第160話 すまなかった
「お父さん、私、アイドル辞めないから」
明石ミライの決意表明。それに対してお父さんの鉄仮面は微動だにしなかった。
再三言い続けてる事でもある。意外でもなんでもない私のその意思に対してお父さんの意見もまた変わらない。
「辞めろ」
「どうして?」
「どうしてだと?」
お前は何を言ってるんだって、娘を叱責するような声を出しながら、死人みたいに表情の変わらないお父さん。こうも表情筋に動きがないと面と向かって話してる気分にならない。
「周りに散々迷惑をかけて分かったはずだ。お前は自分の事も自分で管理できない。だから芸能人なんて仕事はお前には向いてないんだ」
「……確かにストーカーの件は私の不注意…」
「お前のせいで住所も流出して、引越しせざるを得ない状況だ。こんな事になってまだ、子供に芸能活動をさせる親がどこにいる?」
お父さんの言う事はいちいち正論だ。でも、だからってここで折れるわけにはいかない。
「お父さん…こんな事言いたくないけど…私まだ子供だよ?何でもかんでも私一人で背負わなきゃいけないのかな?自己管理がどうって言うけど…私のプライバシーの管理はお父さんにも責任があるんじゃない?親でしょ?」
正論にどう返したものかと見苦しい言い訳。自信の乗らない言葉は後半にいくにつれ尻すぼみだった。
「なんの相談もしなかったのはお前だ」
間髪入れずお父さんからのカウンターが返ってきた。こういう時、無表情で淡々と喋るお父さんには不気味な迫力がある。
心の中の芯が揺らぐ。
お父さんの言い分が正しい。それを盾に叱責されると申し訳なさが前に立つ。
「責任を持てと言うのなら、どうしてストーカーに家を特定された時点で何も言わなかったんだ?」
「……っ…それは……」
「おかげで私まで迷惑を被っているぞ」
「……知らなかったで…済まないのが親と子でしょ?」
「お前芸能活動を始める時言ったはずだ。自分の事は全て自分でやると。そう啖呵を切ってこのザマか?」
強烈なボディーブローがじわじわと効いてくる…早速ボコボコにされた私はとりあえず粛々とダンボールアーマーとダンボールソードを床に置いた。
ふざけてる場合じゃない。
「ファンからの贈り物を地べたに置くな。やはりその程度か?お前のアイドルに賭ける思いは?」
こんなところまでチクチク刺してくるなんて…っ!!
「……お…お父さんごめんなさい」
お父さんの叱責についムキになって自分の正当性を主張してた。同じ土俵で戦おうとした。でもそれは分が悪すぎる。
私は素直に謝る事にした。
苦しい言い訳より、頭を下げながらのごめんなさいの方がすんなりと喉から出てきた。
同時にお父さんにこんなに素直に謝れる自分に少なからず驚いた。
「迷惑かけてごめんなさい。もう一度チャンスをください。今度はもう迷惑をかけません」
頭を下げ続ける私をお父さんはどんな顔で見つめてるのかな…私が素直に謝るなんてって意外だから驚いた顔でもしてるのか…
そんな予想も頭の上から降りてきた小さなため息がかき消した。
「お前はどれだけ周りを振り回してるのか自覚するべきだ」
頭を上げた先でいつもの鉄仮面が私を見つめてた。
「お前のせいであの家も手放す事になり…こうして沢山の人に迷惑をかけている」
天鬼家のリビングを見回してから再び戻ってくる眼差し。感情の色がない。
この人は今どんな気持ちでこの話をしてるんだろう?
そんな疑問が胸を過ぎった時、これってなんなんだろ…って思った。
この人は私に怒ってるのかな?それとも、心配してるのかな?
……心配?
家族の事なんてなんとも思ってない人が?
お母さんが死んだ時、何もしなかった人が?
そんな人がどうして私のやる事に口を出すんだろう?
