004 王立図書館
疲れ切って帰ってきた翌日、遅くに起きた私は午後から出かけることにしてその準備をしていた。侍女のラナが、外出着に着替える手伝いをしてくれる。
「エリーナお嬢様、今日はどちらにお出かけですか?」
「王立図書館に行って来ようと思って。昨日、月下の花を見たから忘れないうちに図鑑で確認してきたくて」
「そうなんですね。昨日は何だかお疲れの様子でしたし、お顔もすぐれなかったので、てっきり見られなくて、がっかりされているのかと思っていました」
ラナが、良かったですねとニコニコしている。だけど、やっぱりラナには隠せないと口を開く。
「違うのよ……。疲れていたのはそうなんだけど……。アンドリューと色々あって……。それでちょっと落ち込んでいたの……」
私は、昨日のことを思い出しながら溜息をつく。
「また、アンドリュー様に何か嫌なことを言われたんですか? 大丈夫ですか?」
ラナが心配そうに表情をゆがめる。彼女は私の専属侍女なので、一緒にいる時間が多く昔からの仲なのでアンドリューのことも良く知っている。両親や兄姉たちと違って、彼が嘘をついている場面も良く見ているのでラナは味方でいてくれている。
「あのね、月下の花を見に行く時間になったら、突然行きたくないって言い出して……。仕方がないから一人で見に行ったのだけれど、帰って来るなりなんで一人で行ったのかって怒り出して……」
「まあ、なんて意地悪なのかしら! あれだけエリーナお嬢様が楽しみにしていたのを知っているはずなのに……」
「そうよね? 私も同じように思ったわ。しかも、お父様たちに自分の都合の良いように言いつけて。私が勝手に一人で見に行ったように言ったのよ? 私、本当に許せなくて……」
「信じられませんね。エリーナお嬢様……このままずっと我慢していていいんですか? 結婚まで、もうあまり時間がありませんよ?」
ラナが、心配そうな顔をしている。なぜなら、アンドリューとの結婚があと一年後に迫っているからだ。もうかなり前からラナには、両親にきちんと相談した方がいいと勧められていた。私が言いづらいのなら、ラナから両親に話してもいいとまで言ってくれている。
だけど、それを言ってしまったらアンドリューからどんな仕返しがくるか怖い。ただの使用人に過ぎないラナが、貴族家同士の婚約に口を挟んだと知られたら、危害を加えられる可能性だって考えられる。そうなったら私は、きっと自分が許せない。だからどうしても、一歩を踏み出すことができないでいた。
「わかっているわ。私も今回のことは、今までみたいに流せるようなことではなくて……。自分の大切にしていることを踏みにじられて、これが一生続くのかと思ったら怖くなってしまったの」
ラナが、私の隣に寄り添ってくれる。
「私は、エリーナお嬢様には幸せになってもらいたいんです。アンドリュー様は、信用することができません。どうにか穏便に婚約破棄にもっていく手段を考えましょう」
「そうね……。真剣に考えてみるわ。ラナ、いつもありがとう」
「いえ、エリーナ様が少しでも前向きになってくれて良かったです。すみません、急がないと王立図書館が締まってしまいますね」
そう言って、止めていた手を動かして出かける準備を整えてくれた。
王立図書館には、行き慣れているので馬車に乗って一人で向かう。両親も図書館に行くと言えば、特に反対されることなく送り出してくれる。今日は、ラナとおしゃべりしていたのでいつもよりも行く時間が遅くなってしまった。閉館時間には、充分余裕はあるけれどこんなに遅く行くのは初めてだ。
一定のスピードで走っていた馬車が、ゆっくりと速度を落として止まったので扉を開けて一人で降りる。昔は、アンドリューがよく一緒に来てくれてエスコートしてくれながら馬車から降りていたなとその時の映像が頭をかすめる。
彼とは、いい思い出もたくさんある。だから今までは、憎み切ることができず結局自分が我慢すればいいと諦めていた。でも、頭をブンブンと振って、それでは駄目なのだと自分に言い聞かせる。
御者に、閉館時間ちょっと前に迎えに来てもらうように告げて建物の中に入っていった。
中に入ると、入り口の壁に飾られている本がまず目に入る。その前を通って、図書館に入室すると、圧倒されるほどの本が見渡す限り並んでいる。お目当ての植物図鑑を手に取ると、私はお気に入りの場所に向かった。
館内には、本を読むための椅子と机があちこちに配置され各々が好きな場所に座って本を読んでいる。私が気に入っている場所は、歴史書が立ち並ぶ本棚の一番奥にある椅子だ。奥まっていて、ほとんど人が入ってくることがない場所なので個室みたいな気分でいられる。
いつもと同じように、まっすぐにその場所に向かった。この本棚の次が歴史書だなと、一つ前の通路を見ると奥にある椅子に誰かが座っているのが見えた。館内の中でも入り口から離れた場所にあるので、ここに人がいるのは珍しいなとかなりしっかりと人物を見てしまった。
