第86話 それを人は恋と呼ぶ
「『FOOLS』の皆さんには感謝しかありません」
『ママと撫子』のリーダー、マリッジブルーの里子さんとの食事は、スケジュール的に余裕のない私にとってはあんまり気乗りするものじゃなかった。
…まぁ、それでも先輩だものね。
「夏祭万理華さん、もっとあなと仲良くしておけばよかったと、今更思います」
「私もです」
「あなた達のおかげで私達は新しい人世を始められます」
「里子さん…お礼なんていりません。私達はなにも『ママと撫子』の為にデビューするわけじゃないんだから…」
「……そうですよね。ご活躍を祈ってます」
「ありがとうございます」
こういう場は苦手。
大人との食事はご飯の味がしないわ。陽の作ってきたご飯は美味しかった。おかげで次のお泊りが楽しみ……
って、ご飯食べる為に星羅の家に泊まりに行くわけじゃないんだ。
しっかりしろ万理華。みんなに負担を強いてるのは私なのよ…
「どうしましたか?夏祭さん」
「いえ…」
「お料理がお口に合いませんか?」
「いえ……いや。あの…これってなんの料理ですか?」
「フルーツバットスープですよ?」
「ああ…このコウモリ、フルーツバットっていうんですね…これ、保健所とかなんか言わないんですか?」
「?」
「……なんでもないです」
「友人がやってるお店なんです。今度は『FOOLS』の皆さん全員ご招待します」
「お気遣いなく…」
一体どんな経緯があってこの料理を日本で出そうと思ったのかしら。
もしかして気が乗らないのはこのスープのせいでは?
あぁ…りあの奴は今頃お父さんに美味しいご飯食べさせてもらってるのかしら…
「皆さん、インドネシアの料理は苦手ですか?」
「インドネシアの料理なんですね…」
「なら、せめて是非最後のライブには来てくださいね」
やべ…貰ったチケットどこ仕舞ったっけ?
「天鬼さんは来てくれないようですが……」
「え?そうなんですか?」
「なんか……『TRY AGAIN』のライブに行くとか…」
あぁ…なんかそんな事言ってたわね。
私達のライブも2ヶ月後なのにそんな余裕が果たしてあるか…
「ファンみたいですね」
「いや、あの子はアイドル全然知らないから……」
「でも、絶対に行くんだという固い決意を感じましたよ?」
「友達との約束みたいだし……」
「固い決意を感じました」
「……」
「先輩の引退ライブを蹴る程の」
「……」
「断固とした決意を感じました」
……チケットなくしたかもって言ったら怒るかな?
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「琴音ちゃん『TRY AGAIN』の荻窪はぁとって知ってる?」
星羅の家。
相変わらず地獄みたいな進捗の歌詞制作中、りあからその名前が出た。
琴音はその質問に眠そうな目をしばたたかせて小首を傾げる。
「有名だもん。知ってるよ?」
「そーいえばライブ行くんだったね、りあちゃん」
陽がその事に言及したら、なぜかりあは目を泳がせた。
「ま…ぁね」
「?」
「どうしたの?」
「いや別に…ところではーちゃんは今日泊まるの?」
「うん。少しでもアイディア出さないとね。どうしたの?」
「いやー…せいちゃん的に大丈夫かなと……」
「?私はいいけど?この前もはーちゃん泊まったじゃん」
「え?何?りあちゃん、何か不都合でも…?」
「何でもないよぉ~…」
……?
「それでね?琴音ちゃんの新しいアカウントなんだけど…その『TRY AGAIN』の人にフォローされてるんだ」
「え?そうなんだ…わぁい」
自分のスマホで琴音のアカウントを見てみる。なんか…めっちゃフォロワー増えてる。
まあ元が有名人だし不思議じゃないか。
「なんで琴音のアカウントこんなにフォローされてんの!?私なんて毎日今日の下着投稿してんのにまだ30人だぞ!?」
「紗良!?今すぐやめなさい!!」
なんてもん投稿してんの!!
