第72話 プロ
汐咲が美癒のいる世界に来て二日目。
美癒と空の二人が学校に行っている間、汐咲は家事を手伝うようになっていた。
「よし、お掃除おーわりっ!」
家の外で箒を両手に持ち、一通りの掃除を終えた汐咲はそう言って腰に手を当て綺麗になった周辺を見て満足そうな表情を浮かべる。
だが、その表情も一瞬にして曇ると大きな溜め息を吐いてしまった。
「はぁ、私何してるんだろう。早く空にぃと一緒に元の世界に帰りたいのに……」
本来なら兄と共にこの世界から去り、アルトニアエデンに帰りたかった。
しかし汐咲は空からこの世界に留まる事情を聞き、簡単には帰れない事を知ってしまう。
どうすれば良いのかも分からず暗い表情を浮かべていた汐咲、すると、そんな汐咲に一人の男が声を掛けてきた。
「ほぉう、やっぱりそういう事かぃ」
この世界で聞こえてきてはいけない聞き慣れた声。
その声が汐咲の耳に届いた途端、反射的に声のする方に視線を向けると、そこには腕を組みしかめっ面のバランが立っていた。
「バラン隊長!? ど、どうしてここにっ。あ、えっと! その、私は……!」
バランを見てあたふたと慌て始める汐咲にバランはゆっくりと近づいていく。
叱られる? 怒られる? はたまた殴られる? 重罪を犯した自分にバランが何をしてくるのか汐咲は身構えてしまう。
だが、バランはゆっくりと汐咲の頭に手を置くと、安心したような表情で口を開いた。
「全く心配させやがってぇ、お前さんは俺の大事な部下でもあるって自覚が有るのかぁ?」
「も、申し訳ありません! あの、どうして此処が分かったんですか……?」
「お前さんの兄貴、風霧空がこの世界に来たって情報が分かってな。もしかしたらと思って来てみれば案の定これだ。……話を聞いてやるが、ここは目立つ。ついてこい」
それだけ言い残しバランは汐咲に背を向け歩き始める。
汐咲は少し躊躇った後、手に持っていた箒を壁に掛けると、勇気を振り絞るようにバランの後をついていくのであった。
バランと汐咲は暫く歩き人気の無い山奥へと来ると、漸くバランを足を止めたが、そこで先に口を開いたのはバランではなく緊張した様子の汐咲だった。
どうしてこの世界の来たのか、どうやってこの世界に来たのか、その一部始終を説明していく。
そして最後に汐咲はある疑問をバランに投げかけた、それは空から聞かされた軍の隠蔽についてだった。
「美癒さんが魔法使いに襲われる事をアルトニアエデンの軍は知っていたのに、どうして助けようとしなかったんでしょうか? 軍がしっかり動いていれば兄だって勝手に他世界へと行くことなんてなかったんです……!」
「『だから兄は悪くない』……そう言いたいのか」
「兄はただ命を守りたかっただけなんです!」
「分かった、その件についてはもういい。だが次からは動く前にきちんと俺に相談するんだぞ、世の中『報・連・相』は大切だからなぁ」
そう言ってバランは上着の内ポケットから四つ折にした一枚の白い紙を取り出し、それを汐咲に手渡す。
「手紙……?」
渡された一枚の紙を広げる書いてある内容に目を通していくと、その紙を持っていた汐咲の両手が微かに震え始めた。
「ッ!? バ、バラン隊長? これって……!」
「つい先程、『俺達』宛てに送られてきた命令。全てはその紙に書いてある通りだ」
思わず目を疑うような命令の内容に汐咲は動揺が隠せずにいたが無理もない、何故ならそこには自分が抱いていた疑問の答えが書き記されていたのだから。
「でも、そんな……じゃあ、美癒さんが襲われても軍が助けなかった理由って───」
「汐咲。お前さんは兄貴と仲良く元の世界で暮らしたいんだろう?」
