第15話 箱庭の崩壊
祝宴の狂乱が嘘のように静まり返った、深夜の玄武殿。
私は2人の子どもと眠っていた。
不自然なほどの静寂が、私の本能を叩き起こした。いつもなら、隣にあるはずの温もりもなかった。
「白蓮?」
寝室を出ると、白蓮が月明かりの中に、手には剣を携えて立っていた。
私に気づいた彼は、ゆっくりと振り返った。
その顔には、今にも消えてしまいそうなほど、儚い笑みが浮かんでいた。
すべてを、これから起こる凄惨な結末までも悟っているような、あまりにも哀しい慈愛の微笑み。
その直後、玄武殿の重い扉が、轟音とともに蹴破られた。
「殺せ! 偽りの皇太子の首を刎ねろ!」
闇夜から殺気立つ刺客が現れ、白蓮を取り囲んだ。
「きゃあ!誰か!」
「無駄だ、近衛などいない!」
白蓮は剣を瞬時に抜き放つ。
「下がれ愛璃!」
白蓮の叫びとともに、銀光が走った。
それは剣術というより、死を招く演舞だった。
白蓮は舞衣を翻すように身を躱し、無駄のない軌道で刺客の喉元を切り裂いていく。舞神の優雅さはそのままに、けれど、白蓮が舞うたびに赤い血飛沫が闇を彩る。
今まで見たことのないほど、白蓮の顔は美しかった。
愛する家族を守るという執念が、その一振りに凄まじい威力を与えていた。
次々と刺客たちを物言わぬ肉塊に変えていく。
「愛璃、子供たちを!」
私は夢中で寝室へ走る。そうだ、私にもやらなければならないことがある――!
「おぎゃあぁ!」
凛克が火がついたような声を上げている。
寝室の扉を開ける。
「遅かったな」
「驍宗兄様……!」
混乱に乗じ忍び込んでいた驍宗が、黎克の喉元に、剣を振り下ろした。
「この種が、すべての元凶だ!」
「黎克――!!」
私の悲鳴よりも早く、白蓮が動いた。
まるで、閃光のような一瞬のことだった。
「……が、っ……」
驍宗が崩れ落ちる。
白蓮の剣が、喉元へ深々と突き立てられていた――
殿内を重苦しい静寂が支配する。
返り血で緋色の衣を着たような白蓮が、肩を大きく揺らしていた。
「……ちちうえ?」
黎克の瞳が大きく開く。
「怪我はないか?」
その時だった。無数の足音が玄武殿の床を震わせた。
振り向くと、何百もの松明が屋敷を囲んでいる。
「――そこまでだ」
静寂を割る声の主。
近衛兵を率いて悠然と姿を現したのは、琉克だった。
「お兄様……!」
事切れた驍宗の遺体を一瞥し、それから勝ち誇ったような笑みで白蓮を見据えた。
「白蓮、お前は自らの立場を忘れ、あろうことか皇族である驍宗を殺害した。これは紛れもない、帝位を狙った叛逆である」
白蓮はゆっくりと、琉克へ血がついた剣の切っ先を向けた。
「ほう、面白い。今度は皇帝殺害を目論むか。しかし、お前が剣舞で俺に勝てたことがあったかな?」
「いいえ、一度たりともありません。舞神など飾り名です。琉克様に敵うものなど、何人ともいないのですから」
その潔い降伏に、琉克は満足げに目を細めた。
驍宗を焚きつけ、自らの手で「皇族殺し」という大罪を犯すよう仕向けた――。
この凄惨な夜のすべてが、琉克が書き上げた台本通り。
抗っても、あがいても、この男の手のひらからは逃げられない。
「逆人、白蓮! 舞神の称号は剥奪、皇女・愛璃とはこれをもって離縁とする」
カランッ……。
白蓮の剣が床に落ちる。
「黎克、少しだけ目を閉じなさい」
白蓮は少年のような悪戯な目をしたあと、震える私を力強く引き寄せた――
周囲の兵士たちが思わず視線を背ける。
「あっ……んっ!」
ゆっくりと離れてゆく唇。
引き抜かれた舌先から、まるで白蓮の髪のように、銀色に光るひとすじの糸が伸びた。
月光に透けて儚くきらめくその糸が、プツリと途切れる。
琉克は、その一部始終を愉快そうに見届けると、
「白蓮を捕らえよ」
琉克の冷たい命令とともに、近衛兵たちが白蓮を地面に組み伏せ、その美しい銀髪を掴んで無理やり引き摺り出していく。
「白蓮、いかないで! お兄様、お願いやめて!!」
白蓮は振り返らなかった。
彼から漂っていたあの蓮華の香りが、夜風にかき消されていく。
「黎克、この夜を決して忘れるな」
琉克は震える黎克を抱き上げた。
その顔は、自分こそがこの物語の真の勝者であると確信した、悪魔のような微笑みに満ちていた。




