第87話 ……これが、今朝賞味期限切れの生卵をジョッキで飲んでトイレに籠ってた人と同一人物なの?
今までで一番注目されてる……
天鬼りあの人生史上、多分これ以上に注目を集めたのは中学の時の公開告白の時と、あとは…『屍コレクション』関東予選一位通過した時壇上に呼ばれて、レア屍『桃山さん家のポチ』を貰った時…くらい?
視線の束が熱を帯びて私達を見てる。
心臓の鼓動が早くなっていく。
デビューのライブはきっと、これより沢山の人が来るんだ……
「皆さんこんにちは!私達は〜…」
『FOOLSですっ!!』
万理華さんのMCで路上ライブが始まった。
人がさらに集まってくる。
その理由はもちろん……
大勢の視線…それも好奇の類の眼差しを一番に受けてる琴音ちゃんをチラリと見る。
琴音ちゃんは真っ直ぐ、目を逸らないで、素顔を晒したまま、その視線を受け止めてた。
……あの合宿の初日、万理華さんに対して怯えて小さくなってた琴音ちゃんが…
今の彼女は堂々と、ここに集まって自分を見てる一人ひとりの顔を覚えようとしてるくらい真剣な顔付きで立ってる。
その小さな体は力強くて、誇らしかった。
私の仲間はこんなに強いんだって……
「それとー、今度秋葉原のサーキットフェスに出る予定だからー…みんな今日の歌聴いて中毒になったら来「『ぽいずんちゃん』どーして急にアイドルなんですかー!?」
紗良ちゃんの喋りを遮って群集からそんな声が飛び出した。
一瞬私達の顔が強ばる。その声には明らかな、嘲笑の色が滲んでたから……
「Y〇uTubeはどーしたんですかぁ!?」
分かってたし、覚悟してた。
多分、琴音ちゃんが一番。
「…………」
万理華さんとはーちゃんの顔が引きつった。その理由は予想通りの野次に対してじゃなくて、静かな笑みの中に煮えたぎるような憤りを隠しきれない紗良ちゃんの表情だ。
ヤバい……
紗良ちゃんの沸点の低さに半ばパニック。これは予想してなかった。
琴音ちゃんの事を特に特別に思ってる紗良ちゃんだ。もしかしたら…琴音ちゃんがネットで色々言われてた時点で腸が煮えくり返ってたのかも…
慌てて万理華さんに視線を向けるけど、万理華さんは力強く頷くだけだ。
大丈夫、紗良は抑えられる…そう言ってるみたいだ。
なら信じ……
「炎上させてチャンネルBANになったの謝らなくていーんですか?」
「あ?(怒)」
ダメじゃん……
紗良ちゃんの濃密な「あ?(怒)」に万理華さんとはーちゃんが茄子くらい青くなった。いや、紫色だった。
「……おーい。お前さては『さいたまシスターズ』観てねーな?チャンネルはBANされてないし大体「ごめんなさい」
額に青筋立てて笑顔で口撃に転じた紗良ちゃんを遮ったのは……琴音ちゃんだ。
今まさに野次を飛ばされ、辱められてる張本人。紗良ちゃんを咎めるように一瞥してから頭を下げた。
「事務所の意向で今はその事について詳しく説明できません。でも、必ず説明の場を設けるので、もう少し待ってください」
頭を下げたまま、大人の対応に徹する琴音ちゃんの姿に、嘲りの気配に満ち始めてた群集の空気が凪いだ。
琴音ちゃんのそれは万理華さんと星熊さんから言いつけられていた通りの対応だった。
……琴音ちゃん。
琴音ちゃんのその対応に誇らしさを感じつつ、同時に場の温度が急速に下がっていくのを感じる。
この人達は私達の歌を聴きに来たわけじゃない…
この人達は琴音ちゃんを興味本位にからかいに来ただけ…
それも分かってた。覚悟してた。
『ぽいずんちゃん』とアイドル活動をするという事は、そういう目に晒されるって事なんだ。
……それでも。
ぶつけられてた視線の束が解けていって、蒸し暑い外気に溶けていく中で……
設置したワイアレススピーカーが大音量で震え出した。
「っ!」
