013 ボールドウィン侯爵家への挨拶
いつも乗っているものとは、比べ物にならないほど乗り心地がよい馬車に揺られて、私はボールドウィン侯爵家に向かっている。エリオット様のお屋敷は、その位を象徴するかのように王宮の近くに位置していた。
勢いでガルシア子爵家を出て来たけれど、今になって緊張で胸がドキドキしている。エリオット様のご両親がどんな人たちなのか、何の下調べもしないままの訪問なので、何を話せばいいのか困ってしまう。
エリオット様は、私のことを気にかけているのでその確認のためだとおっしゃっていたけれど……。実は、やっぱり私みたいに地味で地位もない娘との婚約を、反対しているのではと心配する気持ちも少なからず拭えない。
「大丈夫かい? 顔が強張っているけれど」
向いに座るエリオット様が、心配そうな顔でこちらを見ている。
「すみません。ちょっと緊張してきちゃって……。エリオット様の結婚相手が、私なんかで本当にいいんでしょうか?」
私は、膝に置いていた手をギュッと握る。緊張から全身に力が入ってしまっている。
「エリーナ。君は、自分のことを過小評価し過ぎだと思うよ。僕の目には、とても可愛い女性が目の前に座っているのが見えるのだけど?」
「可愛いだなんて……。男性に言われたことなんてありません……。それに、良く考えたら私に侯爵家のお嫁さんが務まるのでしょうか……」
今日まで怒涛のスケジュールだったので、エリオット様と結婚をするこへとの実感があまりなく、彼のご両親に会うのもまだ先の話だと思っていた。だから、アンドリューとの婚約から解放された嬉しさばかりに気をとられていて、自分がどこに向かっているのか理解していなかった。今更ながらに、考えなしの自分を反省している。
「エリーナ。私と結婚することを、そんなに難しいことだと思わないで欲しい。頑張ってもらわないといけないこともあるかもしれない。けれど、どうしてもできないことは、人に頼むことだってできる。もちろん、私も隣で手助けはしていくつもりだよ」
エリオット様は、私を気遣うように話をする。そんな言葉を聞いていると、大丈夫な気がしてくるから不思議だ。きっと、支え合って生きていくつもりがあるからこんな風に言葉が出てくるのだろう。私も、助けてもらうだけではなくてエリオット様を助けられるようになりたいと心に小さな火が灯る。
「それに私は、凄く幸運な男だと思う。エリーナの可愛さに誰も気づかなかったのだから。クマのぬいぐるみみたいな可愛い色の髪は、ついつい触りたくなるし。好奇心旺盛で魅力的な瞳には、私を映してほしいと思う。チェリーみたいな艶やかな唇に――」
「わっ、わかりました! もう、その辺で許して下さい!」
エリオット様が、私を見ながら容姿をほめちぎってくるので居たたまれなくなって話を遮る。これ以上聞いていたら、馬車から逃げ出していたかもしれない。顔を真っ赤にして、手で覆ってしまう。恥ずかし過ぎてエリオット様の顔も見られない。
「それは残念。でも、これ以上言ったら逃げられてしまいそうだから、自粛するよ」
顔を見ることはできなかったけれど、エリオット様が楽しそうに笑っているのは何となく雰囲気でわかる。こんな風に褒められたことなんてないから、どうしていいのか全然わからない。逆にエリオット様を賞賛することならできるけれど……。今は、体の熱を逃がすのに精一杯だった。
馬車がガタンと止まり、目的地に着いたみたいだ。
「着いたみたいだね」
エリオット様が、馬車の扉を開けて先に外に出た。落ち着きを取り戻した私も、小さく深呼吸をして扉の前に進み出る。外で、エリオット様が手を差し出してくれた。その手を握りゆっくりと馬車から降りる。
降りた目の前には、足を踏み入れたことのない立派な邸宅がそびえ立っていた。一体この屋敷には、なん部屋存在するのだろうか? と思わずにはいられない。ボードルウィン侯爵家に圧倒されていると前方から声がかかった。
