第6話 お家に帰ったらお母さんと読んでください
天鬼りあ、16歳、夏。
高校生活最初の一学期が早馬の如く駆け抜けて終わり、夏休みが始まる…
夏の訪れを喜ぶような晴れ渡る青空のキャンバスに、この夏に向けて力強く芽吹いた新緑が深みをまして散りばめられ、眩しいくらいの夏模様だ。
そんな今日……
「ママ、いってきます」
夏休み初日、玄関先でスニーカーのつま先で床を叩く私をエプロン姿のママが見送る為に立ってる。
ママは寂しそうに眉を下げて名残惜しそうに手をわきわきさせてた。そんなママの姿を見てると家を出るのが申し訳なくなるけど…
「りあちゃん。何かあったら電話するのよ?」
「大丈夫だよ、いってくるね」
「気をつけてね?」
大きめのキャリーケースに手をかけながら私は人生のネクストステージへの一歩を踏み出した!
「ほ〜たぁ〜るの〜ひぃ〜かぁ〜り」
「ママやめて。ご近所さんが変な目で見てるから」
酸素と水と美女、美少女の百合によって生きてる女、天鬼りあ。
私が歩を進める道の先にはてぇてぇで埋め尽くされた濃厚な百合畑が広がってる……
……はずっ!!
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遡る事1ヶ月前。
お笑い芸人人生に1ヶ月で終止符を打った私の前にまさかの、アイドル事務所からのスカウトがやって来たの。
「……どないするん!?」
お笑い劇場近くの喫茶店で受け取った名刺を見つめる私に、対面の桜太夫は問いかける。
この人もお笑い芸人としての人生にピリオドを打つ決断をした。
その矢先の出来事だった。
「桜太夫はどうするんですか?」
桜太夫もまたスカウトを受けてる。ほぼ答えは決まっている私が彼女の意思を確認したのには、やはりこの1ヶ月の芸人生活で植え付けられた芸能界の過酷な現実が不安材料としてあったから。
「ウチは……」
この人も一緒にやってくれないかな…
1ヶ月とはいえ一緒にやって来た仲だし…新しい挑戦を前に知人と一緒にというひと押しが欲しい。
語尾だげ元気ハツラツな先輩芸人の顔色を伺う。
でも、なんか乗り気じゃなさそうだな…
「ウチは芸人一筋やからなぁ…それに、ウチみたいなガサツでちょっと可愛いだけの女がアイドルやなんて…!!」
「ちょっと可愛い自覚はあるんですね」
「天逆毎太夫はどないするん!?」
「その呼び方はちょっと…私もう吉原新喜劇辞めるんで……」
「じゃあ……天鬼はどないするん!?」
「私は……」
もう一度名刺に視線を落とす。
オーディション番組で砕け散った私に降って湧いたチャンス。一度は見失った女の子だけの世界への切符は今、この手にある。
オーディションじゃない。スカウトだ。私はアイドルになれる。
大丈夫だ。吉原新喜劇みたいなコンプラガン無視の事務所はきっとそうない。私はブラック事務所にたまたま当たっちゃっただけなんだ。
「やろうと思います…元々アイドル志望だし」
「そっか……!!」
それがいいと思う!!って言ってくれてるような顔で桜太夫は私の決意を受け止めてくれた。
「桜太夫はどうするんですか…?」
「ウチは……実家に帰るわ!!」
「……芸人も辞めちゃうんですか?」
「今更何言うてん?ウチはもうダメや。あんたも分かっとるはずやろ?ウチにはお笑いの才能、あらへんねん…!!」
「でも……今日が初舞台だったんですよね?」
夢に敗れた桜太夫の顔があんまりにも悲しげで…
しかも心を折ったその初舞台が私とのコンビでだったもんだから…
このまま私だけ違う道に行く事を決めて別れるのがなんだか申し訳なくなっちゃう。
「諦めるには早くないですか?」
「せやけど、あんたはウチとコンビは組んでくれへんのやろ!?」
心に棘が刺さった。
「ええんや。意地悪言うてるわけやない。あんたにはあんたの道があるんや!!」
「別に一人でもお笑いは出来るし……コンビだったら他の人でも……」
「あかん!!」
「……どうして…私にそこまで拘って……」
「いや……あんたに拘っとる訳ちゃうんやけど!!」
違うんだ……
どう説明したものかと思案する顔で手元のアイスティーのグラスを指先で弄る桜太夫。その表情は一変して穏やかで、なぜしつこく芸人の道に引き留めようとするのかと私に対して鬱陶しさを抱いてる気配じゃない。
真剣に、出会ってひと月の後輩に説明しようとしてくれてる。
「理屈やないんよ……お客さんの前で芸して、分かってもうてん…!!」
「私の力不足もあります」
「それはちゃう。むしろ逆や!!」
「逆?」
「お客さん誰も笑ってへんかったけど、ウチらの事は見とったやろ?初めは誰も興味無さそうな顔しとったのにや……天鬼、あんたが喋りだしてからや!!」
その言葉の意味に私の心に刺さった棘が一層深く胸を抉った気がした。
「あんたには芸人の素質はあらへんかもしれんけど、人を惹きつけるモンはあるんや!!ウチがあんたに声掛けたみたいに…今日のお客さん達があんたを見たみたいに…あのアイドル事務所の人があんたに声掛けたみたいに、や!!」
「……」
「その光るモン、無駄にしたら勿体ないわ!!」
それじゃあ……私がトドメを刺したみたいじゃないか……
「……どうしてもお笑いじゃなきゃダメなんですか?」
「え!?」
「桜太夫さんも声掛けられましたよね?」
「天鬼…!!」
「もし桜太夫さんがその気なら……」
「あかんわ。分かっとるはずや。それも、あんたのオマケとしてなんや!!」
「そんな事……」
もうこれ以上言葉をかけても桜太夫の自尊心を踏みにじる行為にしかならないだろうな。
そもそも、私がそこまで強く引き留める理由もない。
「私は……楽しみに待ってますよ。桜太夫がM-1出るの……」
「……天鬼、あんた優しいな!!」
芸能界は桜太夫の進むべき道じゃなかったのかもしれない。
だとしたら桜太夫は自分の道に戻っていったんだ。それが自分の望む道じゃなかったとしても、進むべき道があるのなら人は、自然とそちらに歩みを進めていくのかもしれない。
ならば……私は…………
天鬼りあはこの道を歩ききる事ができるかな?
