第115話 ドペンなさい
「アーカイブで問題のコメントを確認しました」
ヤッテ・ランネー・プロダクション本社、A会議室。
なんか役員さん達が集まる時とかに使われる広い会議室に一介のタレント、明石ミライは居た。
円卓で隣に座る巌鉄砕さんがパソコンと会議室内の面々とに視線を行き交わせながら説明している。
私のストーカー問題について。
「確認します」
グレーのスーツに身を包んだ立派な口髭の男性が私に話しかけてきた。
ヤッテ・ランネー・プロダクション代表取締役社長、早川銀次さん。
つまり日本一の芸能プロダクションのボスだ。
彼はとてもそうとは思えないくらいの紳士的な態度でこの小娘にも向き合ってくれてる。こっちとしてはただただ恐縮だ。
「コメントされた住所は明石さんのご自宅のものに間違いないですか?」
「……はい」
「このコメント主に心当たりはありますか?」
「ありません」
「ありがとうございます」
社長の顔色は優れない。今朝私が持ち込んだトラブルはそれくらい深刻なものだった。
「少し前から帰宅途中に何者かに尾けられていたとの事だが…」
この円卓を囲む最後の一人、ヤッテ・ランネー・プロダクションタレント警護主任、馬場伴さん…だって。
タレント警護主任ってなに…?
まぁとにかくカイゼル髭が立派な大男が口を開く。
「事務所には相談は?」
「私は聞いてはいました」
「なぜもっと早くに上に相談せんのかね?」
巌鉄砕さんに馬場さんの咎める視線が突き刺さる。無表情な巌鉄砕さんはその批判に微塵も動じてなかったけど、怒られるのはかわいそうだ。
「私がそうお願いしました。その…ストーカーだという確証がなかったので」
「困るな…それでも相談くらいはしてくれませんと」
「ドペンなさい」
「ん?ふざけているのかね?」
「違います誤字です」
「困るな…大事な話をしてる時はタイプミスに気を付けてくれんと」
「ドポンなさい」
「直ってないじゃないか」
社長が「今の話をしましょう」って言った。うんそうだよね。
「警察に被害届を出しゅまよう」
巌鉄砕さんが噛んだ。もう、ボロボロだよ。
「だが現時点では特に被害が出てない。何かしてくれる可能性は低い」
馬場さんはそう言って首を横に振ってから社長に対して続ける。
「週刊誌なんかに嗅ぎつけられて余計な騒ぎになるだけな可能性が高いでしょう。『TRY AGAIN』は全国ツアーも控えてます」
難しい顔してる大人達にただただ申し訳ない気持ちになってくる。
みんな触れないけどこのストーカー君がどうして私の住所を知ってるのか…私もはっきり分かんないけど、私のプライベートな裏垢から特定された可能性があるんだ。
いわば身から出た錆。
「ミライに何かあったらどうするんですか?」
巌鉄砕さんが鼻息荒く抗議する。社長は思案顔で目を閉じてた。
「他のメンバーの活動にも影響する」
「タレントの身の安全が第一です」
「んな事は分かってる」
「…警察がだめなら、あの方に相談するのは?」
「なに?巌鉄砕さん…それは……『芸能界の便利屋』の事かね?あの男は芸能界の災厄だぞ?」
「……明石さん」
二人の会話を遮って社長が私話しかける。
「どうしますか?」
決めるのはお前だ…そう目が言ってた。
「……活動に差し障るのは困ります。みんなに迷惑はかけられません」
「ミライさんっ」
口を挟みかける巌鉄砕さんを社長が制して…
「必ずそうなるとも限りません。早いうちに警察に相談するべきだと、私は思いますが…」
「まだ何かをされたわけじゃないんで」
「何かがあってからでは遅いですよ」
「…じゃあ、全国ツアー終わるまでは、様子見してくれませんか?」
「ミライさん…っ。何ヶ月後だと思ってるんですか」
巌鉄砕さんがじれったそうに、苛立ちを込めた声で反論した。興奮してる巌鉄砕さんに「大丈夫」って言ってあげながら頭を撫でる。
「大丈夫だからちょっと黙っててね?」
「ぬほほほ…わんっ!!」
私達の主従…じゃなくて絆に馬場さんがドン引きしてた。
「明石さん…あなたが責任を感じる必要はありません。そして、あなたの身の安全が最優先です。相手の行動によってはライブなどを中止する可能性はありますが…確定ではありません」
社長は本気で私を案じてくれてる。そして同時に、私の身に何かあった時の会社としての責任問題についても考えを巡らせてるはず。
「…少し、考えさせてください」
それでも私は頑なだった。この頑固さが大人達にさらに余計な迷惑をかけてるのは分かりながらも…
大事にしたくない。
頭にあるのは家族の事。でも、それをこの場で言っても仕方ない。
社長は「分かりました」って言ってくれた。現状まだ小娘の我儘を聞き入れる猶予はあるって判断されたらしかった。
「事務所としても対策は考えます。取り急ぎ…住所が流出した件に関してです。配信のアーカイブは非公開にしています。今のところあのコメントが明石ミライの住所と認識されてはいないようですが…どこで拡散されるか分からない。引っ越しは検討すべきでしょう」
「それは…家族の意向もあるので……」
「ですよね。こちらからお話を……」
「大丈夫です」
家族に余計な材料を与えたくはない。ただ、何とかはしないと…
「しばらくは事務所の人間を傍につけさせてください」
「はい……」
「コメント主の特定ですが…こちらで可能な限り情報を集めます。が、情報開示請求しないと難しいでしょう。それについては…?」
私の意向を訊いてるんだって気づいて「考えさせてください」って答えた。
元よりその気はないけど…
この件は自分で何とかするつもりだから。
社長は何か言いたげだけど、なにも言わなかった。
「…ではしばらく様子を見ましょう。ただし、明石さんの身が危険だと判断したら、会社の判断で動きますし、明石さんもそれに従ってもらいます。いいですね?」
「……はい、とろしゅくお願いします」
「また誤字ですよ?」




