010 エリオットの告白
「驚かせてすまない……」
私は零しそうになったティーカップをテーブルの上に置いて、自分を落ち着かせようと胸に手をおいた。今、エリオット様の口から「結婚」という単語が聞こえた気がしたのだけど……。
(私の聞き間違い?)
「エリーナ、順を追って話すから聞いてくれるかい?」
「もちろんです」
私は、エリオット様が口にした言葉にどんな意味があるのか耳を傾けた。
「昨日、エリーナは私に図鑑のお礼の手紙をくれただろ?」
「はい」
私はコクリと頷く。
「その手紙に、この前約束したようなことでは図鑑を頂いたお礼に見合っていないから、エリーナが役に立つことがあれば、協力させて下さいって書いただろう?」
確かに私はそう書いた。一体いくらかかったのかわからないあの図鑑と、出会った時に挨拶をするなんていう約束じゃ、とてもじゃないけれど交換条件にするには足りない。申し訳なさ過ぎて、他に私にできることはないですか? と聞いたのだった。
「その言葉が有効だったら、嫌じゃなければ私と結婚して欲しい」
私は、エリオット様の言葉を聞いて目をパチクリさせる。
(エリオット様と結婚? 私が?)
「嫌だなんて……そんな風には思いませんけれど……。私なんかで良いんですか? 私、小さな子爵家の娘ですよ?」
エリオット様の言葉が信じられなくて、聞き返してしまう。
「私にとって爵位なんてどうでもいいんだ。大切なのは、私自身を嫌がらないってことだから……。私は、自分の血筋を残さないといけないという使命がある。でも、この顔だろ? どの令嬢にも嫌がられてね……」
エリオット様の顔は、とても切実そうだ。
「本当はエリーナの願い事を聞いた時に、それならば自分と、と言ってしまいたかったけれど……。意地悪な婚約者から、嫌われ者に変わるだけなら意味がないと思って……。でも、エリーナの話を聞いていたら、私たちが結婚したら全て解決すると思ったんだ」
言葉を続けるエリオット様の声を聞いて、今までどれほど傷ついたのかと思ったら勝手に手が出ていた。エリオット様の手を両手で包み込んで勢いよく宣言する。
「エリオット様、私なんかで宜しければ、こちらこそよろしくお願いします! 嫌なんかじゃありません! むしろ、こんな格好良い人と結婚できるなんて嬉しいです!」
私は、勢いこんでとんでもないことを口にしてしまう。言い終わった瞬間に、私は何を言っているのだと後悔してしまうほど狼狽えていた。
「えっ? それは、どういう……」
エリオット様の顔もみるみる赤くなり、それを見た私は恥ずかし過ぎて握っていた手をパッと離す。
(こんなのまるで愛の告白じゃない……)
私は、火照って赤くなった顔を両手で隠す。何やら隣に座るエリオット様が、深呼吸をして息を整えているような気配がする。そろそろと、自分の手を顔から離して彼を覗うと照れた顔のエリオット様がそこにはいた。
美男子の照れた顔がとんでも可愛くて、私の心拍数が急上昇する。
「変なこと言ってごめんなさい」
言った内容は本心だけれど、出会ってまだ数回の人に言うことではないと必死に誤魔化す。
「それって、さっきの言葉は嘘ってこと?」
エリオット様の声に落胆が滲む。恥ずかしそうだった顔も自分の勘違いだったと思ったのか、表情が暗くなる。エリオット様の落胆を目の当たりにした私は、自分の気持ちを誤魔化している場合ではないと心を改める。この人は、ずっと傷ついてきたのだ。もっと寄り添うべきだった。
「ちっ、違います。正真正銘本心です」
私は、手を大袈裟に左右に振って本当だとアピールする。すると、エリオット様が突然私の顔に自分の顔を近づけてきた。
「君は、僕のこの顔が好きなの?」
「ち、近いです。エリオット様、近すぎです」
