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002 秘密の約束

 侯爵令息の格好良さに大興奮して胸が一杯だったけれど、何とか平常心を心がける。だって、挙動不審に思われて変な子扱いされたくない。

 

「ガルシア子爵令嬢は、よくこの花のことを知っていたね。秘密にされている訳ではないが、何かで調べない限り知る者が少ない花だから」

 

 ボールドウィン侯爵令息は、無言の気まずさを気にして下さったのか、花を見ながら私にそう尋ねてくれた。

 

「はい。私、子供の時に妖精のおとぎ話が好きだったんです。その中に月下の花が出てくる描写があって、この花って本当に存在するのかなって子供ながらに気になって……。図鑑で調べたんです。そしたら本当にあって! いつか絶対に見てみたいって。十年越しに叶いました」

 

 私は話しながら段々と気分が高まってくる。だって本当にそうなのだ、幼いころから憧れていた月下の花を見ているのだから。

 

「そうか……。そんな貴重な場面に立ち会わせて貰えて光栄だね。私なんかで申し訳ないけれど……」

「そんなっ、こちらこそです! 貴重な瞬間を一緒に見させて頂いてありがとうございます」

 

 私は勢いよく頭を下げる。

 

「それはそうと、お願い事はしなくて大丈夫かい?」

 

 ボールドウィン侯爵令息が、とても大切なことを私に聞いてくれた。

 

「そうでした。すっかり忘れていました。あっ、あの……。お願い事してもいいですか?」

「私に許可をとる必要なんてないよ。いくらでもしてくれ。後ろを向いていようか?」

 

 ボールドウィン侯爵令息がすごく気を遣ってくれる。でも、わざわざ後ろを向かせるのも失礼な気がして丁重にお断りをする。それから私は、その場にしゃがみ込んで膝を立て、月下の花に対して祈りを捧げるような体勢をとった。


(どうか、どうかお願いします。一生をアンドリューと生きたくありません……)

 

「どうか、婚約破棄させて下さい。私は、結婚できなくてかまいません」

 

 私は、必死で月下の花に祈る。実は、月下の花には咲いている姿を見た者の願いを叶えてくれるという迷信がある。ボールドウィン侯爵令息は、そのことを知っていて私に願い事をするように勧めてくれたのだ。ただの迷信だけど、馬鹿にせずに勧めてくれる人柄が彼の性格を表しているようで優しい気持ちになれた。

 

 ひとしきり祈りを捧げた私は、ゆっくりと立ち上がりボールドウィン侯爵令息と向き合う。

 

「ありがとうございました。もう、思い残すことはないです」

 

 今日の目標を達成できて、満足げにニコリと微笑む。ボールドウィン侯爵令息は、少しだけ間をおいて口を開いた。

 

「エリーナ嬢は、結婚したくないのかい?」

「えっ?」


 私は驚いて目を見開き、みるみるうちに頬が赤くなった。

 

「もしかして私、口に出してました?」

 

 自分としては、心の中で祈っているつもりだったのに……。祈りが強すぎて口に出ていたらしい。とんでもなく恥ずかしい……。

 

「どうやら聞いたらいけなかったみたいだね……。申し訳ない……」

「いえっ、そんな。ボールドウィン侯爵令息様が謝ることでは。むしろ聞かせてしまった私が申し訳ないです」

 

 私は、ぶんぶん首を左右に振ってボールドウィン侯爵令息の言葉を否定する。

 

「私は、聞かなかったことにするよ。それと、エリオットと呼んでくれないか?」

「えっ? ですが……」

 

 突然のボールドウィン侯爵令息のお願いに戸惑ってしまう。侯爵令息のお名前をお呼びするなんて、分不相応なのではと考えてしまう。

 

「そんなに難しく考えないで欲しい。折角知り合えたのだから、硬い関係はなしにしようと思っただけなんだ」

 

 ボールドウィン侯爵令息の言葉を聞いて、それもそうだと納得する。少しだけしか話していないけれど、もしまた会うようなことがあったら挨拶くらいはしたい。

 

「わかりました、エリオット様。では、私のことはエリーナとお呼び下さい」

 

 エリオット様を見上げると、コクンと頷いてくれた。そして私は、もう一度月下の花に目を向けた。すると、大きな花びらが一枚一枚花開いていたはずなのに全ての花が閉じている。

 

「うそっ。さっきまで綺麗に咲いていたのに……」

「ああ、もうこんな時間だ。そろそろ戻らないといけない。エリーナも一緒に戻ろう」

 

 エリオット様は、ジャケットの胸ポケットから懐中時計を出して時間を確認してくれた。そう言われて見ると、祈りを捧げているのに夢中で時間のことをすっかり忘れていた。一緒に来ている両親が探しているかも知れない。

 

