第23話 国家の席
返答期限は、翌朝だった。
逃げる時間は、与えられていない。
それ自体が、答えを示している。
夜明け前。
王都の空は、低く、重かった。
宿舎の机に、二枚の書類が並んでいる。
一枚は、教育行政中枢への正式任命書。
もう一枚は、辞任届――白紙だ。
どちらを選んでも、失うものがある。
だが、選ばなければ、すべてを失う。
辺境伯領の学校。
夜学の灯り。
声を失ったリーナ。
血を流した通過者。
全部が、一本の線で繋がっている。
「……逃げたら」
小さく呟く。
「全部、他人の手に渡る」
それだけは、耐えられなかった。
朝。
王城の一室。
エドガーが、すでに待っていた。
「結論は?」
短い問い。
「……受けます」
自分の声が、思ったよりも落ち着いていた。
エドガーは、わずかに頷いた。
「賢明です」
「これで、あなたは“外部の善意”ではなくなる」
分かっている。
「教育行政局・制度設計担当」
彼は、書類を差し出す。
「肩書きです」
重い紙だった。
「あなたは、もう言葉だけでは動けない」
「数字と責任で、動いてもらう」
「承知しています」
即答だった。
拒否すれば、制度は止まらないまま暴走する。
中に入れば、止められる保証はない。
それでも。
何もできない場所に立つよりは、ましだ。
昼。
新しい執務室。
窓は高く、街が遠い。
人の声は、届かない。
「……ここから見ると」
独り言が漏れる。
「人は、点だな」
トーマが、書類を抱えて入ってくる。
「正式発表が出ました」
「反応は……荒れています」
「当然だ」
「ミレイユからも」
一瞬、言葉を選ぶ。
「連絡がありました」
「何と?」
「“分かりました”と」
「それだけです」
それが、一番重い。
夕方。
初めての内部会議。
再審制度の停止。
評価基準の再統一。
教師資格の中央管理。
議題は、どれも“正しい”。
だが、その正しさの中に、
人の顔は、ほとんどない。
「意見は?」
問われる。
俺は、一瞬、迷い、
それから、はっきりと言った。
「再審制度は」
「形を変えて、残すべきです」
視線が集まる。
「声を上げた結果、血が流れました」
「だからといって」
「声を消せば、同じことが繰り返されます」
沈黙。
「代わりに」
続ける。
「責任を明確にしましょう」
「誰が判断し」
「誰が説明し」
「誰が責任を取るのか」
それは、痛みを伴う提案だった。
エドガーが、こちらを見る。
「……あなたは」
「中に入っても、変わりませんね」
「変わりました」
即答する。
「もう、外から理想を言いません」
「中から、遅らせます」
会議室に、微かなざわめき。
それが、俺の役割だ。
夜。
執務室に一人残る。
机の引き出しに、
辺境伯領からの古い帳簿が入っている。
文字が読めなかった、あの頃の。
あそこから、ここまで来た。
教育は、人を救った。
同時に、人を切った。
そして今――国家の一部になった。
もう、戻れない。
だが。
完全に、飲み込まれたわけでもない。
俺は、椅子に深く腰掛け、息を吐いた。
ここが、次の戦場だ。
**国家教育編、開始。**
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