おーい、あなたも美味しい明石焼きね。まぁ、言っても聞かないよねー。ご愁傷さまー!』

『さて、私はと……こら! そこ私の産卵場所! どきなさい! 食べられなかったことに感謝してね♡』

 私は、良さげな少し大きめの岩穴から、大きな蝤蛑(ガザミ)を太い腕でバシッと追い出した。

 正直、まだ食欲はある。しかし私は、食べる時間より早く、卵を岩穴の天井に産むことを優先した。これは、人間の残滓がそうさせた気がした。

『これって、私ほんとに死ぬの? まだそんな気がしないんだけど。健康そのものなんだけど』

 よし、とりあえず本能のいざなうままに……あ、産まれる。

『えー! 墨吐くとこから、卵出てるんですけど! おっと、卵の赤ちゃん落ちるー!』

『おっとっと、こうか! 口の横のこの吸盤で掴んで、こう! ハイハイハイ! 糸を()るみたいに、こうやって貼り付けて……ほえー! 自分でやったことだけど、すごいね私』

 人間の意識としては驚きつつも、タコとしての体が勝手に動き、器用に卵を並べていく。これを後は繰り返す。

『あ~、この米粒みたいなの、見てるだけで癒されるわー。あ~、愛おしいわー!』

『あっ! これか! これだね! 今もう入ったスイッチ。あ~、これ私死ぬわ。うん、一切食欲消え失せたわー』

 本当にここから、飲まず食わずで命を削ってこの子たちを守るんだ。母としての確かな覚悟が、ストンと腑に落ちたような感覚だった。


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