「お待ちしておりました。ガルシア子爵令嬢様、旦那様と奥様が応接室でお待ちです」
声のした方をみると、茶色い執事服に身を包んだ老齢の男性が姿勢ただしく迎えてくれた。私は、軽くお辞儀をして挨拶を返す。
「はじめまして。ガルシア子爵家のエリーナと申します。本日はよろしくお願いします」
老執事は、キリリとした緊張感のある顔を崩して微笑んでくれる。
「エリオット坊ちゃまが、女性のお客様を連れてくるなんて……。じいは、もういつお迎えが来ても思い残すことはありません」
「何を言っているんだ……。やめてくれよ、恥ずかしい。ほら、早くエリーナを案内してあげて」
エリオット様は、ちょっと涙ぐんでいる執事を押しだして屋敷の中に促している。大人で格好良い一面しかみてこなかったので、子どもっぽいエリオット様が見られて親しみを感じる。
(エリオット様にも、こんな可愛らしい一面があるのね)
エリオット様に呼ばれて邸宅の中に入ると、エントランス正面の大きな階段が目に入る。手すりは細かい細工が施されていて、落ち着いた上品なゴールドが屋敷の豪華さを表している。階段の中央には、幾何学模様が織り込まれた紺色の絨毯が引かれ足元までセンスの良さがうかがえる。
私が暮らしているガルシア子爵家の屋敷とは、比べるのも恥ずかしいくらいの豪華さで唯々圧倒された。
「エリーナ、こっちだよ」
立ち止まってしまった私は、エリオット様に促されて一階の廊下を進んでいく。廊下に飾られた花も、邸宅の雰囲気を壊すことなく美しく咲いていて感動するばかり。どこか夢の中にいるような気分でエリオット様の後を進んでいた。
「ガルシア子爵令嬢様、こちらでございます」
執事が、ノックをして扉を開けてくれた。先にエリオット様が入って、私もそれに続く。中に入ってまず目に入って来たのは、エリオット様のお母様でボードウィン侯爵夫人だった。
(とんでもない美人だ……)
ボールドウィン侯爵夫人は、ほとんど社交界に顔を出さないことで知られていて、もちろん私も顔を見るのは今回が初めてだ。エリオット様は、お母様に似ているのね……。煌めくような銀の髪に、目立ったアクセサリーはなく真っ直ぐストレートに下ろしている。月下の花のような神々しいくらいの真っ白い肌に、意志の強そうな瞳を携えた容貌。この世のものとは思えないくらいの美しさで、私はその場で固まってしまった。
「ごめんなさい。恐ろしくてびっくりしたでしょう? どうぞこちらに座って」
申し訳なさそうな声で、ボールドウィン侯爵夫人が立ち上がった。そして、私に座るように指示してくれたのは夫人が座っている側の席だった。私が部屋に入った時は、ボードウィン侯爵夫妻は隣り合って座っていたのに、わざわざ夫人だけが一人掛けソフォーに座り直している。私と対面しないように配慮してなのだと理解する。
私の態度が誤解させてしまったと気づいて大胆にも大きな声が出た。
「ちっ違います! ボールドウィン侯爵夫人が、余りにもお綺麗で驚いてしまっただけです。誤解させてすみません! そのまま、向かい合って座らせて下さい」
私は、大袈裟に頭を下げて相手方の言葉を待った。
「まあ、ごめんなさい。わたくしこそ、誤解してしまって……。綺麗だなんて、夫以外に言われたのは初めてだわ」
ゆっくりと頭を上げると、ボールドウィン侯爵夫人が真っ白な頬をピンク色に染めている。頬に添えている手も、指の一本一本が綺麗で恥じらっている姿がとんでもなく可愛らしい。
(こっ、こんなに綺麗で可愛らしい方がこの世に存在するなんて……)
この国だと、私の感覚がおかしいのだろうけれど……。もう、そんなことどうでもいいと思えるくらい凄まじい衝撃だった。
「えっと……、父上、母上、こちらがガルシア子爵家のエリーナだよ」
エリオット様に紹介してもらって、しっかりしなくてはと姿勢を正す。