ふと汐咲が顔を上げると、そこにはバランが目の前に立っており、汐咲の肩に優しく手を置き言葉を続ける。
「もしこの作戦が成功すればお前も兄貴も罪を免除される、それ所か表彰され確実に特進するだろう。成功すれば新兵から本部直々の『親衛隊』か『白騎隊』にすら入れる功績だからな」
「で、でも……こんな事私には……」
「この方法が誰も傷付かない最善の方法だと思うのは俺だけか? 軍が本腰入れて動く前に終わらせるんだ。でないとお前さんも兄貴も重罪で裁かれる事になるんだぞ、そうなればもう二度と平穏な生活は送れないと思ったほうがいい」
「っ……」
心の整理が出来ず表情を曇らせる汐咲に、バランは顔を近づけると耳元で囁いてみせる。
「荷が重いのは分かる、本音を言えばこんな事はさせたくない。だが、それが出来るのは今の所お前さんだけなんだ」
自分だけがこの作戦を実行出来る。
この作戦が成功すれば兄と自分の罪は消え、再び平穏な日々を過ごす事が出来る。
そんな感情と共に、汐咲は自分の内側から感じる黒い感情も芽生えつつあった。
そもそも何故こんな事になってしまったのか、その理由は勝手に他世界へと行った空の責任。
他世界へと行った理由は命を守る為───しかし、仲睦まじい空と美癒の姿を見ると、胸の奥が締め付けれるように苦しくなる。
一人ぼっちの自分を置き去りに、一人楽しい生活を送っている。
とても楽しそう、とても嬉しそう、とても温かそう。
でも、そこに自分はいない。
どうして?
どうして……。
あの時、約束してくれたのに───。
「分かり、ましたっ」
汐咲は力強く頷くと、下げていた視線を上げてバランと目と目を合わせる。
「私やります」
力強い目で応えてくれた汐咲の言葉に、バランは少し申し訳無さそうにお礼を述べると、バランもまた強い視線で汐咲を見つめた。
「すまない、有り難う。この作戦が成功すればお前さんと兄貴の身の保障は約束する」
「待ってください。美癒さんも、その周りの人達も、皆の身の保障を約束してください」
「……分かった、約束しよう。俺が全力で守ってやる」
「ありがとうございます、バラン隊長」
その後、汐咲はバランから手の平サイズの端末を受け取りそれをスカートのポケットにしまうと、汐咲はバランの元から去っていった。
その間、バランは木に凭れかかりながら汐咲の後姿を見送ると、上着の内ポケットからもう一つの端末を取り出してみせる。
「やぁれやれ、願わくばこいつの出番がこない事を祈るよ」
美癒達の通う高校からチャイム音が聞こえてくる。
それは最後の授業が終わる音であり、生徒達は帰宅の準備をし始めていた。
美癒もまた机の中から教科書とノートを取り出し鞄に詰め込んでいると、既に帰宅の準備を終えた桜が声をかけてきた。
「美癒、今日の放課後私の仕事場に来ないか?」
「桜さんの仕事場……?」
「ああ、今日は雑誌に載せる為の撮影があるんだが、是非美癒に来てもらいたいんだ」
どうやら今日の桜の仕事は写真撮影であり、美癒は今まで桜がモデルや歌手として働いている所を見た事が無かった為、興味津々に目を輝かせながら頷いてみせる。
「うん! 桜さんのお仕事見てみたい!」
「っしゃぁッ!」
満面の笑みを浮かべる美癒、桜もまた喜びの余りガッツポーズを取ると、鈴は呆れた様子で会話に入ってくる。
「桜ー、明日から休みやけんって美癒っちを帰さないのはあかんからな! あと、帰る時は言うてな、夕食温めなおすから」
「ああ、何時もすまないな。帰る時また連絡する」
「ん、ほなうちは先に帰るで、今日は週末恒例のタイムセールあるし。ほなな~!」
何時もは一緒に帰っている鈴がスーパーに寄る為先に帰り、帰宅の準備を終えた美癒が鞄を手に持ち立ち上がると、空もまた鞄を手に立ち上がったが、桜は空に詰め寄ると顔を近づけ喋り始める。
