第31話 誰も勝たなかった日
議場の空気は、異様なほど静かだった。
国家教育案。
学ぶ側の改革案。
双方の資料が、机の上に並んでいる。
議長が、短く告げた。
「採決に入ります」
深呼吸の音すら、聞こえそうだった。
結果は、明確だった。
国家案――修正の上、継続審議。
学ぶ側案――否決。
どよめきは、小さい。
怒号も、拍手もない。
ただ、疲労だけが残った。
――誰も勝っていない。
ミレイユの案は、理想的すぎた。
国家案は、重すぎた。
議会は、最も無難な選択をした。
「現状維持を基本とし」
「段階的な見直しを行う」
それは、前進でも後退でもない。
ただの保留だ。
散会後、廊下はざわめいていた。
「思ったより荒れなかったな」
「結局、何も変わらん」
その言葉が、すべてだった。
変わらない。
執務室に戻ると、トーマが立っていた。
「……終わりましたね」
「ああ」
「これで、あなたの責任も」
言葉を濁す。
「軽くはならない」
正直に言う。
責任は、消えない。
ただ、薄まるだけだ。
夕方。
ミレイユが、静かに現れた。
「……否決でしたね」
「そうだ」
彼女は、怒っていなかった。
泣いてもいない。
「予想はしていました」
「悔しいか」
問いかけると、少し考えた後、答えた。
「……悔しいです」
一拍。
「でも」
「壊れなかった」
その言葉に、胸が軽くなる。
「暴動も、弾圧も」
「ありませんでした」
確かに。
何も起きなかった。
だが。
「何も起きなかった」ことは、
実は、かなり難しい。
「私たちは」
ミレイユが続ける。
「急ぎすぎましたか」
「急いだ」
即答する。
「だが」
続ける。
「急がなければ、声は届かなかった」
彼女は、静かに頷いた。
「なら」
「無駄では、なかったですね」
「無駄ではない」
本心だった。
国家案も、通らなかった。
完全統制も、強化されなかった。
地下私塾も、即時解散にはならなかった。
――何も、決着しなかった。
だが、すべてが露わになった。
夜。
エドガーに呼ばれる。
「……終わりました」
「ええ」
「あなたの案も」
「彼女の案も」
「はい」
彼は、静かに言った。
「議会は、賢明でした」
「保留は、賢明ですか」
「賢明です」
即答だった。
「革命より、摩耗の方が安全だ」
その理屈は、理解できる。
「あなたは」
彼は、こちらを見る。
「どう思いますか」
しばらく、考える。
「……教育は」
ゆっくり言う。
「革命に向いていません」
「ですが」
「摩耗に耐えられるほど、強くもない」
沈黙。
エドガーは、わずかに笑った。
「あなたは」
「最初から、国家向きではなかった」
「知っています」
否定しない。
執務室に戻り、一人になる。
書類の山。
未処理の案件。
継続審議の山。
改革は、終わった。
いや、終わらなかった。
ただ、形を失った。
机に肘をつき、目を閉じる。
教育は、国家を変えなかった。
民衆も、国家を変えなかった。
だが。
声は、残った。
疑問も、残った。
それだけで、
十分だったのかもしれない。
俺は、ゆっくりと息を吐く。
――ここまでだ。
そう、はっきり思った。
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