【第17話】リコの胸に抱かれて ~海底の城塞都市~
「ささ、オクタビア様。また少し窮屈になりますが、私の胸の中で少しご辛抱くださいね」
そう言って、リコは私のドレスが着崩れしないように慎重に、自分の服の前を大きく開いて、私を優しく収め包み込んだ。
そのまま、私の部屋のドアを出たのが分かった。
『あー、落ち着くわー……リコ! 本当に落ち着くわー』
しかし、頭まで完全にすっぽりだ。周りの様子が全く見えない。
『しかし、本当にここはどこなんだろう? 建物がどこにあるのか、私にはさっぱり分からない。当たり前のように息ができているけれど、ここはやっぱり海の中なんだよね? 確かめたいなあ……』
溢れんばかりの好奇心から、リコの服の襟に左手をかけて少しだけ引っ張り、外を覗いてみる。
『うーん、片目しか見えないわ』
警護するように前を進む、ライカとリーンの背中が見えた。
「頭を下げよ! 決して顔を上げてはいけませんよ!」
リコの、いつになく厳しめの声が通路に響き渡る。
「オクタビア様の御姿を、あなた達のような者が拝見することは、まだ許されておりません!」
『えっ!? リコ、誰に話してるの? ここ、一体どこなの?』
私はどうしても状況を確認したくて、さらにリコの襟をぐいっと引っ張り下げ、視界を確保した。
『うーんと……よし、顔を出そう。えいっ!』
視界が少し広くなった。
天井まで美麗な装飾が施された大きな部屋――いや、広間のような場所だろうか。扉まで続く長い床には、金色の縁取りが眩しい真紅の絨毯が敷き詰められている。
『えっ!?』
私を胸に抱えながら進むリコの左右には、腰を落として手をつき、深く頭を下げた人魚たちの列ができていた。その列は、出口らしき大きな扉の前まで、延々と続いている。
「こら! そこ! 頭を上げないで!」
リーンの、怒号にも似た鋭い声が飛ぶ。
ちらりと下からリコの顔を見上げると、なんだかものすごく誇らしげな表情をしている。
「ほらほら! 顔を上げない!」
ライカの声も重なる。
『こんなにたくさん人がいたんだ……!』
「あっ! オクタビア様の頭が見えたわ!」
「オクタビア様ー!」
左右の両端から、感極まったような声が漏れ聞こえてくる。
「女王様たちだけずるうございますわ!」
「私たちも賢母隊の隊員! お顔を……お顔を一目拝見したい!」
そんな切実な声まで聞こえてきた。
『けんぼたい? 今、賢母隊の一員って言ったわよね。てことは、リコとライカとリーンも、その賢母隊って組織のメンバーなのね。で、リコが女王兼隊長で、ライカとリーンが副長みたいな感じかしら』
「こら! 声を出しちゃいけません!」
リコが鋭い叱咤の声を上げる。
『そんなぁ、リコてば。少し厳しすぎない? 私も、みんなに挨拶したいんだけどな……』
その時だった。右サイドに座って頭を下げていた一人の人魚の女性が、バレないような素早い仕草で顔を半分だけ起こし、私の方を見た。
そして、リコの襟から半分ほど飛び出していた私の瞳と、ばっちり目が合ってしまったのだ。
その女性は、驚愕のあまり大きく目を見開いた。
次の瞬間、彼女は絶叫した。
「おお……! オクタビア様……オクタビア様ー! なんと……なんと美しい……! もう、死んでもいいですわ……!」
彼女はそんなことを喚きながら、過呼吸のような状態に陥り、口からぶくぶくと泡を吹いて、そのまま後ろに引っくり返ってしまった。
『えっ!? はい!?』
『どゆこと? どんだけよ!?』
「こら! だから言ったじゃない! まだあなた達には、オクタビア様を拝見することはできないと!」
リコが呆れたように、けれどやはり誇らしそうに話す。
『やばい! どういうことなの!? てか、あの人大丈夫なの!? 泡吹いてたけど!』
『目も合わせられないなんて、どこのメデューサよ! ……って、笑えないんだけど!』
私は慌ててリコの襟を戻し、自分の顔が外から見えないように深く隠れた。
『うん……これは下手に顔を出せないってことね。理解したわ』