「……ちなみにこれが地元帰ったら結婚せなあかん男の面や!!」
「え?マジで猪じゃないですか!?」
「アホか、これは被りもんや。ウチの集落の風習で、男も女も15超えたら素顔見せたらあかん事になってんねん!!」
「どこなんですか桜太夫の地元って!?めっちゃヤバいとこでしょそれ!!てか、じゃあ地元の人みんな猪じゃないですか!?」
「いや、今のトレンドは鹿や。こいつはセンスがズレとるから猪被ってん!!あかんわ!!」
「鹿ならセンスがいいんですか…?」
「鹿の方が塩顔イケメンやんけ!!」
「……??」
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スカウトを受けることを決めた後、私とあのスカウトの人は再び喫茶店で再開。その場所は吉原劇場前の喫茶店。桜太夫との別れの場所。
「改めまして…POPプロダクションの星熊です」
「てへ☆」
星熊さんの隣には桜太夫も居た……
「えー…?何してるんですかぁ?地元で猪、待ってますよ?」
「いやぁ……やっぱウチ、20歳で結婚はちょっとって思てな!?」
ありえなくない?
「なんだったんですかこの前のアレは?」
「ウチ猪王山より熊徹派やねん!!」
「塩顔がタイプって言ってたのに……猪王山と熊徹なら猪王山の方が塩顔ですよ?」
「それは個人の主観によるやろ!?」
「……まぁたしかに…」
まぁ地元に帰って結婚して動物の顔被るのが嫌だったんだな…
茶番はここまで。
「ではお二人には当事務所と正式に契約していただく事になります」
「いいんですか?桜太夫。アイドルですよ?」
「ウチ、アイドルもイケるおもてんねんけど!!」
「確認ですけど…吉原新喜劇は退所されてきたんですよね?」
「それ、驚きなんですけど私所属すらしてなかったみたいで…」
辞めるって言いに行ったら「お前はうちの芸人じゃないから好きにしろ」って冷たく言い放たれて、今までの下積みはなんだったんだよと口がへの字に曲がった。
星熊さんがテーブルの上に書類をいくつか並べて「お家に帰ったらお母さんと読んでください」と説明をぶん投げる。契約に関する書類らしい。
桜太夫はアホみたいな面しながら「はーい!!」って仕舞おうとしてたけど星熊さんから「あなたはこの場で書名と捺印お願いします」だって。
私はママと読もう。
これで私もアイドルに……
今までとは全く違う人生の予感を前に心臓が痛いくらいに高鳴ってる。
これから女の子による女の子の為の女の子だけの百合畑が……
「……さて、説明は以上なんですけど」
星熊さんが説明を切り上げた。驚くべきはなんの説明もなかったのに説明が切り上げられた事だよ。断じて私が現実から幽体離脱してたわけじゃない。
書類を読め。星熊さんの威圧的な眼光にそう書いてある。
「早速ではありますがお二人の適性を見たいので…この後お時間ありますか?」
「え?適性?」
「今更そないな事言うん!?ウチらに可能性感じとるから声かけたんとちゃうん!?」
「違います」
ええ!?違うんだ!?じゃあなんなんだ!?
「天鬼さんの歌唱力はオーディション番組で拝見しました……桜朋花さん、あなたの歌唱力を見せてもらいたいんですが…」
「恥ずかしい!!本名で呼ばんとって!?」
「歌やダンスのご経験は?」
「あらへん!!」
星熊さんの顔には驚きも失望もなかった。この人多分、片っ端から声掛けて来たんだろうな…で、アイドルやりますって酔狂なのがここに二人…
まぁその後星熊さんにカラオケに連れて来られて指定された曲を歌わされたんだけど…結果はご察し。
誰もなんの反応も示さない冷めたカラオケ内で星熊さんは唐突にこんな事を尋ねた。
「天鬼さん、高校生でしたよね?夏休みはいつからですか?」
「え?夏休み?」
……そして冒頭に戻るってわけです。