流れ出す超人気歌手『宇宙きらり』の楽曲に私の体が反応する。
全身を占めてた屈辱感と悲しさが一気に降下して、熱いものが込上がってきた。
突然ミュージックスタートして、スマホを放り出した我らがセンター……
錦野星羅が一歩、その場でステップを踏む。
せいちゃんのパフォーマンスは私達への関心を失った全ての人達の意識をジャックする。
あの合宿で、せいちゃんが私達の前で始めて歌ってみせたあの瞬間が想起する。
せいちゃんの声が、身振りが、淀んだ空気を震わせて、蹴散らした。
むせかえるような残暑の熱気を塗りつぶして、内側から湧き上がる発熱を観客に植え付ける。
もう、誰も琴音ちゃんを見てない。
私達も見てない。
都内の片隅の、誰かの日常の風景の一角に過ぎないこの場所が今、サイリウムに埋めつくされたライブ会場かのように錯覚する。
鼓膜を通ってくるせいちゃんの声が、空間そのものを創り替えるみたいだ。
堂々と、そして…キラキラしてる。
眩しい……
弾けるような笑顔、悩ましげな目元、かと思ったら悲しげに噤む唇…
宇宙の内側みたいに色とりどりに変化する歌詞の色に合わせて七変化するその表情は、視覚的にも私達を惹き込んだ。
この歌に込められた感情を体現してるみたい。
……これが、今朝賞味期限切れの生卵をジョッキで飲んでトイレに籠ってた人と同一人物なの?
それはスターのオーラ…そこにはカビ臭いアパートのトイレの臭いはないよ。
直前までトイレから出られなかったせいちゃんのお腹の心配なんて消し飛んで、ついでに私達も歌うのを忘れて、魅入ってた。
「みんなさぁーっ!!」
……紗良ちゃんか言ってた事が思い起こされる。
アイドルになって、誰も無視できない存在になって……
復讐という暗い動機に彩られたものだけど、紗良ちゃんが思い描いて口にした存在って…きっとせいちゃんみたいな存在だ。
「どーでもいい事訊く前にまずは、私らの歌聴いてきなよーーっ!!」
だってもう、誰も……この人から目を離せないんだもん。
……気づいたらもう道が塞がるくらいの人が集まってた。道路を挟んだ向かい側からもカメラを向けてる人が居る。
都会の真ん中に突如として出現したライブ会場はその熱気を伝搬して拡散されていく…
それはネットの電波に乗って、時間も超えて広がって行くんだろう…
せいちゃんと並んで歌う私の声を聴いてる人が何人居るんだろう。
レッスンの時には感じなかった焦燥感みたいなのが募る。アイドル活動を初めてからおそらく始めて、楽しい以外の感情が浮上してきてた。
視線がどこに向かって収束してるか、無意識のうちに追ってる。
これもコーチの言ってた、見てる人を意識するって事なんだろうか…?
少し……悔しい……
そんな事を考えて、観客の視線を意識してたからだろうか。
私の目はある一点を捉えた。
……あれ?
人垣に埋まるようにそこに立つ人影。
黒いキャップを被った、黒い無地のTシャツの人。マスクをしてて顔の全容は分からない。
その、一見雑踏に溶けて消えそうなその人の姿は私の意識を強烈に引っ張った。
人目を惹く格好じゃない。
でも、キャップのつばとマスクに切り取られたその琥珀色の形のいい瞳には普通じゃない気配が滲んでる。
この人……琴音ちゃんを見てる。
間違いなかった。
せいちゃん以外に意識を向けてる人は少ない。
その中でその人は、その他大勢の視線の束に負けない熱量を感じさせる、必死とも言える程熱い眼差しを、瞬きも忘れて琴音ちゃんに向けてる。
深い奥行きを感じさせる透明な、宝石みたいな瞳…
それだけでその人が、一般人じゃない事を分からせた。
この目……見覚えがある…
まさか……荻窪はぁと?
ぽいずんちゃん。次は必ず……会いに行きます
文字から滲んだ狂信的な愛がドロリと琴音ちゃんを包んでた……気がする。