「空、お前は私の仕事場に来る事は許さん。大人しく帰るのだな」
「えっ!? で、でも。もし僕がいない間に刺客でも現れたりしたら……」
「その時は私が成敗してくれる」
「万が一という事もありますし……」
両者一歩も引かない攻防を繰り広げる桜と空。
桜からすれば美癒と二人きりの時を過ごしたいのだが、空からすれば何時如何なる時も美癒を守れるようにしておきたい。
その気持ちは十分桜も理解している。だが、それを分かっていても文句を吐く桜だったが、仕方の無い事だと思い漸く折れてくれた。
「まぁいい、今回だけは特別に許可してやろう」
「ありがとうございます、桜さん」
許可してくれた桜に空は頭を下げてお礼を言うと、三人は教室を出て行くと桜を先頭に帰り始めた。
その間、桜から簡単に仕事の内容を説明され、美癒と空は桜の話しを聞いている最中、校門に差し掛かった所で見覚えのある少女が立っている事に気付いた。
「汐咲……!」
「おかえり、空にぃ」
校門の前で壁に凭れかかり皆の帰りを待っていた汐咲を見て空は何事かと思い足早に近づいていく。
「学校に来るなんてなにかあったのかい?」
「ううん、別に。ちょっと近くを通りかかったから来てみただけ───」
汐咲は空と目を合わせずそう言うと、直ぐに二人の間に桜が分って入る。
「汐咲、今から一緒に私の仕事場に来い」
目を輝かせなら顔を近づけてくる桜に動揺しながら汐咲は桜との顔の距離を離していくと、『仕事』という言葉に首を傾げてしまう。
「し、仕事……?」
「ああ、私はモデルに歌手、つまりアイドルとして活動しているのだが、今日は写真撮影の仕事が入っていてな、良ければ来てはみないか? 美癒と空もこれから一緒に向かう所だ」
正直言うと桜の仕事に興味の無い汐咲はこの話しを断ろうと思った。
だが、美癒が向かうと言うのであれば話しは別、汐咲は直ぐに興味があるかのように桜を見ると元気良く頷いてみせる。
「はい、私も行ってみたいです!」
「よし、決定だ」
こうして汐咲を含めた四人で撮影の仕事がある建物へと向かい始める。
その間にも四人は軽く雑談をしていたのだが、汐咲が浮かない表情で話している事に気付いた美癒が気になって声をかけようとした時、歩いていた桜が足を止め立ち止まった。
「到着! 中に入るぞ」
桜は特に緊張や躊躇いも無く建物に入ろうとしたが、その場にいた桜を除く三人はその建物の大きさに圧巻されていた。
「お、おっきい……!」
美癒は見上げるように顔を向け、天にまで届きそうな建物の最上階を見ていると、空は建物の前にでかでかと置いてある会社の名前が彫ってある石版に目を向けた。
「思っていたより大きな建物ですね。しかもここってあの有名な……」
「おーい何をしてるー? 手続きがあるから早く来てくれー!」
警備員が立つ自動ドアの前で大きく手招きする桜に三人は慌てて走り始めると、そのまま受付に向かい簡単な手続きを済ませる。
その後『ゲスト』と書かれた社員証のような物を手渡されると、それを首から提げ漸く建物の奥へと入る事を許された。
相変わらず桜は平然とした表情で歩き続けるが、後ろの三人はきょろきょろと周りを見てしまう。
「どうした、緊張しているのか?」
挙動不審の三人に桜は声をかけると、美癒は思った事を素直に吐き出した。
「う、うん! ちょっと!」
「ふふっ、無理もない。私も最初はそうだった」
そう言いながら向かい側の通路から歩いてくる綺麗な衣装を着た少女達を見て手を軽く上げると、桜に気付いた少女達は小走りで桜の元まで来ると、腰を曲げ大きく頭を下げた。
「お疲れ様です!」