まださっきの熱だって逃がしきれていなかったのに、またしても私の体中の体温が上がる。さっきから響く、胸のドキドキが爆発しそうだった。
「僕の顔を嫌がらないばかりか、好きだなんて……。そんなことが……」
アタフタしていた私のおでこに、エリオット様のおでこが優しく触れる。
「エリーナ、ありがとう。…ァ……ゥㇻ」
エリオット様が何かを呟くと、あの夜会の時と同じように今度はオレンジ色の淡い光が、パアーと辺りを包み込みあっという間に消えてしまった。
「今のは……?」
これは一体何なのだろう? 私は、消えてしまった光を追うように顔を上向ける。おでこを離してくれたエリオット様の優しい微笑みと視線がぶつかった。
「きっとエリーナを守ってくれるよ。これは、二人だけの秘密」
そういって、人差し指を唇に当てた。何なのか知りたいけれど、この前も教えてくれなかったので、踏み込んではいけないことだと瞬時に察する。でも、悪いことではないことだけはわかる。
包み込む光に、エリオット様のような温かい優しさを感じるから。
「はい。秘密ですね」
私の中にある疑問を全部押し込めて、私もにっこりと微笑んだ。きっといつかは、教えてくれることを祈って。
それから私たちは、これからのことを話し合った。私とエリオット様が結婚するということで、お互い納得はしたのだけれど……。私には、まだ婚約者がいる。それを解消しなければ、いくら侯爵家の令息とだからといって二人が結婚はできないからだ。
「あのっ。できるだけ穏便に、アンドリューと婚約解消をしたいんです」
私は、アンドリューとの婚約が解消されればあとは何も望まない。できればアンドリューとキャンベル伯爵令嬢が結ばれてくれればと思うけれど……。それは、二人の問題なので私が口を挟むことではないと思っている。
「わかっているよ。それは私に任せて欲しい。できるだけ早く、君のご両親に手紙を書くつもりだ。まずは、帰ってからすぐにうちの両親に話をするから」
エリオット様は、座っていたソファーから立ち上がって飲み終わったティーカップを片づけ始める。
「待って下さい。片づけは私がしますから!」
当然だとばかりになんでも自分でやってしまうエリオット様に、私はさっきから驚いてばかりだ。本当だったら、私が率先してやらないといけないことなのに……。先に動けなくて恥ずかしい。彼の後に続いて、私も立ち上がって自分のティーカップを片づける。
「私が洗っておきますので、エリオット様はご帰宅されても大丈夫ですよ?」
部屋の隅に小さな洗い場があるのはわかっていたので、そこまで食器を持っていく。
「そうかい? 別に僕がやってもいいのだけど……。でも折角だからお願いするよ」
そう言って、エリオット様は私の横に歩いてきた。何だろう? とエリオット様を見上げると、彼が私の手を取って左手の薬指に優しくキスをした。エリオット様の柔らかい唇が私の指先に触れた瞬間、何が起こったのかわからなかった。
「両親との話し合いが終わったら、連絡するから待っていて欲しい。では、先に失礼するよ」
握られた手をそっと離されて、名残惜しそうな顔をしたエリオット様が部屋を去って行く。本来なら返事をしなくてはいけないのに、呆然としたまま言葉が出ない。
「あっ、ソファーに置いてある本は、忘れずに貸出処理をするんだよ? じゃあ、また」
扉の前で、一度振り返ったエリオット様はにっこりと微笑んでそのまま退出していった。
私は、エリオット様の唇が触れた手を凝視する。あんな風に、宝物みたいな扱いをされた経験がなくて、体中が熱をもったように熱くなる。顔も耳も手も、体中が真っ赤になっているのが自分でもわかる。
「もう、色々恥ずかし過ぎる……」
私は、顔を覆ってその場にうずくまる。キスされたドキドキもさることながら、「地味令嬢の幸せ婚」を見られていた恥ずかしさが体全身に駆け巡っていた。




