第156話 お前手伝え
佐藤さんの言葉と、その裏に隠されていた悪意ははじわじわと毒のようにユニット全体を蝕んでいきました。
そして最初にそれに蝕まれたのは私だったのです。
佐藤さんと食事をしたあの日以降、私は自分のペースを少しずつ取り戻していきました。
つまり、田中さんのレベルに合わせる事なくパフォーマンスするようになっていたのです。
少しずつですが、確実に……
自分で自分の変化を自覚したのは、集中している時に周りに合わせる事をやめている自分に気づいた時でした。
そんな自分のパフォーマンスに気づいて修正しようとする時、佐藤さんの言葉が内側からじわじわと染み出してくるのです。
……別に全てを合わせる必要はない。あまりに大袈裟な差がつくのは問題だけど、少しくらいなら…
ステージで思った通りのパフォーマンスをする快感は佐藤さんに打ち込まれた言葉以上に私のブレーキを外していったのです。
ただ、仲間意識を持っていた私としてもこのまま田中さんを振るい落すような真似は望みませんでした。
要は田中さんが私達に追いつけばいいのです。
そうすれば私達のパフォーマンスはもっと良くなるはず……
私は以前にも増して田中さんの自主練に付き合いました。
私から自主練に誘うようにもなりました。
田中さんもそれに応えてくれていました。
ただ私は……
私に必死に着いて行こうとしてくれる田中さんの限界と、それを裏で嗤う佐藤さんの悪意に、とうとう最後まで気付けなかったのです。
「……ごめんなさい」
田中さんから事務所脱退の話を持ちかけられた時、私は呆然としました。
社長は何も言わず、佐藤さんは無表情の裏に嘲りを隠していました。
「……ようやくワンマンライブも決まったのに…どうしてですか?」
「……」
「……答えてください」
私の目には田中さんは、意欲的にアイドル活動に取り組んでて、努力も惜しまないで…
この人はもっと上に行くって信じていただけに、彼女のこの決断は裏切りにも等しく思えたのでした。
「……もう、ついていけなくて」
それが彼女の答えでした。
「ついていけないって…何がですか?レッスンがキツイんですか?スケジュールがキツイんですか?売れてくればそれは当然の事ですよ?そんなの分かりきってた事じゃないですか」
「もうよせ星熊」
切り捨てるような社長の一言が癇に障りました。
「なんですか?その言い方」
「本人が辞めるって言ってんだからしょうがないだろ?」
「しょうがないって……」
「田中はここまでなんだよ」
「……っ!せっかくここまで来たのに…そんな言い方ないでしょ?仲間でしょう!?」
「もう仲間じゃない」
社長のどこまでも冷めた言い方に激昂した私は、いつかのように彼女に掴みかかりました。
押し倒されながら下から睨みつける社長のその目は、いつかの時の憐れみを抱いた視線ではありません。
それは諦めのような感情でした。
「やめてください…っ」
止めに入った田中さんの腕が絡みついた時、その腕の細さにハッとしました。
彼女の痩せた身体……その力の弱さに、彼女はもう限界なんだって事にようやく気づいたのです。
「……お前が無理させすぎたんだよ」
下から社長が吐き捨てました。
「周りに合わせるのやめて…うちの持ち味だった息のあったパフォーマンス崩して…田中に無理強いて……こいつがどんだけボロボロになってたか分かってなかったんだろ?プレッシャーとストレスで、もうボロボロなんだよ」
冷たく告げる社長の言葉は、それでも何故か私を責めている風な口調ではありませんでした。
本当に淡々と、こういう事なんだと事務的に説明してるような……
「……お前ほんと周り見えてないよな。入った時からなんも変わってない」
「やめて……」
田中さんが静止しますが社長は止まりませんでした。
「自分勝手にも程がある」
私の頭の中はぐちゃぐちゃでした。
私のせいで……
あんなに頑張っていた田中さんを追い詰めて…
「……お前もう、うち辞めろ」
*********************
二度も同じ事を繰り返した私に、この場所で頑張るという気概は無くなっていました。
なにより、社長の冷たい目と言葉が…一度分かり合えたと思った人からのその態度が私の心を砕いたのです。
