第21話 その名前で呼ばないで
一週間を超えても最後の一人は現れない…
二日目の休みを経て再開された地獄の特訓日。
いつものように保養所から麓の町までの炎天下マラソンの最中に事件は起きた。
「……ねぇ、マスク脱げってば」
「ハァハァハァ……」
過酷な体力作りの最中でも余裕が崩れる事のない紗良さんはやはり今日も琴音ちゃんに張り付いて嫌味を垂れ流してた。
ちなみに、今日のマスクは豚さん。
「キツそうじゃん。もうやめて家に帰れば?」
「……ハァハァハァッ」
「てかさ、そのマスク汗臭いんですけど?隣は走ってる人の迷惑考えて?」
「……ナラ……サキニイケバイイジャンッ」
「……あのさぁ」
紗良さんがいつにも増して攻撃的な色を帯びた眼光を至近距離からぶつけてくる。
「こんなにレッスンがキツイのってお前がダメダメだからなの気付いてる?お前が全体の足引っ張ってんだよね」
「……」
琴音ちゃんの足が止まった。
真っ先に異変に気づいたのは前を走ってた陽さんと、琴音ちゃんの後ろで瀕死だった朋花さんだ。
それに気づいて先頭の万理華さんも止まった。
「ウジウジした態度もずっと顔隠してんのもキモイんだよ、お前」
連日の嫌がらせでも折れない琴音ちゃんにとうとう業を煮やしたのか今日の紗良さんはえらく攻撃的だった。
今までの遠回しな嫌味とか馬鹿にした口調じゃなくて今日は明確な罵詈雑言を浴びせてる。
「ちょっとっ!!」
万理華さんが真っ先に止めに入ろうとする。
でも……
「無視すんなよ!!」
紗良さんに突き飛ばされた琴音ちゃんが思いっきり倒れた。
その場の全員が二人に向かって駆け出す。
騒然とする現場を無視して紗良さんは起き上がろうとしない琴音ちゃんの上に馬乗りになる。
まずい…絶対まずいっ!!
「やめてくださいっ!!」
「紗良!!やめなさいっ!!」
陽さんと万理華さんの制止の声も無視して馬乗りになった紗良さんは琴音ちゃんのマスクを乱暴に掴む。
「私は絶対この世界で成功するんだっ!!」
「紗良さんっ!!」
「お前に邪魔されてたまるかよ!!ふざけたなりしやがって……っ!!お前なんかがしゃしゃり出てきてんじゃねぇよ!!嫌われモンがっ!!」
私の声も虚しく……
強引に引っ張られたマスクは琴音ちゃんから引き剥がされて、乱暴に引っ張られた琴音ちゃんの後頭部はアスファルトに打ちつけられた。
「いい加減にしなさいっ!!」
そこで万理華さんが紗良さんを琴音ちゃんから引き剥がす。
紗良さんを無理矢理立たせた万理華さんが頬を打った。紗良さんの頬で空気の破裂するような音が鳴ってよろける。
紗良さんは敵意満々な目で万理華さんを睨みつけてた。
「琴音ちゃんっ、大丈夫!?」
「頭打ったんか!?」
そして倒れたままの琴音ちゃんに陽さんと朋花さんが駆け寄る。
琴音ちゃんは二人に支えられゆっくりと立ち上がった。傍らには投げ捨てられたマスク。彼女はそれを拾う意思はない様子で、寄り添う二人からそっと離れていく。
「あかんて、じっとしとき!頭打ったやろ!?今!!」
朋花さんの制止も聞かず……
琴音ちゃんが小さな体をゆらゆら揺らしながら紗良さんの方へ……
私の前を横切るその横顔……琴音ちゃんの素顔を見た時……
あれ?
