第153話 北海道から来ました。星熊です。よろしくお願いします
18歳で東京に来た時、東京駅のホームから見上げた東京の空は、地元の稚内の空に比べて狭かったです。
見上げた空には白いビル群が建ち並び、往来は人で溢れかえっていました。ぶつからないように歩くだけで苦心して、キャリーケースの上に載せていた荷物が何度も地面に落ちて、その度に拾ったのを覚えています。
日本の最北端からやって来た私、星熊恵子は当時、胸いっぱいの夢と希望と空っぽの財布、キャリーケースに詰めた服を抱えて大都会、東京の地を踏んだのです。
テレビで観たアイドルに憧れて親の反対を押し切り、アイドルを目指す為に始まった私の東京人生。
数年後には武道館のステージに立っていると信じて疑わなかった小娘のスタート地点は、オーディションに受かって練習生として入った芸能事務所の寮から始まりました。
所属タレント用に用意されていた寮に案内された私はそこで始めて自分とユニットを組む事になる仲間達と出会うのです。
「ゴミ出しの日は必ず守ってください。ゴミの分別を守らない人は退寮してもらいますから。あと、駐車場と駐輪場を使う場合は必ず寮長に届出を出してください。夜間はテレビの音量に気をつけて。あと、門限は22時までです。遅れる場合は事前に連絡してください」
寮長からの説明を受けた後部屋に通された私を待ち受けていたのは、三人の同居人でした。
「北海道から来ました。星熊です。よろしくお願いします」
昨日入寮したばかりだという三人の待つ部屋は既に荷物やゴミで溢れかえっていました。
散乱した物が空気の流れを止めているのか…あるいは住人達の空気感か…部屋の中の空気は停滞し、澱んでいて、重苦しく感じます。
私の自己紹介に返ってきたのは冷淡な反応でした。
「ういーっす」
キャリーケースを枕に寝っ転がったまま、スマホから目を離さずに適当な挨拶を返したきたのは一人だけで、残りの一人は無視。もう一人は隅の方で膝を抱えて座ったまま小さく会釈を返してきただけでした。
唯一返事を返してくれたのが、社長でした。
レッスンが始まるその日までの三日間、私達はろくに話さず、ひとつ屋根の下で暮らしながらもお互いまるで存在してないかのような生活が続きました。
これが東京か……
先行きの不安と規則の多い寮生活の理想とギャップは私の心を早速萎えさせたのでした。
初めてのレッスンの日…
「あなた達に歌の稽古をつける、ケツアナよん」
「ダンスを教える、ハナアナよん」
レッスンで対面したオカマブロッコリー二人を前にしても私達はろくな反応も示さず、初日のレッスンも淡々と進みました。
もうひとつ私をガッカリさせた事がありました。
それは他のメンバーの質の低さでした。
「もっとピッチ正確によん!」
「もうバテたの!?体力なさすぎよん!!」
「ほらほら、もっと手先まで意識して!!目線目線!!そこ!手を抜かない!!」
実力うんぬではなく明らかにやる気がありませんでした。
彼女らの覇気のなさは本気でアイドルになりたいと思って東京まで出てきた私を失望させるには充分で、この4人で本当にデビューできるのかと不安にさせました。
初日のレッスンの時点で私は彼女らを見限ったのです。
「星熊ちゅわん…だったわね」
レッスン終わり、ケツアナ、ハナアナの二人に呼び留められます。
「初日から気合いが入ってたわん」
「お疲れ様ぁん」
トレーナーがオカマだという事実も私を萎えさせました…
「ども……」
「あなたは鍛えがいがありそうねん」
「どうだったん?初日は?」
さっさと帰ってシャワーで汗を流したいところでしたが…
「……正直、期待外れでした」
正直な感想を伝えます。
「あらん?あたし達の指導じゃ満足出来なかったかしらん?」
「何が期待外れだったのか、教えてもらえるかしらん?」
「……レベルが低すぎると思います」
正直な感想を伝えます。
「これならオーディションに来てた子達の方が遥かにレベルが高かったです。それにレッスンの内容も…」
他三人のレベルが低すぎるが故に、レッスンの内容も低レベルになっていたのは分かっていました。
この子達がなぜオーディションに合格したのか心底不思議でした。同時に、アイドルになる為に必死に努力してきた私の今までを侮辱されている気分でひどく気分が悪かったです。
ケツアナとハナアナはそんな私に慰めるような、諭すような表情を向けます。
「……そうねん。あなたの気持ちも分かるわん。あなた達は今のままじゃいいアイドルにはなれないわん」
「…トレーナー。お願いがあります」
「なに?」
「私だけでももっとちゃんとしたレッスンつけてください。こんなんじゃいつまで経ってもデビュー出来ません」
二人は黙って私の話を聞いていました。
「あの三人のレベルに合わせていたらレッスンの意味がありません。私はもっとやれますので」
ここでやる気と実力を示せさねば…そんな気持ちに急かされていました。
三人に早々に見切りをつけていた私には彼女達とデビューするという未来を切り捨ててすらいたのです。
私は努力してきた。
バイトして親にも頼らずダンス教室に通い、休日は毎日歌の練習をした。
私はあいつらとは違う。
このトレーナー達だってそれは分かってくれてるはず…
「……気持ちは分かるわん。でも、あなた一人の気持ちが先行しても、他の子達は着いてこないわん」
「焦りすぎも良くないわよん?」
「……私はあの子達とデビュー出来なくてもいいです。他の子達と…いえ、なんなら一人でも…」
「「分かってないわねん」」
私の意見をバッサリ切り捨てる二人のトレーナーに対しても、私は大いに失望するのでした。
