011 幼馴染
エリオット様と話をした週末、私はアイリスに招かれて彼女の屋敷に遊びにやってきていた。アイリスはコルダ―伯爵家の長女で、お互いの母親同士の仲が良く私たちが九歳の頃、うちの領地に遊びに来てくれたのが始まりだった。
当時、アイリスの母親の体調が悪く、比較的気候が安定しているガルシア子爵家の領地に静養に来てみては? と母が勧めたことがきっかけだった。恐らく三、四カ月ほど、アイリスは母親と一緒に私の領地に滞在していたはずだ。その時に同じ年だったこともあって仲良くなった。
その頃には、私とアンドリューは婚約をしていて、まだ仲が良かったこともあり、アイリスが滞在していた期間はよく三人で遊んでいた。そんな縁があって、三人で幼馴染の関係が今も続いている。
「突然、呼びつけちゃってごめんね。他に予定とかなかった?」
アイリスは、私の向かいに座って申し訳なさそうに謝っている。アイリスがお茶のセッティングをしてくれたここは、彼女の部屋のバルコニーでコルダ―伯爵家のお庭が一望できる素敵な場所だ。
そこには、美味しそうなお菓子がテーブルに並び二人は向かい合って座っていた。
「大丈夫だよ。私もアイリスに話さないといけないことがあって、丁度良かったから」
私は、ティーカープを片手にニコリと微笑む。初夏の風が吹き、とても気持ちがいい。ここ最近ずっと、思い悩む出来事が多かったけれど、それが全てスッキリ解決に向かっているので心はとても軽い。いつも心配してくれるアイリスにも、そのことを話せると思ったら自然に笑顔が零れていた。
「話さないといけないことって? もしかしてアンドリューのこと? 婚約解消はやっぱり考えなおしたの?」
ちょっと表情の暗かったアイリスが、パッと目を輝かせて私に聞いてくる。期待に応えられないのは心苦しいのだけれど、私はゆっくりと首を横に振った。
「えっ? どういうこと……?」
アイリスが困惑した表情を滲ませる。
「アンドリューとは正式に婚約解消することになったんだ。私は、他の方と結婚することになったの」
「嘘でしょ……」
アイリスの顔が信じられないとばかりに歪む。
「まだ、公にはなってないのだけれど……。私は、アンドリューとは婚約を解消してボールドウィン侯爵令息様と新しく婚約することになったの」
「ちょっと待って、ボールドウィン侯爵令息ってあの? エリーナは彼を見たことがあるの? とんでもなく冷たい容貌をしているのよ? もしかして、脅されたりしたの?」
私の前に座るアイリスは、驚いた表情で怒りを露わにしている。
「アイリス、落ち着いて。私が希望したことなの。むしろ、私が悩んでいるのを知ってボールドウィン侯爵令息様が提案して下さったことなのよ」
「そんな……。だって、エリーナは大丈夫なの? 彼は、あなたを幸せにしてくれるの?」
私は、アイリスが心配してくれる気持ちが凄く嬉しかった。だけど、彼女は大きな誤解をしている。アイリスは、皆が思っているようにエリオット様が怖くて冷たい人だと思い込んでいるのだ。私からしたら、アンドリューと結婚した方が不幸せになるのは確定なのだけれど……。
「アイリス、私の話を聞いて欲しいのだけど……。私、アイリスに言われたからちゃんとアンドリューと話をしたのよ? だけど、アンドリューったら私になんて言ったと思う?」
「…………」
私の問いに、アイリスは答えられない。どうしてアイリスは、ここまでアンドリューの肩をもつのかちょっと不思議なくらいだ。
「アンドリューね、今の状況を一年だけ我慢しろって言ったの。結婚はちゃんと私とするからって。何もせずに大人しく一年後を待てって。こんな結婚じゃ、私もアンドリューも幸せにはならないと思うの」
「でも、それって結婚したらエリーナを大切にするってことじゃないの?」
私は、彼女の言葉を聞いて静かに首を振る。
「アイリス……。私、キャンベル伯爵令嬢と一緒にいるところを見てから、ずっとアンドリューを気にして見ていたわ。彼女を見る瞳と、私を見る目じゃ違いすぎる。もう、昔のアンドリューはどこにもいないのよ……」
学園で見かけたアンドリューの姿を思い出しながら、変わってしまった彼に寂しさを覚える。だけれど、こうなって良かったのだと思う私もいた。
「ねえ、アイリスはどうしてそんなに私とアンドリューを結婚させたがるの?」
ずっと思っていたことを、私は訊ねた。
「だって、学園に入る前はあんなに仲が良くてお似合いの二人だったじゃない……。だから私……二人だったらいいと思ったのよ……」
アイリスの表情が崩れて、目に涙を浮かべている。彼女の言った言葉をよく考えて、私はある考えにたどり着く。
「アイリス……あなた……」
私が、言葉を続けようとしたらバルコニーの扉が勢いよくバタンッと開いた。
「おい、アイリス! 聞いて驚くな! 俺、シンディーと結婚することになった!!」
勢い込んで入って来たのは、なんと笑顔が弾けんばかりのアンドリューだった。
「アンドリュー……」