こんな状況なのに私は驚きに心臓が飛び跳ねた。
だってその顔は私の知ってる顔だったから。
「一体なんのつもりなの!?」
一方、紗良さんは万理華さんの怒号に晒されてる。不貞腐れた子供のような表情で万理華さんを無言で睨みつける紗良さんに、顔を赤くした万理華さんは今にも手を出しそうだ。
こっちもまずい……っ。
「あのっ!二人とも一旦落ち着いて…」
とにかく止めないといけない。この場を収めないと。その一心で二人に駆け寄った私の前に割り込むように、琴音ちゃんの小さな体が出た。
琴音ちゃんは眉を吊り上げ、丸い瞳に今まで耐えてきた分の怒りと不満を滾らせながら……
「ふざけんじゃねぇてめぇっ!!」
今まで聞いた中でダントツ一番の声量の怒号が炸裂して、その勢いのまま飛んだ握り拳が本日二回目の破裂音を響かせる。
頭ひとつ分も小さな少女からのパンチは紗良さんの頭を思いっきり弾いてなんなら体ごと吹っ飛ばして思いっきりズッコケさせる。今度は紗良さんが後頭部をアスファルトに強打する番だった。
「……っっ…っ」
紗良さん、この反撃は予想外だったのか目を見開いて口をパクパク。鼻血が出てた。
完全に意表を突かれた紗良さんだったけど、怒り心頭の琴音ちゃんの猛攻はそれでは終わらなかった。
尻もち着いた紗良さんの顔面にキック直撃。
「うわぁっ!?琴音ちゃん!?ストップっ!!」
慌てて止めに入る陽さんが琴音ちゃんを羽交い締めに……
「うるさい邪魔するなぁ!!」
「えっ!?強いっ!?」
身長140センチくらいの琴音ちゃんの抵抗は陽さんの拘束でも抑えきれなくて、全然体の大きいはずの陽さんがなんなら引きずられる事態に…
「死ねっ!!このド腐れ独眼竜中二病末期患者!!」
再びの顔面キックに紗良さん「あぎゃあっ!!」の悲鳴があがる。顔は血まみれでした。
「待って待って待って!!誰か手貸して!!」
悲鳴じみた陽さんからの応援要請に私と朋花さんも参戦し、三対一でようやく小さな暴獣を抑え込むに至った。
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保養所に帰ってきてすぐ、顔面血まみれアンパンマンな紗良さんは星熊さんに連れて行かれちゃった。
そして加害者である琴音ちゃんは終始俯いたまま食堂の椅子に座らされる…
そこに同席する私と万理華さん、陽さん。
朋花さんは帰路の途中でまたダウンした。あの人、体力ない……
さて。
おふざけマスクを脱ぎ捨てて素顔を晒す琴音ちゃんに注目が集まる。私の胸の動悸はまだ収まらないよ。
顕になった琴音ちゃんの顔……
秋空を彩るイチョウの葉のような綺麗な金髪のボブカット、小動物のような丸い目。抜けるような白い肌は太陽の熱を知らないみたいだ。
紛うことなき美少女。でもそれ以上の衝撃が私達にはあった。
「『ぽいずんちゃん』だよね…?」
私の問いかけに俯いてた目がギロリと向いた。
「その名前で呼ばないで」
彼女の口から飛び出る声は今までのそれが嘘みたいにはっきりとよく通る。
「その名前で二度と呼ばないでくれる!?」
そして強かった。
あまりの変貌ぶりに動揺が隠せない。
そんな中でも冷静な陽さんは変わらない優しさを声に乗せて琴音ちゃんに声をかける。
「琴音ちゃん、頭大丈夫?」
「…え?今私、頭おかしい奴と思われてる?」
「いやそうじゃなくて、頭打ったよね?」
心做しか陽さんへ向けられる声には柔らかさがあった。
「そうだよね…いきなり暴力振るうような…こんな私……」
強気な瞳が再び影に沈む。そんな彼女に万理華さんが語りかける。
「その話はとりあえずいいよ。それより琴音……あなた、Y〇uTuberだったのね……」
「ううっ……」
「どうしたの!?」
「頭が…」
「やっぱり怪我してるんじゃないの!?」
「違う……黒歴史が……っ!!クルシイ……」
どうやら彼女にとっては忌むべき過去らしい。でもこれ、この話を避けて本題に入れそうにはないから……
「マスクで顔を隠してたのはその…身バレするのが嫌だったからなのかな?」
私の問いかけに再び警戒心を宿した眼光が向く。今の彼女の態度も相まって、窓からの陽射しに照らされて輝くコバルトブルーの瞳は生命力に溢れて見える。
まるで別人だよ。
「…………それもあるし…それだけじゃないし…」
「よかったら話してもらえる?」
万理華さんが促す。
「話したくない事があるなら別にいいわ。でも…もし話せるなら、あなたの事を知っておきたいから」
「……万理華」
「なに呼び捨てにしてんのよ」
「今はいいじゃないですか(汗)」
陽さんのツッコミにより軌道修正。
そして語られる……鏑木琴音の真実。




