006 自分の本当の気持ち
しばらく立ち尽くしていた私を、心配してアイリスが恐る恐る尋ねる。
「……エリーナ、大丈夫?」
「ねえ、あの二人って……。あんなデレデレしたアンドリュー、初めて見た」
去っていった二人を頭に浮かべて、とても不思議な気持ちだった。ずっと一緒に育ってきたアンドリューだったけれど、あんな風に女性に熱い視線を向ける姿を見るのは初めてだった。
「……うん……。エリーナが、気にするといけないと思って言わなかったのだけど……。一カ月前くらいから、あの二人あんな感じなのよね……」
アイリスが、二人が去っていった方に視線を向けて気まずそうに答える。彼女の言葉に、色々な思いが私の胸の中に生まれる。何だろう……。私以外の女性に優しくするなんてって怒りもあるけれど、何だか妙にホッとしてしまった。アンドリューに好きな人がいるのなら、それを理由に婚約解消に持っていけるのではないかと考えてしまったのだ。
そんな気持ちを抱いてしまった私に、自分でも驚く。私は、自分が思っているよりもずっとアンドリューに冷めていたのだ。彼に対する罪悪感や、両親に対する想い、何よりアンドリューを好きだった頃の自分が冷めきった気持ちに蓋をしていた。そのことに気付いた私は、もう後には戻れない。
それに、だから私は、アンドリューに仲の良い令嬢ができても気づかなかったのだ。アンドリューが「地味で冴えない女が婚約者」と揶揄われるようになってからは、二人で行動することが無くなったし、意地悪されるようになってからはむしろ私が避けているくらいだった。
私に対する態度がどんどん冷たくなっていくから、てっきり女性に対して厳しいのかもと都合のいい考えを持っていたくらい。
でも、そうなんだ……。あんなに優しくできるんだ……。
「アンドリューって好きな子には、昔みたいに優しくできるんだね。私だから冷たかっただけなんだ……」
「えっ?! 違うよ。アンドリューが好きなのはエリーナだよ。それは間違いないって!」
私のつぶやきを否定してくれたアイリスだったけれど、「そうかな」とは間違っても言えなかった。
「私のことが好きってことはないよ。昔はそうだった時もあったかもだけど。でも、やっと婚約解消する理由をみつけられた……。これなら本当に、婚約解消できるかも。ねえ、アイリスもそう思わない?」
アンドリューに他に好きな人ができていたことは、少しだけびっくりしたけれど……。彼への好意が底をついていた私には、好機にしか思えなかった。私への態度が冷たいのは、友達に揶揄われるから仕方ないのだと我慢していた。でも、新しく好きな人ができただけだったとしたら……。そしたら、私がこれ以上我慢することなんて全然ない。
私の目の前に道が開けた気がする――――。
「あっ、アイリス、急ごう。もう始まりの鐘が鳴る時間だ」
私は、アイリスの返事を待たずに彼女の手を取って歩き出す。黙ってついて来ていたアイリスだけれど、この時に実は相当悩んでいたことを知るのは後のことだった。
その後は一日中、アンドリューとキャンベル伯爵令嬢のことばかり考えていた。だからか、アンドリューの行動を気にして見ていると、確かにシンディー嬢と一緒にいることが多い。廊下で一緒に歩いている場面や、中庭で一緒にお昼を食べている風景を目にした。ただ、二人きりと言うわけではなく同じクラスの友達数人と一緒だ。そこはきちんと弁えているのだと、妙な関心をしてしまう。
でも、よく見ていればわかる。複数人で一緒にいるけれど、必ず隣にいるし腕を組んでいたりちょっとしたボディタッチが目立つ。アンドリューがそれに嫌がる素振りも見せないし、むしろずっと笑顔だった。
ちょっと気を付けて見ていたら、すぐに気づくレベルのものだった。なのに、私は、アイリスに言われるまで二人のことを全く知らなかった。アンドリューに少しでも気持ちが残っていたら、そんなことはなかったはずだ。
(こんな状態で、一年後に結婚するなんてどう考えても無理よ……)
月下の花を一人で見に行くまでの私は、全ての感情に蓋をしていた。アンドリューの友達に馬鹿にされても、言い返すことができなくて傷つく言葉をそのまま受け入れていた。みんなにどう思われていても、結局はアンドリューと結婚するしかない人生なのだと思っていた。婚約解消したいなんて言ったら、両親が悲しむと自分に言い訳をして……。
でも本当は、結婚以外の道をとることが大変だから、ただ楽な方に流されていただけなのだ。そう考えると、アンドリューだけが悪い訳ではないのだと悟る。
今日は、色々なことに気付けた貴重な一日になった。ぐるぐると色々と考えていたせいで、ものすごく精神的に疲れてしまったけれど……。だからか、帰宅中の馬車の中で一緒に帰っていたアイリスに心配されてしまう。
「ねえ、エリーナ。顔色が悪いけれど大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ。なんだか、色々と考えごとしていたら疲れたみたい。心配してくれてありがとう」
「それは当たり前だけど……。ねえ、朝の婚約解消って本気じゃないよね?」
アイリスが、とても心配しているのかこわごわといった様子だ。
「本気だよ。私、楽をしたくて諦めていただけだったのかも。でも、それだと誰も幸せになれないって思って。婚約って家と家との結びつきだから、それを解消するって簡単なことじゃないけれど……。でも、穏便に婚約解消できる方法を真剣に考えてみるつもり」
私は、最終的に出した結論をアイリスに伝える。実際に言葉に出してみて、その考えが私の中でとてもしっくりきた。
「ちょっと待って。ちゃんとアンドリューに相談した方がいいって。そんなことは、アンドリューは望んでないと思うよ?」
(そんなことは、ないと思うけれど……)
「そうかな……。でも、アイリスがそう言うなら、一度はアンドリューにも相談してみる。でも、私の話なんて聞かないと思うけど……」
「あのさ……。もし、アンドリューが婚約解消したくないって言ったらどうするの?」
アイリスが、思ってもみないことを聞いてくる。私が婚約者で散々揶揄われてきたのに、婚約解消したくないなんて考えるだろうか……。でも、もしかしたらってこともあるから……。
「それでもやっぱり、婚約解消したい。私が無理なんだって、今日確信しちゃったんだ」
アイリスからしたら、三人で幼馴染だ。だからその二人に、亀裂が入るのは寂しいとか悲しいって想いがあるのかもしれない。アイリスには悪いけれど、もう私の気持ちは止められないところまで来てしまった。
「お嬢様、着きましたよ」
二人で話し込んでいたから、馬車が屋敷に着いたことに気付かなかった。御者が教えてくれたので、私は降りる準備をする。
「じゃあ、アイリス。また明日ね」
アイリスの顔は、いつもの明るい表情ではなく曇っている。悪いことを言ってしまったなと思ったけれど、私はそのまま扉を開けて馬車から降りた。




