第172話 ゆうべはお楽しみでしたねっちゅーやつや!!
…私の部屋に朝日が差し込んできてたわ。
のんびり屋さんな冬の日差しにも柔らかな春の暖かさを感じる。もうすぐ春が来る。
そんな陽光の作る影が部屋に伸びていた。
私と、星羅と、空き缶とスルメイカと朝日の作る影が……
「……」
錦野星羅は無言だった。
「……」
私、夏祭万理華も無言だった。
壁紙は剥がされていた。
フローリングは割れていた。
毎朝毎晩暖かい食事を乗せるテーブルはひっくり返され、パソコンの前が定位置のリクライニングチェアは脚が一本消えた状態でベランダの柵に引っかかってた。
そのベランダと室内とを隔てるガラス戸のガラスは無惨にも割れて、その破片で無惨にも引き裂かれたカーテンはゆらゆらと悲しげに揺れている。
訊かなきゃならない。
「何があったの?星羅」
いや、本当は訊く必要はない。全て覚えている。獣と化した自分の所業を…
私は酔っても記憶が残るタイプらしいわ。
「……」
「答えなさい」
「……」
「星羅ッッ!!」
それでも私は叫ばずにはいられなかった。そうしなければ内で膨れ上がるこの現実に自分自身が押しつぶされてしまいそうだったから……
「……いやぁ……すっっごかったよ…」
膝を崩した星羅がかつての安息の地を見回しながらタバコに火をつける。それを咎める余力も、私にはなかったわ。
星羅は一言で片付けた。
「酒乱」
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「見てください桜さん」
「あぁ…!!」
おはようございます、星熊です。
突然ですが私は今、夏祭さんのマンションの前に居ます。
そしたらどうでしょう。
部屋の中から夏祭さんと錦野さんが出てきたじゃありませんか。
今朝の7時ですよ?
「朝帰りや…!!」
マンションの下から部屋を見上げる桜さんが真面目な顔で呟きます。
「ゆうべはお楽しみでしたねっちゅーやつや!!」
間違いないのでしょうか…?
「星熊さんこれ、決まりやで!!万理華とデキとんのは星羅やっ!!」
「……」
なんという事でしょう。あの夏祭さんが…しかも相手がよりにもよってメンバー一のクズ、錦野さんだなんて…
私は不意に昔の夏祭さんの姿を思い返します。
あの、誰よりもストイックで、誰よりも禁欲的で、誰よりも自分の欲望を律して努力する夏祭さんが…
「それ、ぜんぶ意味一緒やがな!!」
よりにもよって…
「……っ」
「…星熊さんあんた…!!…泣いてんのか!?」
「他の相手ならいざ知らず…よりにもよって…なんであんな人間のカスと…」
「そんな言わんでもええんちゃうっ!?」
「私は夏祭さんが事務所に来た時からずっと…4年だか5年だか6年だかそんくらい彼女を見守ってきたんです」
「そこ、年数ガバガバなんや!!」
「あの子の事をずっと応援して、支えてきたつもりなんです…」
「まぁ記憶なんて案外そないなもんやもんな!!せやけどビシッとハッキリしてほしいわ!!」
「私は…悔しいっ」
「…それはそれで星羅に対してあんまりな反応やけどな!?」
裏切られた気持ちでした。
「私は…夏祭万理華と錦野星羅の交際は認められませんっ」
「失礼ですが、どちら様ですか?」
突然後ろから声をかけられて振り返ったら、一人の女性が立っていました。
その人はつばの大きな白い帽子を、顔を隠すように被った小柄な女性でしたが、醸すオーラが普通じゃありません。
大きな白い帽子と真っ白なコートは確かに特徴的ですが…なんというか、そうではないのです。
その人そのものの存在感のようなものでしょうか。
私も芸能界は長い…
これは間違いなく、スターのオーラ。
……何者?
「あんた…!!」
桜さん…あなたにも分かりますか?この人の尋常ならざる…
「帽子に値札付いてんでっ!!!!」
「……っ!!」
そこじゃない…
真にツッコむべきは…
「…お値段891円って安いですね」
プライムデーかなんかで買いました?
「……」
「であんた誰!?」
「お尋ねしたのは…こちらなのですが」
…動揺がない。値段を指摘されたにも関わらずっ!
「…相手に尋ねるんやったらまず自分からやで…あと…値札付いてんで!!」
「……」
「……ええ度胸やないかい!!」
「……この値札は…あえて付けています。値札は千切れるまでそのままにしておくのが、私の流儀です」
女性の声は至極落ち着いていました。その声はまるで清流の如き静かさで、思わず耳を傾けてしまう引力があります。ただ喋っているだけなのにまるで美しい旋律のようでした。
口元を見ます。
若そうです。おそらく30前半。顔の大部分は帽子で隠れててはっきりした年齢は分かりませんが…
「…若造が流儀ときたか!!」
桜さんよりは年上かと…
「あなた達は誰ですか?と、お尋ねしてるだけなのですが…私はどうしてこんなに喧嘩を売られてるのでしょう?」
なんという落ち着きようでしょうか。風呂で頭を洗う時になってシャンプーがない事に気づいた私とは雲泥の差…
「いきなりミシュラン人から名前訊かれたらそうなるやろ!!」
「私はミシュランの調査員ではありません」
「間違えた「見知らん」や!!」
「ミシュランに過剰に反応するあたり飲食関係の方とお見受けしますが…」
違います。
「そんな方達が娘のマンションの前で何を?」
娘?
