第140話 白石さん、あなたがリーダーでよかった
「先輩……なんか大変な事になってるんですって?」
「ん?何の事だい?ハニー」
ピンクの照明に照らされた後輩の髪を指で梳かしてやれば、彼女はくすぐったそうに目を細めた。
白石レオは自宅よりラブホのベッドの上に居る時間の方が長いというのは界隈では有名な話だ。
この日も事務所の後輩ちゃんを口説き落として(チョロかった)ムラムラを発散した後だった。
エチチが一通り終了した後のピロトーク中、後輩ちゃんが脈絡もなく僕の身を案じてきたので、安心させるようにとぼけて見せる。
「『TRY AGAIN』揉めてるんでしょ?」
しかし後輩ちゃんにはお見通しみたいだね。そういえばこの後輩ちゃんは事務所でも情報通で通ってたっけ。
「僕が揉むのは君の乳房だけさ…」
もみもみ
「やんっ。エッチ。じゃなくて…ほら、この前の…『FOOLS』?でしたっけ?その子らのライブで……」
「なにも揉めてないさ」
「でもキャンドルベリーの社長が殴り込んで来たんでしょ?」
「……うん」
「教えてくださいよ。何の為に先輩と寝たと思ってるんですかぁ」
え……?僕が好きだからだろ?
「でも厄介なトコと揉めましたね。キャンドルベリーって言ったら……」
「…詳しそうだね」
「先輩?なんかショック受けてます?」
「……詳しく聞かせておくれ?」
どうやら僕よりあの事務所に詳しいみたいだから、詳細を聞いてみようじゃないか。
『TRY AGAIN』の活動休止を要求してきた中堅アイドル事務所キャンドルベリーへの対応に業界最大手ヤッテ・ランネー・プロダクションが慎重になってる。
キャンドルベリーの裏には大物パトロンが付いてるって業界では噂だ。もしかしたら、その大物とやらの影がちらついてるんじゃないのか…?
「キャンドルベリーって一時期完全に業界から消えたらしいんですけど…ここ最近勢いに乗ってるじゃないですか?大したタレント抱えてる訳でもないくせに」
「…ああ…うん」
「クソ雑魚のくせにイキってられるのはバックに付いてるある大物の影響力なんですよ。うち、国内じゃ一番大きい芸能事務所じゃないですか?それでも相手が悪いんですよねー」
「うちが及び腰になる相手なんて芸能界に居るのかい?」
「政財界ですよぉ」
二人きりの部屋の中で声を潜める後輩ちゃんの言葉に、一瞬背中が粟立った。
「……まさか」
「いやいや。これ…マジでヤバめの話なんであんまり大きな声でいえないんですけどぉ…」
「……(ゴクリ)」
「政財界のフィクサー…御代帝なんですよぉっ!!」
「……すごい名前だね」
「ヤバいヤバいっ…消されちゃうっ。きゃーっ」
「……」
……誰?
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昨日の今日で後輩ちゃんが突然事務所辞めて実家に帰ってしまったと聞いた時、マジで消されたのでは……!?と戦慄した…
んだけどなんか元々決まっていた事ではあるらしかったので、彼女の事は忘れる事にした。売れずに消えていく子なんて芸能界では何人も居る。業界トップのうちでもそれは例外じゃないんだ。
それはそれとして彼女の言っていた人物について気になった。
「オッケーぐるぐる。御代帝って?」
「レオ、誰それ?アニメキャラ?」
『「御代帝って?レオ、誰それ?アニメキャラ?」で以下の検索結果があります』
「はぁと!横から話しかけないでくれる!?音声検索に余計なワード入るだろ!これだからクソガキは…」
「遊んでないでボイトレはじめよーぜ?てか、ミライは?」
「社長に呼ばれた…オッケーぐるぐる。御代「へっくしょんっ!!」帝…」
『御代へっくしょん帝とは、ワキワキ芸能所属のお笑い芸人です』
……クソガキ。
『御代帝は日本の実業家、資産家、政治研究科です。日本政財界のフィクサーでもあります』
「レオ、フィクサーってなんだ?」
…フィクサーってそんな感じで出てくるもんなのか?
ぐるぐる先生公認フィクサー、御代帝。
彼は元財務省財務事務次官を務めた人物で、若くして官僚としてはトップの事務次官に上り詰めた後、辞職。その後は複数の企業の経営コンサルティング事業を展開し成功。総資産は数百億とも数兆ともいわれてる…らしい。
「……なんか字がいっぱいで面白くないぞ…レオ、これなんて書いてんの?」
「はぁとはあっちに行ってなさい」
…まぁ、よく分からんけどすごいらしい。
でもなんでそんな奴が中堅事務所に肩入れするのか…
いずれにしろ、後輩ちゃんの情報が真実だとしたら、一芸能プロダクションなんてひとたまりもないのかもしれない…例えそれが業界トップだとしても……
……あの人に相談した方がいいだろうか?