『いやいやいや、でもおかしいでしょ! 大体なんであの人はひっくり返ってるの!? そんな大げさな……怖いよ! 顔を出せない理由は理解したけど、この熱狂は怖すぎるよー!』
一度は服の中に引っ込んでみたけれど、やっぱりあの気絶した隊員のことが気にかかる。
『うーん、でも、やっぱりあの人が心配だし……。それにリコ、少し厳しすぎよね』
私はリコに抱っこされたまま、服の隙間から見上げるようにして『リコ、あの人大丈夫なの!?』と必死に意思表示を試みた。
自分なりに、眉間にシワを寄せた精一杯の「お怒り顔」を作ってみる。けれど、私の口から出たのは――。
「ぶるぶるっ、ぶーっ!」
唇を震わせて空気を吐き出す、あの赤ちゃん特有の「ぶー」遊び。どう見ても、ただ唇を鳴らして楽しんでいるようにしか見えない。
案の定、リコは私が胸の中で遊んでいるのだと勘違いし、満面の笑顔で私を見つめてきた。
「そうですか、そうですか、オクタビア様! ぶーですか、まあ! オクタビア様、ブーですね!」
リコの私を抱く手に、さらにギュッと力がこもる。愛おしさが限界突破したような、凄まじい力加減だ。
『……ダメだこりゃ。やっぱり全く伝わらないわね。ごめんね、人魚の人……私がもっと成長したら、その時にお話ししましょうね』
私はリコに強く抱きしめられながら、静かに抗議を諦めた。
見上げるリコの瞳は、もはや悦に浸りきって正気を失っている。
『このままじゃ、愛の重さで圧死させられちゃうわ……。ちょっと苦しいんだけど……!』
いまだに、私は、リコや人魚たちがなぜ私にここまで心酔しているのか、わからないでいた。
でも、ポセイドンお父様とアムピトリーテーお母様が関係しているということだけは、なんとなく、わかった。
そして、あの綺麗な装飾が施された大きな扉だろうか。重厚な扉が開くのがわかった。
私はリコの襟を押し下げて、外の景色を覗き込む。
前回移動した時は、リコの胸の温かさに誘われてうとうとと眠りについてしまい、外がどうなっているのか全く見ることができなかったのだ。
しかし、幸いなことに今日の私は一味違う。「じじばば連合」の襲来、初めてのドレスアップ、姿見での自分の姿の確認、そして極めつけは人魚の隊員さんの卒倒……。
怒涛のイベントが多すぎて、すっかり目が冴えきっていた。
私はさらにぐいっと顔を出す。
覗き込んだ先は、広い踊り場のような、城のテラスのような場所だった。
思ったよりもかなり薄暗いが、遥か上方にゆらゆらと揺れる海面らしきものが見える。そこに微かな光が差し込んでいるのが分かるから、どうやら夜ではないようだ。
リコが、その遥か上に見える海面の方向に向かって、しなやかに泳ぎ始めた。
先行して護衛を務める、ライカとリーンの頼もしい背中が見える。
ぐんぐんと、私たちは海中を上昇していく。
その時だった。私の眼下に、ぐるりと城塞に囲まれた、巨大な街らしきものが飛び込んできた。
それは、海底の巨大な窪地の底に、まるで外敵から身を隠すように広がっていた。
リコの足元には、私たちが今までいたであろう大きなお城の豪奢な屋根が、どんどん遠ざかって小さく見えていく。
私がリコの襟を押し下げて、夢中で外の景色を見つめていることに気づいたのだろう。リコが泳ぎながら、私に優しく話しかけてきた。
「見てください、オクタビア様」
「この街、いえ……この国は、オクタビア様の国ですよ。どうですか? あそこにいるみんな、オクタビア様の国民なのです」
リコは、誇らしげにそんなことを話し出す。
『えっ!? 私の国? 何言ってるの、リコ。ここはリコの国じゃないの!? どゆこと!?』
私は目を丸くした。
『今の私には、やっぱり色々と情報がなさすぎて、全然状況が掴めないや。あー、早く喋れるようになりたいわ!』
眼下に広がる街並みは、予想以上に巨大で活気に満ちているように見えた。
『しかし、本当に大きな街ね。この街の他にも、別の街があるのかな? うーん、海の底なのにこんな立派な国があるなんて……。やっぱり、圧倒的に情報不足ね。今は考えてもどうしようもないわね』