「有名人にフォローされたからかな?琴音ちゃんすごいねぇ」
「えへへ」
陽に甘やかされて満更でもなさそうな琴音。そしたらりあが深刻な顔で…
「……琴音ちゃん。その人ブロックして」
「え?なんで?」
「関わらないで」
「……りあ?」
「ダメ、ゼッタイ」
「怖いよ…」
なんか…様子がおかしいわね。
「なに?どうしたのよりあ」
「いや……」
私の問いかけに答えようとしたりあの声に紗良のやかましい笑い声が重なった。
「さてはガチ恋ファンだな?琴音に嫉妬してんだー」
……ガチ恋?
「みんな気を付けろ~。デビューしたらこーいうの出てくるぞ~。なんせ私らはカワイイから!!がはは!!」
「紗良ちゃん、真面目な話なの」
「うんうん。りあ、気持ちは分かる。照れんでいい。けどね?…アイドルとファンの間には決して埋まらない距離があんだぞ?深くて長~い、マリアナ海溝並みの」
「だから……」
「みんな手動かしてよぉ」
りあは何か言いかけたけど星羅の死にかけのカエルみたいな悲鳴でこの話は終わった。
ただ、私の中には引っ掛かるものが残り続ける……
……ガチ恋。
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モヤモヤした日が数日続く。何がそんなに引っかかってるのか自分にも分からないけど、なんかモヤモヤしてる。
でもこの時期にそんな事考えてる余裕もないから、切り替えようと務める……んだけど。
「熱心に観てんねー。『TRY AGAIN』?」
「うん」
「この子が荻窪はぁとちゃんだよ」
「うん知ってる」
「この子はねー、ヤンデレキャラなんだって。あとね、荻窪はぁとちゃんのファンは洗脳された変態しか居ないんだって。なんかね、推し変したら親衛隊に殺されるらしい」
「詳しいね。紗良ちゃんもファンなの?」
「ううん、別に」
……りあ、やたら熱心に『TRY AGAIN』の動画観てるじゃん。
路上ライブの準備そっちのけでスマホを真剣な目で見つめてるりあの背中をじっと見てた事に気づく。
いけない……こんな事してる場合じゃないから。
「りあちゃん、さてはよっぽど好きなんだな〜?」
「ううん。詳しくないから…どんな人かを知りたいだけだよ」
「それを人は恋と呼ぶ」
なにが「それを人は恋と呼ぶ」よ。
「もー紗良ちゃ「二人とも!遊んでないで手伝って!!」
私の鶴の一声に二人は弾かれたように立ち上がって準備する。
そんな二人の背景には…路上ライブスペースの前に集まり始めてる大勢の人集りがあった。
路上ライブは二回目…SNSで一応告知はした。でもこれって……
ちょっと異常だわ。
弱小事務所の、ろくに宣伝もしてない、よく分かんないポッと出アイドルグループの、デビュー前の路上ライブ……
人集りは既に30人は軽く超えて、通行に支障をきたすレベルの人の壁ができてる。
……これも琴音の影響ね。
この人達の大半は琴音目当てにやって来てる。横目で小さな仲間の横顔を見た。
もしかしたらプレッシャーに押しつぶされてるかも……
でも、琴音の横顔にはプレッシャーの気配は無い。どこまでも静かに流れる渓流のように、その表情には感情の起伏すら感じられない。
怖いくらいに落ち着いて見えた。
その静けさがむしろその小さな体を押しつぶさんばかりの「覚悟」を表してるようにも見えた。
少し不安になる。
……でも、とにかく落ち着いてはいるわね。
改めて集まった人数と視線を意識したら、つま先の方から痺れに似た冷たさが登ってくる。
しっかりしなさい、夏祭万理華。私はリーダーでしょ…
今日は『FOOLS』全員での路上ライブ。
まだ残暑を振りまく陽光は容赦なく頭上から私達を焼いている。
その暑さのせいなのか、緊張のせいなのか…出処不明の汗を感じつつ、私は全ての雑念を振り払う。
この時期が琴音の……私達全員にとって大事な時期。
この一回いっかいのパフォーマンスが、この先の私達の芸能人生を決める。
よし……切り替わった。
瞼を閉じて、また開けて……
懐かしい感覚が私の中に呼び覚まされてたわ。
私はここに戻ってきた……