「これ以上我儘を言うな。なぜそんなに拘る?」
お父さんの顔を凝視しながら考える。
でも、答えは見つからない。分からない。
大事な話をする時は相手の事を知らなきゃいけない。ドン・カルチオーネの言葉が蘇った。
天気の話をしてもなんも分かんないや…
「……お父さんこそ、なんでそんなに反対するの?」
私は逆に訊いてみた。
「当たり前だ。今のお前は我儘を言って駄々をこねて、人様に迷惑をかけている子供だ。親として」
「親として?」
意図して険を込めた口調でお父さんの言葉をぶった切る。
「親としてってなに?今まで何もしてくれなかったのにどうして急に?世間体?私が何をしようと、誰に迷惑をかけようと、本当はどうでもいいくせに」
「……なに?」
はじめて、お父さんの表情が動いた。片眉が不機嫌そうに吊り上がって、声に怒気が孕む。
でも怖くはなかった。
「この際本音で話してよ。そしたら納得する。お父さんはなんの為に私を説得してるの?私の事どうでもいいのは事実だよね?」
「……いい加減にしろ」
「答えてよ。それとも、本当は私の事が心配で〜とか言うつもり?」
「……親が子を心配するのは当たり前だ」
お前を心配してる……そんな言葉がお父さんの口から飛び出すのを初めて聞いた。
初めて聞くその言葉には全く説得力がなかったけど。
私の奥の方からふつふつと、激情が湧き上がる。
「……嘘つき。本当はどうでもいいんでしょ?」
「どうしてそんな事を言う」
「今更父親面しないで…なにもしてくれなかったくせに」
「何もしてない?お前をここまで育てたのは誰だ?私はお前の父親だぞ?」
「だったらお母さんが死んだ時…なんでお葬式にも出てくれなかったの!?」
お母さんの話が出てきた瞬間、お父さんの表情が凍りつく。今日はやけに表情豊かだななんて、場違いな事を考えた。
語気を強めて半分叫びながらぶつけたそれは、今までの人生の中で溜まっていた鬱憤の発露でもあったと思う。
あまりの声の大きさにリビングの外からも様子を伺う気配があった。
お父さんも動揺した表情を必死に取り繕おうとして、なんとも形容しがたい奇妙な表情を浮かべながら、言葉が出ないのか口をパクパクさせながら喉をびくつかせていた。
お父さんの返事を待つ。
「…………今その話は関係ない」
返ってきたのはそれだった。
私は何を期待したんだろう。
「関係ない?父親面するなら、父親としての、夫としての、家族としての責任を果たさなかった理由くらい説明したら!?」
返答への失望で一瞬収まった感情の波が言葉と一緒に津波になってお父さんに押し寄せた。
「ずっと私達放ったらかしにして!!……言わないなら行ってあげる!!お父さんはお母さんを愛してなかったし!!私の事も愛してない!!仕事で必要だから結婚しただけ!!お母さんの家からお金を貰う為に仕方なく!!」
「やめろ」
「そんな人の言う事聞きたくないっっ!!」
まるで全力疾走した後みたいに息が乱れてた。
肩を揺らして呼吸を繰り返す私をお父さんは呆然と眺めてる。その顔はまた無表情に戻ってた。
ただ、いつもの威圧的な無表情じゃない。
呆然として、取り繕う事すら忘れた顔だった。
「…そんなふうに思っていたのか?」
感情の抜け落ちた顔でお父さんが絞り出すように呟いた。
「…私が…母さんを愛していなかったと……」
「言い訳とか聞きたくないっ!!お父さんが仕事に失敗して…借金抱えて…私達がどれだけ……」
どうしてお父さんは、全てが失敗した時、私とお母さんを捨てて逃げなかったんだろう。
ふいに蘇ったその疑問は、りあちゃんにお父さんの話をした時私の頭を過ぎったものだった。
感情のまま押し寄せる言葉が切れて思わず呆然とする。私もお父さんも無表情のまま見つめ合うっていうなんとも間抜けな構図が展開された。
「……確かに、お母さんと結婚したのはお母さんの父親から融資を受ける為だ」
お父さんは小さな声で切り出した。私はただそのか細い声を聞いていた。
カーテンの隙間から差し込む日差しがお父さんの横顔を照らしてて…初めてお父さんの顔に人としての体温みたいなものを感じる。
無表情なんかじゃなかった。
お父さんの顔は悲しみに耐えてるみたいな顔だった。
「だが、お母さんを愛していない事なんてなかった。この人しかいないと思ったから、お母さんの両親に認めてもらう為に私は仕事もがむしゃらに頑張れたんだ」
お父さんの目が私を見る。
私はお父さんを見る事が出来なくなってた。
「私は…お母さんも、お前も…大切に思っている。それは今もだ」
「……だったら…どうして…お母さんのお葬式にも出てくれなかったの…っ」
「…会社が倒産して、私はお母さんの父親から見限られたんだ。娘と別れろとも言われた。だが私達は別れなかった…お前が産まれたからだ」
どう受け止めていいのか分からなくて私はずっと俯いてた。こんなお父さんの声は聞いた事なかった。
……いや。これはお父さんの声だ。
冷たく聞こえていたお父さんの声だ。そう感じていたのは、私が拒絶してたから…
「だが…葬儀に出る事は許されなかった。私は事業に失敗して、お前達を路頭に迷わせた。最低の男だ。考えてみればそれも当然なのかもしれない…」
息が苦しい。
こんな話は聞きたくなかった。
だって……
「…お前に何も説明せず、それが心の傷になっていたのだとしたら……やはり私は父親失格なのかもしれない」
これじゃ私が……
「お父さ……」
「すまなかった」
陽の光が宙を舞う埃をキラキラ輝かせる中でお父さんは実の娘に深く頭を下げていた。




