第10話 教える資格
その訪問者は、予告もなく現れた。
朝の学校。
授業の準備をしていると、入口のほうがざわつく。
「……神殿の人だ」
誰かが、小声で言った。
灰色の法衣。胸元の紋章。
この領でもよく知られた、地方神殿の司祭だった。
「アルヴェイン卿」
司祭は、丁寧に頭を下げた。
「少し、お時間をいただけますかな」
嫌な予感は、的中していた。
応接室で向かい合う。
司祭の名はヴァルド。穏やかな口調だが、目はよく人を見ている。
「噂は、耳にしております」
「子供たちに、学問を施しているとか」
「はい」
「神殿の許可なく?」
その言い回しに、わずかに引っかかりを覚える。
「この領地では、領主の裁量です」
「なるほど」
ヴァルドは、ゆっくりと頷いた。
「ですが、学問とは、本来――」
「神より授けられるもの、ですな」
予想通りの言葉。
「選ばれた者が、正しく扱わねばならぬ」
「そうでなければ、人は傲慢になります」
俺は、即座には反論しなかった。
言葉を間違えれば、火に油を注ぐ。
「司祭殿」
「我々は、文字と数を教えているだけです」
「それが、問題なのです」
ヴァルドは、静かに言った。
「文字を知れば、書を読む」
「書を読めば、解釈をする」
「解釈は、時に、信仰を揺るがす」
つまり。
**教えること自体が、危険**だと言っている。
「神殿は、秩序を守っています」
「それを壊す教育は、看過できません」
その日の午後。
学校の前に、人が集まり始めた。
「子供を、神に背かせるな」
「勝手な教えをやめろ」
大声ではない。
だが、確実に圧をかけてくる。
子供たちは、不安そうにこちらを見る。
「……俺たち、悪いことしてるのか」
小さな声。
胸の奥が、ひりついた。
夜、父のもとへ向かう。
「神殿が動いたか」
「はい」
「厄介だな」
「力は、あります」
宗教勢力は、剣よりも厄介だ。
正面から否定すれば、敵になる。
「どうする」
父の問いに、すぐには答えられなかった。
翌日。
俺は、ヴァルド司祭を、再び学校に招いた。
「授業を、見ていただけませんか」
司祭は、少し驚いたようだったが、承諾した。
その日の授業は、特別だった。
「今日は、“読む”理由を考えます」
板に、短い文を書く。
『倉庫の鍵は、三つある』
「これを、読めないと、どうなる?」
子供たちが考える。
「……開けられない」
「誰かに、頼むしかない」
「では、読めたら?」
「確認できる」
「騙されない」
司祭は、黙って聞いている。
「次」
今度は、簡単な計算。
「数えられないと、どうなる?」
「足りないのに、気づけない」
「数えられたら?」
「無駄が分かる」
俺は、司祭を見た。
「これは、信仰を壊しますか?」
ヴァルドは、すぐには答えなかった。
授業が終わったあと。
司祭は、静かに言った。
「……知は、確かに危うい」
「だが」
視線が、子供たちに向く。
「無知は、もっと危ういのかもしれませんな」
完全な理解ではない。
だが、敵意は薄れていた。
「条件があります」
ヴァルドは続ける。
「神殿として、教育内容を確認したい」
「特に、思想に関わる部分を」
監視だ。
だが、拒否すれば対立が深まる。
「……分かりました」
俺は、頷いた。
「公開します」
「隠すつもりはありません」
司祭は、満足そうに息を吐いた。
その夜。
ガルドが、低く言った。
「また一つ、鎖が増えたな」
「ええ」
だが。
「首輪には、まだなっていません」
学校は、守られた。
ただし、条件付きで。
教育は、自由ではない。
だが――完全に縛られてもいない。
その曖昧な均衡の上に、
学校は、危うく立っていた。