私は、彼の顔を見て驚きの声を上げる。向こうも私の顔を見て驚いたようで大きな目を更に大きく見開いていた。
「なんだ、エリーナもいたのかよ……」
頬を紅潮させながら入って来たアンドリューだったけれど、一気に興ざめしている。
「申し訳ありません、アイリスお嬢様! アンドリュー坊ちゃまがどうしてもと無理やり推し通ってしまいまして……」
後ろから慌ててやってきた執事が、アイリスに必死で頭を下げている。アイリスを見ると、もう何かを諦めたような切なげな表情を浮かべていた。
「もう、いいわ。折角だから、アンドリューもそこに座りなさいよ」
開いていたもう一つの席を指さして、アイリスがアンドリューを促す。それを聞いたアンドリューは、図々しくも私とアイリスの間に腰を下ろした。
「それで、なんでアンドリューがキャンベル伯爵令嬢と結婚することになったのよ? 私が知っているあんたの婚約者は、隣にいるエリーナだと思ってたけど?」
アイリスが、いつもの様にハキハキと言いたいことをズバッと聞く。アンドリューは、私がいて一瞬は気まずそうな顔をしたけれど今はもう開き直っている。
「昨日まではそうだったんだけどな、父上がキャンベル家との縁談をまとめてくれたんだ。ガルシア子爵家と結ばれるよりも、伯爵家と縁づいた方が何かと得だと考えたみたいだ」
アンドリューは、自分の父親を誇らしげに話す。その横では、先ほどの執事がアンドユーのためにお茶を淹れてくれていた。
「そう。それはそれは、おめでとうございます? とんでもなく、ガルシア子爵家に失礼な婚約解消の理由ですこと」
アイリスは、怒ったように腕を組んでアンドリューを睨みつけている。
「いや、これは双方納得の婚約解消なんだ。エリーナにも、丁度別に縁談の申込が来ていたらしい。向こうも婚約者がいるのはわかっていて、駄目もとだったみたいだけどな。丁度良かったと、エリーナの父親も喜んでいたらしいぞ」
アンドリューは、執事が淹れてくれたお茶に手を伸ばして「やったぜ」とばかりにティーカップを掲げてから口をつけた。何だか、すごく憎たらしいけれど彼の話は本当なので何も言えない。むしろ上手くことが運んでいて感動すら覚えていた。
「そう、そしたら二人とも、私の知らない相手と結婚するのね……」
アイリスは、今の今までアンドリューの態度に怒っていたのに寂しそうな顔をした。
「わかったわ。ずっと迷っていたけれど、私も婚約することにするわ! 相手は、隣国の人だから幼馴染は解散。さあ、二人とも、もう帰って」
アイリスが、バンッと席を立って私たち二人を追い立てる。
「ちょっと待って、アイリス。婚約って……しかも、隣国って」
追い立てられながら私は、なんとかアイリスと話そうと言葉を紡ぐ。
「おい、アイリス。いきなりなんなんだよ」
アンドリューも、困惑している。
「いいから、今日は帰って!」
アイリスに部屋から追い出された私たち二人は、無言のままべつべつに帰宅の徒についた。
屋敷に帰ってきた私は、アイリスのことが心配でベッドに腰かけたまま悩まし気に溜息ばかりついていた。見かねたラナが、私の部屋を出てどこかに行ってしまう。戻って来たかと思ったら、一冊の本を手にしていた。
「お嬢様、この本ありがとうございました。エリーナお嬢様が言った通り、凄く面白かったです」
ラナが、私を元気づけようとわざとはしゃいだように話す。手に持っていたのは「地味令嬢の幸せ婚」だった。そう言えば、読んで面白かったからラナにも貸したのだと思い出す。
「面白かったなら良かった。ラナは、どこが一番良かった?」
「そうですね。やっぱり、主人公の少女が相手の男性に告白するところでしょうか? あの、こちらまでドキドキが伝わってくる描写が最高でした」
ラナが、その場面を思い出しているのかちょっと興奮している。私もあの場面は、とても心に残っている。地味令嬢が勇気を振り絞って、告白する場面は本当にドキドキものだった。
「私もあの場面はよく覚えているわ。心の中で頑張れって応援したくらいよ」
「そうですよね。私もです。お嬢様は、他にはどこが印象に残ってます?」
今度はラナに質問されて、私はちょっと考える。すると、すぐに頭に浮かぶ場面が出て来た。
「私は、あの二人きりでダンスの練習をする場面が心に残っているわ。月明りの下で二人だけのダンスレッスンをするの。最高にロマンチックだったわ」
私は、その場面を思い浮かべてうっとりする。
「あー、わかります! わかります! ダンスが苦手な令嬢のために、二人でダンスを踊るんですよね。素敵な場面でした。そう言えば、お嬢様もダンスは苦手ですよね?」
エマと楽しく盛り上がっていたのに、彼女の一言にドキッとする。実は、本当に私もダンスは苦手なのだ。だから尚更、あの描写が素敵で憧れずにはいられなかった。
「お嬢様、頑張りましょう。きっとこの先、絶対に必要になりますから」
エマの言葉に「そうよね」と諦めに似た返事をするほかなかった。だけど、エリオット様と見つめ合って踊る自分を想像したら、頑張れる気がした。




