第56話
ばきり、と
世界が軋み、ひび割れるような轟音が、周囲に響き渡った。
聖剣に集っていた光が、反転する。
光が闇に、ではない。温かく柔らかな光が、ギラギラと冷たく鋭い輝きに変化する。
一瞬で氷点下にまで冷え切った光は、膨張しながらぐにゃりと形を変えていく。
人だ。しなやかな曲線を描く、女体のカタチ。
気付いた時には、エルヴィンが手に持つ聖剣からは光が消え失せ、目の前にはヴィゴーレ城と並ぶ程に巨大な、女性のシルエットを象った光の塊があった。
「これ、は……」
ぽつり、と呟きが聞こえた。
誰の口から漏れたのかは、分からなかった。
エルフリーデ女王陛下なのか、勇者エルヴィンなのか。もしかしたら私かもしれないし、周囲に立つ騎士の誰かかもしれない。
ひとつ分かるのは、その光景を見て呆れるように目を瞑ったブラッド団長と、深刻そうに目を伏せたノワール先輩は、コレが何かを理解していると言う事だ。
「何だ…………何だ、コレは!!」
勇者エルヴィンが叫ぶ。
それは、突然出現した光に対してなのか。それとも、輝きを失った聖剣に対してなのか。
「先程、忠告しただろう。女神ベローナの神力が枯渇する、と」
そんな勇者の声に応えたのは、ブラッド団長だった。
その声は、いつも通りの事務的な淡白さで。
「神力を失った神の末路は、神格の位や権能によって異なるが、大きく分けて二通りある。
力を完全に失い精霊や魔族……ヒノモトでいう妖怪のような存在に成り下がるか、反転して邪神や祟り神のようなモノに成り果てるか、だ」
そう言って団長が光を見あげた瞬間、それは動きを見せた。
『 ア 』
光のシルエットが、すらりと細い腕を持ち上げる。
両手で頭を抱え、体を曲げるようなその姿は、激しい頭痛を堪えているようにも、深い絶望に対面し頭を掻きむしっているようにも見えた。
そんな人間臭い動きとは裏腹に、耳に届いたのは今まで聞いた事もないような、空間そのものが悲鳴を上げたかのような音。
『 アアア 』
耳に届いただけで、ゾワリと鳥肌が立つような。ガラスを引っ掻く音を何十倍も不快にさせたような音が聞こえた瞬間、私は反射的に魔法を発動していた。
「────っ!!」
紡いだ結界は、“衝撃”の遮断。咄嗟の発動だった為、包む事が出来たのは私とノワール先輩、エルフリーデ女王陛下と近くにいた騎士が二、三人だけ。
「っ、だんちょ────」
団長、結界の中へ。
そう叫びながら彼の方を見た、瞬間
『アアアァァアアァアアアアアーーー!!!!』
それ以上と轟音と衝撃が、世界を包み込んだ。
耳を劈くのは悲鳴のような爆音。遮断の結界を隔ててもなお、肌をビリビリを震わす震動を感じる。あまりの轟音の所為か、ズキリと脳内に鋭い痛みが走った。
結界の外は、言うまでもなく惨状だった。
巨体が発する大音量の叫びは、凄まじい破壊力を伴っていた。その衝撃波に耐えきれず、地面の石畳はめくれ上がり、城壁の一部が積み木のように崩れていく。
結界で覆う事が出来なかった騎士達は、その破壊を直に受ける結果となった。
……床に散らばった書類を思い出した。不意にくしゃみをしてしまって、散らしてしまった紙の群れ。
あの時の書類のように、到底耐えきれない力によって騎士達の体は宙を舞い、地面やら建物やらに激突して動かなくなった。
そんな轟音の阿鼻叫喚の中、結界に包まれた私達以外に、残っている影はふたつだけ。
一人はエルヴィン。彼は光の女性の足元にいた為、ほぼ真上からの衝撃波を受けて地面に膝を付いているものの、意識を失う事なく堪えている。
もう一人は、ブラッド団長。気功による恩恵か、彼は吹き飛ばされる事も這いつくばる事もなく、両足でしっかりと立っていた。