「あなた達はチーム」
「あなた達はまだ出会ったばかりでしょん?息が合わないのは当然よん?」
「……いや、息が合うとか合わないとかそういう話じゃなくてあの子達にはやる気が…」
「まずはお互いをよく知る事よん」
「あなた達は4人でひとつなんだからねん」
……こいつらも見る目がない。
深い失望と絶望が胸中を占めます。
この二人の言葉もまた聞く意味がないと思いました。
「あなたはやる気もあってしっかり者だから、みんなを纏めてあげてねん?」
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「あの……」
初日からしばらく経ってうじうじさんが話しかけてきました。仮に田中さんとしましょう。
「……なんですか?」
「いや……星熊さん歌もダンスもすごいなって思って…」
「……?」
「私、全然ダメダメだから…」
「…教えてくれとでも?」
田中さんは遠慮がちに頷きます。
私はその申し出に隠す事もなく盛大なため息を吐いて見せます。私の態度にびくついた田中さんの、その勇気のいったであろう言葉に対して私は冷淡でした。
「トレーナーに頼んでは?」
こんなやる気のない人に構ってたら自分の練習に差し障る。私はケツアナとハナアナの言った事を戯言と切り捨てていました。
田中さんは俯きながら…
「トレーナーさんにお願いしたら星熊さんに相談してみたらと……」
呆れた。あの人達は本気でこの出来損ない達に期待してるんでしょうか?この子達がアイドルになれるわけないのに…
「私、忙しいので」
「見てやればいいじゃん」
その時会話に割って入ってきたのが社長でした。
この人はレッスンが終わったら真っ先に部屋に帰って、こうしてゲームに興じてるような人でした。
レッスンが終わっても自主練してる私の目には社長はやる気のない、軽蔑の対象でしかありません。
そんな人が田中さんに助け船を出してきたのはどういう風の吹き回しでしょうか?この人に限った話ではありませんが、メンバーがコミュニケーションを取ってるところなんて見た事ありません。
「…ならあなたが見ればいいのでは?」
冷たく言い放つ私を社長が初めて見ます。
体が強張りました。
……なんて強い目なんだろう。
あの時の社長の目には、激しく燃える炎のような力強さがありました。覇気のない女だと見下していた彼女の生命力を感じる目に気圧されたのです。
「……お前、なんも分かってないな」
吐き捨てるように言われました。
「……そんな言い方しなくても」
気の弱そうな田中さんがその社長を糾弾するのにはさらに驚きました。
そんな様々な動揺を悟られまいと私も、負けじと強い視線を投げ返します。
「……どういう意味ですか?」
「お前、そうやって突っ張ってて楽しい?」
「意味が分かりません」
「そいつの優しさ、分かんないの?」
優しさ?田中さんを見ます。
彼女は申し訳なさそうに首をすくめながら「ごめんなさい」と詫びました。
「ご迷惑…でしたよね?」
「…さっきから意味が分からないんですけど?」
「もういいよ」
ハエでも払うように手を振って吐き捨てる社長と、こっちをいつまでも見つめてくる田中さんの視線…
田中さんの視線が私を憂いてるように感じました。
言葉にできない不快感。侮辱されていると感じました。それと同時に二人の態度に得体の知れない不安が沸き上がります。
……どうしてこんなクズにこんな目をされないといけないの。
鎌首をもたげた不安は苛立ちに吞み込まれて…いえ、無理矢理呑み込んで振り払いました。
そんな私はすぐに思い知らされる事になるのです。
「あんたさ、突っ走りすぎ」
不快感を煽る日々は続きます。
ある日のレッスンで、初日に無視した態度悪い…仮に山田さんとするメンバーに苦言を呈されます。
鏡から視線を外す私が睨みつけるのを山田さんはなんでもないように受け止めました。
「周り見たら?」
「…あなた達に合わせてたらパフォーマンスの質落ちますから」
歯に衣着せぬ暴言は山田さんを怒らせるどころか、呆れさせました。
「一人で好き勝手やられたらこっちもやりにくいって言ってんの」
「話聞いてました?あなた達に合わせてたらレベルが落ちるんです。あなた達が私に着いてきてください」
「……本気で言ってる?」
「はい」
怒るのかと思いました。ですが山田さんの冷淡な反応は私の予想を裏切ります。
またあの目でした。
田中さんの向けてきてあの視線です。私の事を憐れむような…
腹の底からマグマのような怒りがこみ上げます。
「…下手くそが私に指図しないでください」
「下手くそってあんた…」
「おい」
後ろから社長がまた割って入ります。
「もうそいつに構うな」
その言い方にさらに増す怒りは、心の蓋を弾き飛ばす勢いで噴火します。
「なんですか?その言い方」
社長に食って掛かりますが向こうは相手にしてませんでした。
「あなた達が私の足引っ張ってるの分かってます?」
「…そりゃごめんな」
「……っ!!努力もしないでっ!!ふざけないでくださいっ!!」
我慢の限界でした。
小さな社長の体に掴みかかって押し倒したら、彼女は後頭部を激しく床板に打ち付けました。
「おいっ!!やめろよっ!!」
頭に血が登ってた私には山田さんの声は届きません。
構うもんか。こんなクズ……っ!!
「こっちは真剣にやってるんだよっ!!ふざけんなっ!!」
感情の限り叫ぶ私は、無抵抗に下から睨みつけてくるその視線を、その中に感じるあの憐れみの色を振り払う事が
出来ませんでした。
……いつまでも。




