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第26話 傷つけたのは……私の方だ

 紗良さんが部屋から飛び出して一階まで転がり落ちてきたのは、私達が消えた琴音ちゃんを探しに応接室を出たのとほぼ同時だった。

 尋常じゃない取り乱し方をした彼女の姿に呆然とする私達を前に……


「カニっ!!カニカニカニカニ!!カニ!!」


 以上が紗良さんの証言です。


「やべぇデカさのカニが天窓から私を見下ろしてたんだって!!しかも人面の!!」

「……なんかそんな話あったな。津原泰水の短編集に」


 紗良さんの要領を得ない説明だけで全てを察した私達は屋敷の外に出て紗良さんの部屋の方に回る。

 そしたら紗良さんの部屋の前に植わってる巨木をえっちらほっちら降りてくる可愛いおしりが見えました。

 事件解決。


「あなた何してるの!?」


 寿さんがドン引き。降りてきたのはヘイケガニのマスクを被った琴音ちゃんだ。

 水色のジャージを汚しながら着地した彼女が私達について外に出てきた紗良さんと向かい合う。二人の間に無言の緊張が走ってる。


 私達はその光景をただ見守った。どちらかが口を開くまで…


 多分ここから始まるのは両者による激しい感情のぶつかり合い……戦いになる。

 なんとなくだけど私には、琴音ちゃんの気持ちも紗良さんの気持ちも分かる気がしてるんだ。


「……紗良」


 先に戦端を開いたのは琴音ちゃんだ。

 グロテスクなマスクを脱ぎ捨てたその双眸はお世辞にも柔らかなものじゃない。

 対する紗良さんもアザの残る顔で琴音ちゃんを見下ろしてる。


「なんで逃げたの?」


 琴音ちゃんが問いかける。

 目の前に現れ、自分からマスクを脱いだ琴音ちゃんの姿に紗良さんの顔に僅かな動揺が滲むけど、それはすぐに毒蛇のような表情に隠れちゃう。

 そして私達に見せ続けた悪意の仮面を被った。


 侮蔑の色を滲ませた紗良さんの毒蛇の眼光が琴音ちゃんを見下ろす。


「…こんな所まで追いかけて来たわけ?そりゃ逃げるでしょ?いきなり顔面に蹴り入れるような野蛮人、とても怖くて一緒に居られないし」

「……それについては謝る」

「いい、いい。面倒臭い。私はもうあんた達とは関わらない。うざったい女が消えてあんたも清々でしょ?これでアイドル頑張れるね」


 嫌味を多分に含んだ口の利き方に万理華さんが口を開きかけるのを私は止めた。


 今は見守るべき…


「紗良はアイドル諦めてどうするの?」

「は?そんなの関係ないじゃん」

「関係ある。私と喧嘩しなければ紗良はアイドル

 になるはずだったんでしょ?アイドルに、なりたいんでしょ?私のせいで紗良がやめて…それで私がアイドルになったって気持ち悪いだけ」

「なんか勘違いしてるみたいだけど…私がアイドル諦めるのはべつにあんたは関係ない」

「じゃあなんなの?」

「……だからそれをあんたに話してやる義理はないよ」

「ある」

「ない」

「あるっ!一緒に練習した仲間だろ!?」


 声を張り上げる琴音ちゃんの迫力と、飛び出した言葉に紗良さんがギョッと左目を見開いた。でもすぐに硬直した肉体は弛緩して、平常心を保とうと大きく胸を上下させ呼吸を整えた。


「……そもそも、お前なんかがアイドルになれるはずがない。もうみんな知ってんでしょ?あんたがネットの嫌われモンだってさぁ」

「……」

「私の事なんて気にしなくていいよ。どーせ私が居ようが居まいが…お前がアイドルになんてなれっこないんだからさ!」


『ぽいずんちゃん』の過去を抉られて琴音ちゃんの言葉が止まった。

 しばらくの沈黙が湿った風に乗せられて二人の間を駆け抜けていく。


 琴音ちゃんが口を開いたのは、時間にしてたっぷり1分は押し黙った後…


「……私が居るのが迷惑だから、アイドル諦めるの?」

「……」


 紗良さんは何も返さない。でも、彼女の表情は辛そうに歪んでる。もうその仮面を維持する事すら叶わないみたいだった。


「……私みたいな嫌われ者が居たら邪魔だから私を追い出そうとしてたんでしょ?」

「……」

「気づいてる事には気づいてた。初対面の私に紗良が嫌がらせしてくる理由なんてそれくらいしか思い当たらないし……」

「……」

「嫌われ者だって事くらいお前に言われなくたって分かってる…自分がどれだけ滑稽な事をしようとしてるのかだって……分かってるっ!」


 琴音ちゃんの声が徐々に熱を帯び始めた。


「……だったらやめろよ」


 呼応するように、紗良さんの声にも…


「だったらお前が消えろよ。なんなんだよ、お前……目障りなんだよ。分かってんだよな?お前が居ると迷惑だって。炎上した元Y〇uTuberなんて、受け入れられるはずがない。グループにとってお前は癌だ。お前が何考えてるのか知らないけど、お前一人のせいで全員の夢が潰えるかもしれないんだぞ?」

「……」

「私はお前に付き合って恥を晒して心中する気はない。お前がやめないなら私がやめる」

「やっぱり私が理由じゃん」

「答えろよ。お前はなんで今更戻ってきたんだ?叩かれて傷つけられて、そのまま引きこもってたらいいのにまた性懲りも無く表舞台に出ていこうとして…また傷つけられるの分かってるよね?バカなの?」

