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003 婚約者アンドリュー

 エリオット様の背中をぼんやりと見つめていたら乱暴で大きな声が飛んできた。


「おい! エリーナ、探したじゃないか!! どこに行っていたんだ!」


 ビクッとして、声のした方を見ると怒った顔のアンドリューの姿がある。真っ赤で短く整えた髪をなびかせながら、どんどんこちらに向かってくる。彼は、目に特徴を持っていて大きくてギョロッとしていて緑色をしている。この国の美的感覚からいったらかなりの美男子の部類だ。私から見ると、その目にいつも睨みつけられるので嫌な気持ちにしかならないのだけれど……。


 こちらに向かってくる彼を見ていると、さっきまでの幸せだった気持ちが吹っ飛び溜息を付きそうになる。


「月下の花を見に行くと言っておいたじゃない」


 私は、アンドリューの視線から外すように顔を背けた。すると、ガシッと強く腕を掴まれてアンドリューが顔を近くまで寄せてきた。


「お前、まさか一人で庭園に出たのか? 外で誰かと一緒だったんじゃないだろうな!!」


 アンドリューは、私の上から下までに視線を行き来させた。嫌な視線に、私は自分を守るように彼の腕を振り払って距離を取る。


「アンドリューが行きたくないって言ったんじゃない。一人で行く以外にどうしろって言うのよ」


 いつもだったら口答えなんてしないのだけれど……。今日だけは、どうしても流すことができずに言い返してしまった。私の態度が火に油を注いでしまったようで、アンドリューの表情が一層険しさを増した。


「お前、俺に口答えする気かっ!!」


 殴られると危険を察した私は、ギュッと目をつぶり衝撃に備えようとした。


「一体、どうしたって言うんだ」


 私たちの方に、数人が駆け足で近寄ってくる気配を感じて恐る恐る目をあけた。すると、私の家族が駆け寄ってきていた。アンドリューはまずいと思ったようで、振り上げた拳をサッとおろして私の父親と向き合った。


「いえっ。エリーナが、一人で夜の庭園に出たと言うので注意していたんです。ガルシア子爵様からも言ってやって下さい」


 アンドリューの言葉に、お父様は驚いた顔で私を見た。


「エリーナ、それは本当なのか? 何かあったらどうするつもりだったんだ」

「だって、アンドリューが……」


 説明しようとすると、アンドリューが横から私の言葉を遮る。


「エリーナは、月下の花を見に外に出たようです。僕が友人と話していて待ちきれなかったみたいで……。申し訳ありません……」

「ちっ、違うの。お父様聞いて!」


 アンドリューが、いつものように自分の都合のいいように嘘をついたので私はたまらなくなって父親に説明しようとした。しかし、今度は隣にいた母親に遮られてしまう。


「あなた……。周りの人たちが見ているわ。もう今日は、帰りましょう」


 母親の言葉に、父親はハッとしたのか周囲を伺うと、そうだなと言うようにうなずいた。


「アンドリュー、申し訳ないが我が家は帰ることにするよ。詳しいことは、家に帰ってからエリーナに話を聞く」

「わかりました。では、また」


 アンドリューは、ペコリとお辞儀をすると今度は私の方に体を向けた。近寄ってきて耳元まで顔を寄せて、他の人に聞こえないように囁く。


「おい、余計なことは言うなよ。言ったらわかっているな?」


 彼は、言いたいことを言い終えるとニヤっと笑って会場の人混みの中に消えていった。私は、何も言い返すこともできずに唖然としてしまう。

 

 いつも、いつもこうなのだ。悪いのは、いつも私だというように両親に言いつけてしまう。私が説明をしても、両親はアンドリューの肩を持つ。大人の前では、いい人ぶっているアンドリューなので私の両親からも信頼が厚い。


 しかも、アンドリューの性格の悪さを両親に言おうものなら、その後の嫌がらせが酷いことになる。それもあって、口答えはしないようになったし、両親にも誤解を解こうと思わなくなってしまった。