「本日は、お招きいただきありがとうございます。ガルシア子爵家の次女エリーナと申します。どうぞよろしくお願いします」
私は、膝を折って丁寧な挨拶をする。
「突然の申し出に驚いただろう? 今日は、来てくれてありがとう。エリオットの父で、セドリック・ボールドウィンだ。こちらが、妻のリリアン・ヴォールドウィン」
「遠くて疲れたでしょう? どうぞおかけになって」
エリオット様のお父様は、普通の紳士的な男性だった。普通と言っても、はやり気品に溢れていて立っているだけで高位貴族の雰囲気が漂っている。
私は、会釈をして勧められたソファーに座らせてもらう。エリオット様のお母様も、私たちが座ったソファーの向かいに座り直してくれた。
全員が席につくと、先ほどの執事がお茶とお菓子を運んで来てくれた。色とりどりのお菓子たちは、見ているだけで美味しそう。うちで出されるお菓子と違って、飾り一つとっても細やかな職人の仕事がうかがえる。
「それで、エリオット。きちんとガルシア子爵様の許可は得られたんだね」
エリオット様のお父様の、威厳のある低音が室内に響き渡る。
「もちろんだよ。エリーナのご両親に、きちんとお許しを頂いたよ。凄く歓迎してくれて……。素敵なご家族だったよ」
エリオット様が、自信をもって自分の父親に報告をしている。横で聞いている私も、自分の家族を褒めていただいて何だか嬉しい。
「それは本当なの? エリーナ嬢、無理はしていない? もしかして息子に都合の悪いことを握られたりしていない? 引き返すのなら今しかないわ」
エリオット様のお母様が、真剣な面持ちで私に訪ねてくる。隣に座るお父様が、お母様の手を握りしめている。
「あのっ。私、エリオット様と婚約させていただくことになって本当に嬉しいです。私なんかでは、侯爵家のお嫁さんに相応しくないと思うのですけれど……。精一杯、頑張りたいと思っています」
私の言葉を聞いて、エリオット様のご両親は顔を見合わせて何かを考えている。
「エリーナ嬢、そう言っていただけるのは嬉しいのだけど。その……息子とずっと生活をすることになるんだ。本当に大丈夫なのかい? 物珍しさやお金欲しさだったらやめてもらいたいんだ」
「父上、それはエリーナに失礼です!」
エリオット様が、お父様の言葉に激高して声を荒げる。そんな姿のエリオット様にびっくりしたけれど、これはいけないと彼の手に触れ制止した。
「エリオット様、大丈夫です。私が言葉足らずでした」
「でも……」
エリオット様は、まだ納得がいかないと言った様子だったけれど私は首を振って否定する。ギュッとエリオット様の手を握り、私は口を開いた。
「ボールドウィン侯爵様、ボールドウィン侯爵夫人、決して物珍しさやお金目的でエリオット様からの求婚に応じた訳ではありません。信じられないと思うのですが……、私、エリオット様のお顔が好きです。あの、もちろん容姿だけではなく優しいところや気遣いができるところも素敵だと思っています。もしエリオット様が、男爵家のご子息だったとしても、目の前にいるお父様とお母様から生まれたエリオット様だったら、きっとこのお話をお受けしていました」
お二人を見ていればわかる。お互いを労わっていて、お父様はお母様をとても愛しているというのが伝わってくる。お母様もそんなお父様を、尊重して愛している。そんな二人から生まれたエリオット様だからこそ、こんなに素敵な方なのだ。
きっとこのご家族は、私が思っているよりも、容姿のことで散々嫌な目にあってきたのだろう。だからこそ、こんなに何度も確認しているのだ。私ができることは、お二人が安心してくれるまで何度だってエリオット様は素敵なのだと話すことしかない。
室内にしばしの沈黙があった。私の話を聞いて、ご両親はなんと思うのだろうと二人の言葉を黙って待った。
――――すると、ボールドウィン侯爵夫人の瞳からポタリと涙が一粒落ちた。