「エリオット様?!」
昨日知り合ったばかりの人がいたから、びっくりして大きな声を出してしまう。背の高い椅子に足を組んで座っていて、彼は背が高くスラっとした体格なので、ただ俯きかげんに本を読んでいるだけなのに物凄く絵になっている。この美しさを感じる佇まいが、この国の人たちには恐ろしさを感じてしまうところなのかもしれない。私からみたら、本当にただただ綺麗で格好良いなと感動してしまうだけなのだけれど……。
「エリーナ?」
本から顔を上げたエリオット様は、本当に私なのかと疑わし気にこちらを見ている。こんな偶然があるのかと驚きながら、私はエリオット様の方に近づいていった。
「こんにちは、エリオット様。こんなところでお会いするなんて、びっくりしました」
私は、分厚くて重い植物図鑑を抱きしめるように持って挨拶をした。
「本当にエリーナ? 突然、名前を呼ばれたから私も驚いてしまったよ」
「そうですよね。私ったら突然、申し訳ありません。昨日の今日で、お会いできて嬉しかったから」
昨日、一緒に月下の花を見たことを思い出してあの時のドキドキが蘇ってくる。
「……君は……、私を怖がらないのだね……。こんな顔の私は、怖くないのかい?」
エリオット様が、何ともいえない表情でポツリとこぼす。彼の切ない心情が伝わってきて、いつもどんな扱いを受けているのか想像すると私まで辛くなってくる。
「あのっ。怖くなんてないです。こんなこと言うとおかしいって思われるかもしれませんが、私の目にはエリオット様は、ただ美しく映るだけです」
私なんかの言葉で、今までの声が払拭できると思わなかったけれど、少しでも心が軽くなってくれればと思って口にした。私の言葉を聞いたエリオット様は、信じられないとばかりに息を飲む。
「美しい? 私が? そんなこと言われたのは初めてだよ。いつも、冷たいだとか怖いだとか、その冷めた目で見るなって言われるのに……。エリーナの言うように、君は少し変わっているね」
エリオット様の目が少し潤んでいるように見える。でも、それを振り払うように、フッと笑みを零した。さっきよりも肩から力が抜けたような仕草に、悲しい表情が抜けて私も嬉しくなる。
「今日は、本を借りに?」
私が抱えている本を見ながら、エリオット様が問いかけてくる。
「この図鑑が見たくて。月下の花のことが詳しく書かれている本なんです。この本は、持ち出し禁止で図書館内でしか読めないので」
エリオット様にもどんな本かわかるように、持ち方を変えて見せてあげた。すると、エリオット様も納得がいったようにうなずいている。
「エリーナは、本当に月下の花が好きなんだね。昨日見たばかりなのに、早速今日調べにくるなんて」
「この図鑑はもう何度も読んではいるんですけど……。実際に見てから読むと、また違った発見があるかもと思いまして……」
私は、ちょっと恥ずかしそうにはにかむ。実際に見たところで、本の内容が変わるわけではないのだけれど……。長年の夢がやっと叶ったので、改めて図鑑をじっくり読んでみたかったのだ。
「そんなに好きなら、その図鑑プレゼントしようか?」
「えっ? そんな、いただけません。持ち出し禁止の本は、とても高価で貴重な本のはずです」
「ちょっと時間はかかるけれど、手に入らないことはないよ。月下の花を通して知り合った記念に受け取って欲しい」
「そんなっ。無理です、いただけません。私、何もお返しできませんし……」
突然、とんでもないことを提案されて一歩引いてしまう。この図鑑が手に入るなら、それはとても嬉しいことだけれど……。それでも、こんな高価な本を受け取ることなんてできない。
「お返しなんていらないんだけど……。そうだっ。では、こうしないか?」
エリオット様が立ち上がって、ちょっと来てというように手招きしてきたので私はちょっとだけ彼の傍に寄って耳を傾ける。
「エリーナが私に会ったら、今日みたいに必ず声をかけて欲しいんだ」
「へっ? そんなことですか? そんなの、別に図鑑をもらわなくてもしますよ」
私は、驚いてエリオット様の顔を見上げる。まじかに迫るエリオット様の顔が、美し過ぎて一瞬で顔に熱が集まりポッと頬が赤くなる。
「本当に君は……」
エリオット様は、聞こえるか聞こえないかくらいの声でつぶやいたと思ったら、私の頭をポンポンと物凄く控えめに叩く。
エリオット様の言葉の続きを待っていた私だったけれど、「じゃあ、また」と言って私の横をすり抜けて去っていってしまった。
一連のエリオット様の言動に、一体なんだったのだろう? と疑問だけが残りしばらくその場で呆然と立ちすくんでいた。
今日から、一日一話の更新です。
約半月くらいのお付合いになるかと思います。最後までよろしくお願いします。
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