 もう、私は疲れていたのだ。諦めきっていたといってもいい。だから尚更、月下の花を見にいきたかったのだ。


「ほら、エリーナ行きましょう」


 母親に促されて「……はい」と力ない返事をした私は、家族の後をついて夜会会場を後にした。


 標準よりも小ぶりの馬車が、ガタゴトと王宮からの道を進む。ガルシア子爵家の屋敷は、王都の中でも貴族たちが住む地域から外れた場所にあるため四十分ほどかかる。王宮に近いほど、地価が高く大きなお屋敷が立ち並んでいる。


 私は、窓の外に立ち並ぶ立派な屋敷を目にしながら、素敵な建物だなとどうでもいいことを考えていた。そうでもしないと、アンドリューや両親に対しての怒りが込み上げてきて冷静ではいられなくなってしまうから……。


「……それで、月下の花は見られたのか?」


 静まり返っていた馬車の中に、父親の声が響いた。帰ったらお説教が待っているのだと思っていたから、父親の普通の問いかけに少しびっくりした。


「はい……。とても綺麗な花でした」


 本当だったら、あの時の感動が蘇ってきて興奮したように両親に報告していただろうけれど、さっきのアンドリューのことで疲れ切ってしまい声が弱々しい。


「だったらもういい。しっかりアンドリューが叱ってくれたようだから、もう私からは何も言わないよ。ただ、お前を心配して言ってくれているんだから、アンドリューを邪険にしたらいけないよ」


 父親の顔を見ると、心配から私のことを想って諭してくれていることがわかる。この顔を見ると、アンドリューと婚約破棄をしたいと言い出すことができない。父も母も、私がアンドリューと結婚することを昔から凄く楽しみにしていた。それを壊して、両親を悲しませていいのか分からずにグズグズとここまで来てしまった。


 アンドリューと婚約したのは、十年前の私が八歳の時だった。彼は、ミラー子爵家の長男で私とは生まれた時からの幼馴染だ。ガルシア子爵家とミラー子爵家の領地は隣り合っていて、父親同士の仲が良く昔からの付き合いが続いている。そういった関係だったから、年も同じだった私とアンドリューは、幼い頃からよく一緒に遊んでいた。


 それこそ、野原を駆け回って遊んでいた頃は本当に仲が良く今とは全く違っていた。あの頃のアンドリューは、もっと優しくて一緒にいて楽しいそんな存在だった……。だから、ミラー子爵家から婚約の打診をいただいた時も迷うことなく了承の返事をしたのだ。


 彼の態度が冷たくなっていったのは、十六歳で貴族の学園に入学してから。はじめのうちは、一緒に学園に通っていたのだけど段々と距離を置くようになって、いつしか今のように顔を合わせると意地悪なことを言ってくるようになった。


 私にはあともう一人、アイリスと言うコルダ―子爵家の幼馴染がいる。彼女が言うには、学園に入ってからアンドリューが友達に揶揄われることが多く、それで私に八つ当たりをしているだけなのだと教えてくれた。そう言われてから、アンドリューを注意深く観察していたら、なんと私のことを揶揄われていた。


「お前の婚約者、すっげー地味だな。可愛くなくて可哀そうだな」


 そう言われたアンドリューは、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに俯いていた。それを見てしまってからは、アンドリューの私に対する態度もしょうがないのかもしれないと諦めるようになった。


 でも、それから二年の月日が経って、どんどん態度が悪くなってくる婚約者に私自身が耐えられなくなっていた。最初の頃は、私のせいで揶揄われているアンドリューに罪悪感があったし、少ししたら昔のように優しい彼に戻ってくれるのではないかという期待もあった。


 それに、昔の優しかった頃を知っているだけに、両親の彼に対する信頼もわかる。だから簡単に、婚約破棄したいと言うことができないでいた。


 馬車の窓の外は、立派だった建物から姿を変え標準的な貴族屋敷が続く。小さな溜息を付きながら、私はどうしたらいいのだろうと暗い夜道を照らす満月をぼんやり眺めていた。


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