何か考え事をしているかのように光の巨体を見上げていた団長は、視線はそのままに地を蹴る。まるで水面か何かのように結界をすり抜け、私達の近くへ着地した。
「だ、団長っ、あれは………」
あれは一体、何ですか。何が起こっているんですか。
そう尋ねようとした私の言葉を先読みしたのか、ブラッド団長は口を開く。
「神力が枯渇した女神ベローナの成れの果てだ。ベローナ神は軍神……専門家の言葉を借りて言うなら荒御魂寄りの神だ。
そういった存在は神力を失った場合、祟り神等の悪神に成りやすい傾向にある」
「……ブラッド様、ひとつ疑問があるのですが」
おずおずと尋ねるエルフリーデ女王陛下に、団長は「伺いましょう」と頷く。
「皆様のお話からカッツェ神父……いえ、神父に取り憑いた勇者エルヴィンが聖剣を乱用し、ベローナ様の神力が枯渇した事は推察しました。
ですが、ベローナ様は今も我が国で信仰されているはずです。人々の信仰心があるなら、神々は神力を得る事ができるのでは?」
数時間前に聞いた、信仰心と神力と加護のサイクルの話を思い出す。
人々の信仰心を焚べ、神々はより多くの神力を得るとヤツフサは言っていた。
確かに、エルフリーデ女王陛下の疑問は最もだ。例え女神自身の神力が無くなろうとも、人々からの信仰心を神力に変える事ができるのではないだろうか。
「人間から捧げられた信仰心を神力に変換するにもまた、ある程度の神力が必要なのです。暖炉の火のようなものだとお考え下さい。
一度神力が消えてしまえば、いくら信仰心を焚べても意味が無いのと同じです。
今はまだ、燃え残った灰に僅かな熱が残っている為、かろうじて神格を保てているようですが。それが完全に冷え切った時、女神ベローナは悪神に成り果てるでしょう」
「そんな……」
つまり、この惨劇はまだ第一段階で。このまま時間が経過したらさらに悪化する、という事か。
「ご安心下さい、女王陛下。まだ堕ちきって無い状態なら、打つ手はあります。
今のベローナ神は神力が枯渇し、自身に捧げられた信仰心を燃やす事ができない状態。
ならば、他から神力を持ってくればいいのです。焚べられた信仰心が女神ベローナ宛の物であれるのなら、たとえ他神の神力を使用したとしても、そこから発生する神力はベローナ神へ還元されます。
そして幸いな事に……今回の依頼には、我がギルドの中でも神力の扱いに長けた者が参加しています」
団長の言葉にハッとする。そうだ、サーリャさん。彼女が、女神ベローナに神力を貸し与えれば。女神の代わりに、その信仰心を昇華する事ができたら。
「しかし、神に神力を注ぎ込むとなると、その余波で周囲に被害が出るでしょう。故に、女神ベローナを魔の森へと誘導し、王都に害が出ない距離を確保した後に女神へ神力を注ぎ込みます」
ブラッド団長は体の調子を確かめるように右手を握ったり開いたりしながら、ヤツフサへと視線を向ける。
「ヤツフサ、お前は俺と来い。神力を振り撒いて、女神を誘導する。
……主以外を背に乗せるのは抵抗があるだろうが、協力してもらうぞ」
「異を唱えるつもりはごじゃいませぬ。今やサーリャ様は“赤のギルド”の一員なれば、その長たるブラッド様の指示に従うのが道理でごじゃいましょう」
その返答に頷いて応えたブラッド団長は、次にノワール先輩と私へ視線を向けた。
魔力により薄ぼんやりと光を帯びる黄金の瞳に見つめられ、思わずしゃんと背筋が伸びる。
「ノワール、ティア。聞いた通り、俺達は女神ベローナを連れて森の中に入る。女神がここから離れれば、エルヴィンが動き出すだろう。
対処は、任せたぞ」
「了解です」
「は、はいっ」