走ってきた五人の少女達はそう言って一斉に頭を下げると、そんな少女達の態度を見て桜を除く三人は驚いてしまうが、桜は特に動じる事もなく話しを進める。
「ああ、お疲れ。今日は新曲発表の特番だろう? 頑張るんだぞ」
「はい! ありがとうございます!」
五人組の中で一番前に立っている女性が頭を下げると、その横に立っていた少女が不思議そうに声をかけてくる。
「桜おねえちゃん、その人達だーれ?」
その少女の言葉にアイドル達は桜の後ろに立ってい三人を見つめ始める。
「か、可愛い……えっ、もしかして新しいアイドルの人達!?」
「カ、カッコイイ……まさか男女共同のユニットですか!?」
「桜さんソロ活動止めちゃうのっ!?」
少女達に囲まれ一斉に質問攻めに合う桜、その熱気と剣幕に思わずたじろいでしまうが、桜は冷静に説明し始める。
「待て待て落ち着け、私の仕事を見学する為にクラスメイトとその妹を連れてきただけさ」
そう言われても素直に納得が出来ず、少女達は疑いの目で桜を見つめていたが、桜は通路の壁に掛けて合る時計を見て指を指した。
「おっと、引き止めておいてすまないが、お喋りをしている時間はないと思うが?」
「あっ! そ、そうでした。すみません、それでは……!」
少女達は再び頭を下げた後駆け足で通路を移動していくと、先程の少女達の様子を見た美癒が嬉しそうに口を開いた。
「桜さん、皆から慕われてるね」
「ああ、私も嬉しいよ」
桜はそう言って少女達の後姿を懐かしそうに見つめていたが、直ぐに美癒の方を見つめると両肩に手を置き顔を近づける。
「はっ!? まさか美癒、嫉妬したのかッ!? 病むでない、私がみゆみゆを愛する気持ちは誰にも負けんッ!」
「う、うん……?」
桜の言葉に美癒はきょとんとした表情を浮かべてしまう、すると桜は美癒の後ろに立っていた汐咲に目をむけ軽くウィンクしてみせる。
「せらせら、勿論お前もだっ!」
(せらせらって誰っ!?)
『せらせら』と呼ばれても汐咲は自分の事だと思いたくもなく一歩後ずさりをしてしまう。
そんな微笑ましい三人の様子をはたから見ていた空は笑みを浮かべていた。
それから桜は三人を連れ仕事場に到着、事情を説明すると快く承諾していもらい見学可能となった。
そして桜と美癒と汐咲の三人は、桜の写真撮影をする衣装を選ぶ為、衣装室へと来ていた。
何百にも及ぶ可愛らしい衣装に美癒も汐咲も興味を惹かれ手に取っていると、既に気に入った衣装を手に取った桜が声をかける。
「気に入った衣装があれば着ても良いぞ」
「えっ? いいのかな……?」
「構わん、私が許可する」
それだけ言い残し桜は衣装に着替える為更衣室に入ると、美癒は色々な衣装を眺めていた汐咲に声をかけてみた。
「汐咲ちゃん、一緒に衣装着てみよっか!」
「ええっ!? 私は別に、そんな……」
「色んなお洋服があるんだよっ、汐咲ちゃんは着てみたいお洋服とかないの……?」
「有るにはありますけどぉ……」
「それじゃあ一緒に着ようよ! こんな事滅多にないもん。ねっ」
正直に言えばアイドルの衣装に興味のあった汐咲は美癒の一押しに頷くと、美癒と共に衣装を選び更衣室に入っていく。
こいうして着替え終えた二人は鏡の前に立ち自分の姿を照れ臭そうに見つめていると、その後ろでは桜がスマートフォンのカメラを片手に興奮しながらひたすら撮り続けていた。
「良い! 実に良いぞぉおッ! やはり連れて来て正解だったーっ!」
美癒は普段着ているような清楚な洋服ではなく、少しアグレッシブな派手な衣装を着ており、汐咲もまたミニスカートから短パンを履き肌の露出が激しい衣装を着ていた。
恥ずかしがる二人を容赦なく撮り続ける桜だが、ふと我に返り今日の仕事を終わらせるべく足早に更衣室から出て行く。