「あっ、ミライ」
はぁとの声に振り返ったら、我らがセンター、明石ミライがマネージャーの巌鉄砕さんと戻ってきた。
無邪気なはぁととは対照的なミライの表情に、僕の中で警鐘が鳴る…
「皆さん少しお話が……」
案の定巌鉄砕さんが真面目な声で切り出した…
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隠れ家的エスニック料理店『ここにあります』
この店のいいところは完全予約制、そして個室がある事だ。密談しながらの会食、略して密会にこれほど適した店もないだろう。
「今日は奢りです、社長」
「いいんですか?」
ヤッテ・ランネー・プロダクション社長、早川さんがテーブルに並んだエスニック料理に視線を落とす。エスニックというおしゃれなイントネーションに惹かれてすっかり常連な僕だけど、エスニックというジャンルが何なのか知らない。
「この店は季節によって食材が変わるんです」
「楽しみです」
「今日はベンガルトラのソテーですって」
「トラって食べていいんですか?」
「今が旬だそうです」
「トラに旬とかあるんですか?」
トラ肉はちょっと筋張ってて固かった。
「…白石さん、お話とは?」
料理に舌鼓みを打つのもほどほどに、社長は腹の中を探るような眼差しで本題を切り出した。
けど、僕の腹の中にはトラしかいない。腹の中を探るのは僕の方だ。
「3月の『新春!アイドル春祭』…『TRY AGAIN』の出演取りやめになったって聞きました」
ミライと巌鉄砕さんから報告された内容は僕らの前途に暗雲を感じさせるには充分な内容だった。
社長は小さなため息と一緒に小さく首を横に振った。
「主催のムジテレビさんからオファー取り下げの連絡がありまして…」
「キャンドルベリーから圧力でもかかりました?」
社長は顔を上げて僕の顔を一瞥してからもう一度首を振る。
「違います」
「じゃあ理由は?」
「……」
「自分で言うのもあれですけど…『TRY AGAIN』がこんな雑に扱われた事、ないですよ」
「……キャンドルベリーではありません」
「……とある政財界の大物ですか?」
今度は僕を見なかった。全然進んでなかったナイフとフォークが完全に止まる。
「…我々に力がないばかりに…申し訳ない」
その言葉だけで充分すぎる答えだ。
一タレントに過ぎない僕にそこまで答えてくれるその態度を精一杯の誠意と捉える。
「それはいいんです…問題は、ミライです」
「……明石さんですか?」
「今日、ミライと何を話したんですか?」
完全に口が閉じる社長の次の言葉を待つ時間…個室でよかった。僕らの間に流れる空気はとても料理を楽しみに来た客のそれじゃない。
沈黙の時間はたっぷり10分はあった。どこまで話していいか逡巡する葛藤をその時間が物語る。
社長の重たい口が開く。
「明石さんのお父様からお話がありました」
「……」
「娘の芸能活動を辞めさせたい、と…」
天井を仰ぎ見たくなるのを堪える。
「あのストーカー事件の後です。お父様のご心配もごもっともです」
「そういう話だとは思いませんが…それで?」
「明石さんは未成年です。保護者の意思は無視できません。ただ、本人の意思も尊重すべきです」
「ミライはなんて…?」
また社長は言葉に詰まる。
「…ちょうど同じタイミングでキャンドルベリーから連絡がありました」
「……」
「『TRY AGAIN』の活動休止が難しいなら明石ミライの……」
「……引退で手を打つ。吞めないなら……」
「大体そういう意味合いの話です」
……ふざけやがって。
「『TRY AGAIN』のセンターはミライです。あの子の実力があって、僕らは今の地位に居られる」
僕のこの発言に社長は少し驚いたような顔を見せた。
「ミライが居なくなったら『TRY AGAIN』は終わりです」
「いや…そんな事は……」
「いいえ。終わりです。僕とはぁとは、ミライに背負われてるに過ぎない。ミライの引退は実質、『TRY AGAIN』の終わりです」
言い切る僕の発言に社長はもう意見しない。
みんな分かってる事だ。『TRY AGAIN』は明石ミライの為のユニットだと…
「ミライにその話を…?」
社長の無言は答えとして充分だ。この恩人の顔を初めて殴りたくなったのを堪える。
「ミライは……」
訊こうとして、やめた。意味のない質問だ。
「……要求を吞まなければ、仕事を奪う程度じゃ済まさない…って事ですよね?」
「白石さん、私はあなたと荻窪さんの未来を守りたいと思っています」
「……一人抜けてません?」
「キャンドルベリーと親御さんの件は無関係でしょう。ただ…明石さんが進退を考えるには……」
「殴りますよ?」
遮った一言に社長は虚を突かれた表情を向けてくる。でも、テーブルの上で握りしめられる僕の拳を見てその間抜けヅラを引き締める。
「……明石さんが決める事です」
「……」
……ここまでなのか。
この事務所には恩がある。僕らがここまで来れたのはヤッテ・ランネー・プロダクションのおかげだ。
でも……これがトップの判断なら…
「…『TRY AGAIN』のリーダーとして、ハッキリ言います」
「……」
「明石ミライが抜けるなら『TRY AGAIN』は解散します」
僕の宣言に社長が返したリアクションは無。
何も言わず、無表情のまま…
僕は社長から目を逸らさなかった。
しばらくして社長の表情が緩んだ。困ってるような、泣きそうなような、嬉しんでるような…
「相手が悪い。キャンドルベリーには……」
「関係ありません」
「……そうですね」
今度は確かに、はっきり笑った。
「白石さん、あなたがリーダーでよかった」
「……社長」
「…では私も、最後のカードを切るとしましょう。なので…」
社長は僕の覚悟を問うような顔で……
「明石ミライの事はお任せしますよ」