自分でも分かってなかったほど、私はこのグループを愛していました。
「元気してるか?」
だから、そんな社長から呼び出されたのが意外で、その真意が全く読めなかったのです。
事務所を辞めてひと月後、駅前の雑踏の中で再会した社長は、最後に会った時の態度は嘘のように……いや、一緒にアイドルをやっていた時とは別人のように、憑き物の落ちた顔をしてました。
「歩こうか」
微笑みすら浮かべながら先を行く社長に私はただ追従します。
呼び出した張本人は特に宛もない様子で、しばらくは無言のままぶらぶらと人波を掻き分けて歩き続けました。
「……結局解散したんですね」
雑踏に混じる沈黙に耐えかねた私が会話の口火を切ります。
「……そのつもりだったから」
「そのつもり?」
「佐藤とやっていくのは無理だと思ってた。だからお前も辞めさせた」
サラッと告げた社長の言葉にしばし理解が追いつきませんでした。まるで最初から仕組んでたかのような……
「……どういう事ですか?」
「勘違いするなよ?ああなったのは成り行きだよ。ただ…あー……あのさ。お前は田中が壊れたのは自分が無理させたせいだと思ってんだろうけど…まぁそれも一因ではあるんだけど。あいつはお前の期待に応えようと無理もしたし、プレッシャーにもなってたから」
「……」
「でも一番の原因はあいつだよ。佐藤」
吐き捨てるように社長は言いました。
「あいつ陰で田中に嫌がらせしててさ…心身を壊した一番の原因はあいつ」
「……そんな」
私はそんな事、何一つ気づきませんでした。
「……確かに彼女は…田中さんを足手まといだとは言っていましたが……」
「違う違う。そいういうのじゃない」
「え?」
「あいつは前のグループもそうやって…メンバーいじめたり対立煽ったりして解散させてんだ。ま、趣味だな」
……そんな。
「なんの為に……?」
「だから趣味だろ」
頭上の街頭ビジョンの中で爽やかに笑う佐藤さんの顔を私と社長は見上げました。
「……あいつが入ってきて、田中が体壊した時点で、ユニットは解散にしようって事務所と決めた」
「……」
では、佐藤さんが私に自分のいいようにパフォーマンスをさせたのは、このユニットを潰す為の手段の一つだったと…
社長からそんな話を聞いても私の心は軽くなりませんでした。
佐藤さんに唆されたとしても、自分だけ気持ちよくパフォーマンスをして結果田中さんを追い詰めた事実は変わりませんでした。
「……不器用すぎたんだろうな、私達は」
立ち止まったまま社長は言いました。
「思えばお前が孤立してた時も、私達はお前を放置してた」
「……それは…違います……」
「実力も人間関係も……なにも噛み合わなかったな」
「……」
「……でも、楽しかったな」
社長の零した一言に、私はついに我慢できなくなってその場に蹲りました。
私にもう少し協調性があれば…
田中さんの事を見てあげてれば…
あるいは私がしてもらったように、佐藤さんに歩み寄っていれば…
実力を磨けばアイドルとして成功すると思っていた。
それだけではダメだと教えられた。
それなのに繰り返した。自分だけ突っ走った。しかも周りを無理矢理引っ張って。
「……私のせいです」
私が壊した。
「うん、お前のせいだから」
社長は残酷に言い切りました。
「お前がチョロいカモだったせいで佐藤にいいように掻き回されたわ」
その通りなので、ぐうの音も出ません。
「だからお前、償いをしろ」
償い……?
それは社長の口から出るには似合わない言葉のように思えました。この人が何かを他人に求めるのを見た事がありません。
ですが私には、それをしなければならない責任がありました。
顔を上げる私を社長が見下ろしていました。
「新しいアイドルグループを作る」
「……え?」
「私達の、じゃない。これからこの世界に入ってくる、アイドルになりたい子達の為に…」
街頭ビジョンの向こう側で輝いている女の子達を眩しそうに見つめながら、決意するように、何かに誓うように…
「私らみたいに仲違いして夢が終わっていく子達がこれ以上増えないように…私達の会社を作るんだ。タレントの事をしっかり見てやれる、守ってやれる事務所を」
いつもの仏頂面のまま淡々と、少年漫画の主人公みたいに夢を語るのでした。
「お前手伝え」