 エリオット様が、私に手を差し出してくれた。エスコートをしてくれるのだと理解すると、素直に嬉しさが込み上げる。毎日、アンドリューと一緒にいると普通の優しさが身にしみる。

 

 そっとエリオット様の手に自分の手を重ねて歩き出す。少し行ったところでエリオット様が立ち止まった。どうしたのかと、彼の顔を見ると私の目をじっと見つめていた。

 

「どうしました?」

 

 私は、直視されるのが恥ずかしくて少し俯きながら訊ねた。

 

「ちょっと動かないで欲しい」

 

 そう言ったエリオット様は、突然私の頬に両手を置いてそっと彼と私のおでこをくっつける。

 

「……ル……ㇰㇲ…。……セ……。……ㇻ」

 

 とても小さな声でなんて言っているのか分からない。彼が何かを言い終わると、私の顔が優しい黄色みを帯びた光に包まれ、温かな風を感じてフッと消えた。

 

「よし。これで大丈夫だ」

「えっ? なんですか」

 

 私は何が起こったのか分からずに、自分の頬っぺたを両手で包んでペタペタと叩く。

 

「少しだけど、目元が赤くなっていたんだ。もう大丈夫だから安心して」

 

 そう、エリオット様から言われて、庭園に出て来た時に自分が泣いていたことを思い出した。あの時はやけっぱちになっていたから、自分の顔のことなんて全く考えていなかった。泣いたことがわかった顔で戻ったら、またアンドリューに何を言われるかわからない。


 もしかして、最初にエリオット様が私の顔をみてハッとしたのは泣いたことに気づいたから? なんて恥ずかしいのかしら……。

 

 でも、なぜ? さっきのエリオット様の行動はなんだったの? 疑問だらけが次々と頭に浮かび、不思議そうな顔で正面に立つ彼の顔を窺った。

 

「これは内緒だよ。エリーナの秘密を聞いてしまったからね。おあいこだ」

 

 エリオット様は、人差し指を口元にもっていっていたずらっ子の様にふふふと笑った。無表情だった顔が、少年のような顔を覗かせて私の心はドキドキと煩いくらいに跳ねている。

 

「さあ、今度こそ本当に行こう」

 

 もう一度差し出された手が大きくて温かく、エリオット様の優しさに触れた気がする。今日のこの日を、私は絶対に忘れない。

 

 月下の花が咲いていたのは、王宮の庭園の中でもかなり奥まったところにある。知らなければ絶対に入ってこないだろう場所。ゆっくりと歩いてくれる歩調に私は夢のような気分を味わう。女性を尊重する優しいエスコートに、心が温まり嬉しさが込み上げる。

 

 ずっとこの幸せな時間が続いてくれればいいのにと思っていたけれど、無情にも夜会会場の出入り口が見えるところまで来てしまった。

 

「そろそろお別れだね。今日は、エリーナと一緒に月下の花を見ることができて嬉しかった。気を付けてお帰り」

 

 エリオット様は、握っていた手をそっと離すと私の背中をそっと押してくれた。ここからは、一人で帰りなさいと言っているのだと理解する。

 

「こちらこそ、色々とありがとうございました。私にとっても一生の思い出です」

 

 私は、深くお辞儀をして会場の入り口の方を見据える。あそこには、私の現実が待っている。会場の煌めきを示す明かりが、入口のガラスからこぼれ出ている。月明かりと足元にあるほのかな灯りのみだった庭園ともここでお別れだ。


 会場内を確認しようと、入口のガラス戸に目をやった。中の様子を見る前にガラスに映った自分の顔に視線があった。


 さっき、目が赤いと言われたのが気になったからかもしれない。でもガラスに映っている顔は、いつもの私だった。おかしいなと不思議に思っていたのだけど……後ろからエリオット様の声がして、意識がそちらに戻る。

 

「私は、少し時間をおいて戻るよ」

「はい。本当にありがとうございました」

 

 エリオット様は一つ頷き、私は会場の方に足を向ける。婚約者以外の男性と二人で、夜の庭園にいたことが公になってしまえば、皆に何て言われるかわからない。だから私は、もう振り向かずに一人で煌めく会場に足を踏み入れた。夜の暗さに慣れていた目は、その眩しさにチカチカする。

 

 出入り口の近くにいた人々は、私が中に入った瞬間、こちらに一斉に視線を向けた。だけど、私が一人だと分かると興味がなくなったのかそっと視線をそらされる。

 

 少し時間を置いてからエリオット様が入ってきたのだけど、今までの柔らかくて優しげな雰囲気から一転、誰も寄せつけないような無表情とオーラを纏いスタスタと私の前を歩いて行った。

 

 振り返ることもなく、私から離れていく背中にほんのちょっとの寂しさを感じた。


「面白かった」「続き早く!」など思って頂けたら嬉しいです。

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