「……」「……!?」
「…娘の名前を口にしていたので…つい声をかけてしまいました」
……まさか…
「すみません。娘は特殊な仕事をしているので、気になってしまいまいまして…」
「……」
「娘とはどういうご関係で?」
いや待て!!
「なんやあんた万「お黙りなさい桜さん」
お口が足軽な桜さんの口にビンタを叩き込み黙らせます。一撃で唇がスケトウダラの卵巣を塩漬けにして唐辛子で味付けした加工食品みたいになった桜さんに厳重注意。
「なにすんねん!!アンジ〇リーナ・ジョリーばりのセクシーリップになってもうたやんけ!!」
「バカですか?向こうの素性も分からないのにこっちから身分を明かしてはいけません」
「いや…娘言うとったし万理華の…!!」
「それを証明してもらってないでしょう?変質者のファンかもしれない」
「っ!?」
「自宅を特定する為に近隣のマンションに出没してる、悪質ストーカーがカマをかけてきた可能性もあるでしょう?」
「……っ!?」
「POPプロダクションお約束条項第8条!「知らない人と喋ってはいけません」を忘れたんですか?」
「なんやそれ初めて聞いたわ!!」
……怪しい。
……まぁ怪しいですが話の流れ的に不審者って事はないんでしょうね。夏祭万理華の母、初登場!!回なのですね。
なればこそ、敏腕マネージャーぶりを遺憾なく発揮してお母様ポインツを貯めておこうじゃないですか…
「…失礼ですが、娘さんとは?」
「…万理華です。さっき娘の名前を言ってましたよね?」
怪しんでるぞアピールをしてもまったく動じないとは…
「どなたですか?」
「そっちこそどなたですか?」
「いやだから…母です……」
「……何か身分を証明出来るものありますか?」
帽子の下で口が歪みました。母親に対してなんて失礼な…と思われるでしょうが、この慎重さこそ後で「実はマネージャーです」って明かした時に「まあなんてしっかりしたマネージャーさん。こんな人になら娘を安心して預けられます。これ、チップです」ってなるんです。
伊達に東京でOLやってません。
「……見ず知らずの人になぜ身分証を見せなきゃいけないんですか?」
「あなたもどこの誰か分からないからです」
「だから、母です」
「だから誰の?」
「夏祭万理華のです」
ピリピリした空気感になってきましたね。
「おうおう。なんやおどれ!?怪しい奴やな!!警察呼「シャラップです桜さん」
腫れた唇にもう一度ビンタ。
「何すんねん!!」
「やり過ぎです。あなたは本当に分かってない。それはやりすぎです」
「不審者かもしれん言うたの自分やんけ!!」
「この展開でそんなわけないでしょう?」
「どっちやねん!?」
「作品の展開的にお母様に間違いないんですよ」
「メタ発言やめてな!?」
その時です。マンションのエントランスから夏祭さんと錦野さんが連れ立って出てきました。
ほら、ここで「あれ?お母さん?」って展開なんですよ。
桜さんは本当に分かってません。そういう所から直してくださいバカ。
さぁチップは目前……
「ところでさっき…気になる事を仰ってましたが……」
その時お母様が質問します。
「夏祭万理華と錦野星羅が交際してるとか何とか……」
お母様の一言にその場の空気が凍りつきました。
一瞬停滞する時間。
私達の方に近づいて来ていた夏祭さんの足が止まって、その表情が引きつります。
……あ、まずい。
振り返った先で夏祭さんが私達をじっと見つめていました。
「……あ、どうも」
とりあえず、挨拶大事。
「……星熊…ここで何してんの?」
聞こえていたでしょうか?訊くまでもありませんね。その顔が全てを物語っています。気まずいったらありゃしません。
「……今お母様とばったり会いまして」
この謎の展開についてまずは説明しなければ…
と思って口を開いたら間髪入れずに。
「お母様って誰の?」
夏祭さんの一言にその場の全員の背筋が凍りつきました。
桜さんが唖然としてお母様(疑惑)を見ます。その挙動は油の切れたゼンマイ仕掛けの人形みたいでした。
「……」
お母様(疑惑)もなんとも言えない顔(見えないけど)で固まって、一言も発しません。
「……あなたの」
私はまさかと思いながらもお母様(疑惑)の方を指指して説明します。
……が。
「……いや誰それ。知らない」
凍りついた現場で全員の背筋を悪寒が走りました。
お母様だけに……オカン、なんつって。
「「えぇっ!?!?(怖)」」
「えぇっ!?万理華さんとせいちゃん付き合ってたの!?!?」
……ついでになんか突然、場違いな奴の驚きの悲鳴も上がりました。