「……」

「自分を傷つけた連中に媚び売るような仕事選んで……お前何考えてんだよ気持ち悪い」


 これが多分……紗良さんの本音。

 語るその表情はまるで自分の古傷を抉られてるみたいに辛そうだった。

 紗良さんは…傷つけられた自分の過去と琴音ちゃんを重ねてるのかもしれない。


「傷つけたのは……」


 琴音ちゃんが俯いたまま口を開いた。


「傷つけたのは……私の方だ」

「……は?」

「私はいっつも短絡的で怒りっぽくて…私のせいで空気悪くなって、チャンネルそのものが無くなって……みんな私の事好きじゃない事なんて分かってる。でも、私達のチャンネルの動画を楽しみに観てくれてた人が大勢いたのは事実なの…それを私の一時の感情で全部台無しにした」

「…………は?」

「ファンを傷つけたのは私の方なの…」

「はぁ!?」

「だから私は変わらないといけないの!変わりたいの!!変わって!みんなに謝らなきゃいけないの!!」

「意味分かんねぇよ!!お前はなんも悪くないだろうがっ!!!!」


 ぶつけられた紗良さんの大声がその場に沈黙を落とす。自分の発言にハッとした顔をして口を噤む。


 紗良さんはいじめを受けてた。彼女の話を信じるならそれは目を失うほど壮絶なもの。

 そして父親の不祥事で家族は離散、この家での扱いもあまりいいものじゃないはず。

 そんな紗良さんが琴音ちゃんの事を純粋に嫌悪できるはずないんだ。


「……お前を見てるとイラつくんだよ…」


 なにか言わなきゃって焦って口走ったみたいに紗良さんが毒づいた。

 琴音ちゃんは何も言わない。


「言ってる意味も訳わかんねぇし…ウジウジしてるし……変わりたいなんて言ってる割に全然だめじゃんか」

「……分かってる。紗良の言葉で……目が覚めた気がする」


 二人の視線が交差する。互いの瞳が互いの姿を映す。互いの存在を確かめ合うように…


「紗良の言ってた事何も間違えてない」

「……お前」

「紗良が言ってくれなかったら、紗良にマスクを剥がされなかったら、私は変われないままだったかもしれない…今からだって、変われるか分からないけど…」

「……」

「これだけははっきり言えるよ…紗良。あなたがいないと、私はアイドルに……なれないっ」


 紗良さんの顔はくしゃくしゃに歪んでる。罪悪感のせいか…残された左目は琴音ちゃんを眩しそうに見つめてる。辛そうな顔をしていても、その目は琴音ちゃんから離れない。


「私が迷惑で、居ない方がいいって思っても…この合宿が終わるまで結論を待ってほしい。合宿が終わって、紗良がまだそう思うなら…私は消えるから……だから紗良」

「やめろよ……」

「紗良はやめないで」


 *********************


 毎日観てた。

 クソつまんないチャンネルの動画を。観てたのはつまらない企画でも、嫌悪感を抱かせるメンバー達でもない。

『ぽいずんちゃん』をずっと観てた。


 こいつは嫌われてる。

 動画の企画という建前で散々ないじめを受けてる。

 それでもこいつは動画に出続けた。


『ぽいずんちゃん』の何がそうさせたのか分からなかったけど、私は思う事にした。


 私みたいな惨めで、情けなくて、弱っちくて、支えがないと消えてしまうのに誰からも相手にされないような弱虫達に……「大丈夫だよ」って語りかける為に『ぽいずんちゃん』は動画に出続けてるんだって。


 身体を痛めつけられ。

 心をくしゃくしゃにされ。

 存在を奪われ。


 そんな私が今日まで生きてきたのは、この人の姿を見続けられたからなのかもしれない。





「……紗良さんは琴音ちゃんの事、邪魔だなんて思ってないですよね」


 天鬼りあが口を開いた。

 何も言い返せない黒沢紗良を追い詰める。

 何も聞きたくなかった。

 琴音の…『ぽいずんちゃん』の真っ直ぐ過ぎる眩しい、太陽みたいな姿を前にしたら、その光が生み出す私の影が一層暗くて惨めで…


 復讐なんてものの為にこの子の道を閉ざそうとした自分が許せなくて……


 でも、拒絶の殻を簡単にすり抜けてりあの声は鼓膜を通る。

 静謐で柔らかいくせに無視する事を許さない。私の意識を後ろから包み込んで振り向かせる声だ。


 そんな声が私の心に語りかける。


「初日会った時、紗良さんは琴音ちゃんに優しかったじゃないですか…」


 語りかけてくる特別な声が否が応でも私の心を解らせる。


 もう拷問だった。

 発狂死しそうだ。


 ……でも、氷が溶けた気がした。




「紗良」


 私の命を支えてくれた人が私の名前を呼んだ。誰にも見向きもされない、存在を消された私の名前をその声で呼んでくれた。


「殴ったり蹴ったりしてごめん」


 氷塊が溶けて剥き出しになった私の心臓に、暖かな血潮が流れて、何もかも抜け落ちた私の身体に命の温もりが駆け巡る。



 ……この子が私の事を見てくれるなら、私は…生きていてもいいのかもしれない。



「…………私も、酷い事言って……ごめん」



 ごめんなさいの言葉は素直に口から溢れ出た。

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