桜が出たのを見た美癒と汐咲もまた更衣室から出ると、桜の撮影が始まっている現場へと足を進める。
部屋の中からカメラのシャッター音が聞こえてくる辺り、既に撮影が始まっている事に気付いた二人は慎重に撮影現場へと入ると、入り口の直ぐ近くに立っていた空が衣装に着替えた二人を見て驚いた。
「美癒さん、汐咲。その衣装とても似合ってますね」
何時もは見れないような二人の一面に空はそう言うと、美癒は恥ずかしくも嬉しさで笑顔を見せるが、汐咲は恥ずかしそうに俯いてしまう。
「あ、丁度桜さんの撮影が始まった所です。すごいですよね、普段見ている桜さんとは別人に見えます」
その空の言葉に美癒と汐咲の視線は桜に向けられたが、その言葉の意味が直ぐに分かった。
美しく。
綺麗で。
可憐。
その全ての言葉が当てはまる程、桜の姿は皆を魅了していた。
何時もはふざけた態度を取る桜も、カメラの前で別人かと思える程凛々しく大人びた表情を浮かべている。
かと思えば小悪魔的でいたずらな笑みを見せる時もあり、天使のような満面の笑みを浮かべる時もある。
撮影は順調に進み、魅力的な衣装を着た桜の姿に三人は見惚れていた。
一通りの撮影を終えた桜、手渡されたスポーツドリンクを片手に美癒達に戻ってくる。
「ふぅ、今日はこんなものかな。次はライブでも見に───」
「すごいよ桜さん! とっても可愛かった!!」
はち切れんばかりの思いを吐き出すように美癒は桜の両手を握り詰め寄ると、突然の言葉に思わず桜も動揺してしまう。
「あ、ありがとう」
本来このような事を美癒に言われたら昇天するほどの嬉しさが込み上げて来るのだが、自分を真っ直ぐ見つめてくれる美癒に桜は肩の力が抜けてしまう。
「ふふっ。美癒、汐咲、ちょっと来てくれ」
桜はそう言って美癒と汐咲の手を引きながら歩き先程まで撮影を行っていた場所に行くと、撮影を終えたカメラマンが撮った写真の確認をしているのを見て声をかけた。
「すみませんカメラマンさん、今日は私の友達が来てくれたんです、撮っていただいてもいいですか?」
その呼びかけにカメラマンが顔を上げると、桜の隣に立つ美癒と汐咲を見て体を反らせるほど驚愕する。
「わわぁっ! 桜ちゃんその子達誰!? 新しいアイドル!?」
「クラスメイトとその妹です。ほら、美癒も汐咲も笑って笑って」
桜に促されるものの、カメラを向けられた途端二人は緊張で固まってしまう。
しかし、桜はそんな緊張を解す方法を知っており、両手を伸ばし隣に立つ二人の肩に手を掛けると、抱き寄せながら楽しそうな笑みを浮かべた。
突然の出来事に美癒は戸惑ってしまうが、笑顔を浮かべる桜を見て自然に笑顔になると、汐咲もまた少し恥じらいつつもぎこちない笑みを見せる。
それからカメラマンに何枚か写真を撮っていただき三人の撮影が終わると、桜は二人を連れ満足した様子で衣装室へと向かっていく。
「んふーっ! 撮れた写真は後日私の家に送ってくれるそうだ、楽しみだな~」
上機嫌な桜は慣れた動きで衣装を脱ぎ制服姿に着替えていくが、美癒と汐咲は少し不慣れな動きで衣装を脱ぎ始める。
「そうだ、あの三人で撮った写真を雑誌に載せてもらえないかちょっと話してくる」
そう言って先に着替え終えた桜は衣装室から出て行ってしまい、部屋には二人だけが取り残される形になった。
美癒と汐咲、先に着替え終えたのは汐咲だったのだが、ふとポケットの中に入れていた端末の存在に気付き、汐咲は息を呑んだ。
現在衣装室には美癒と汐咲以外誰もいない、言わば誰も邪魔する者がいないのだ。
やるなら今しかない、汐咲は端末を片手に美癒の入っている個室の更衣室の前まで忍び寄ると、端末の電源を入れた。
「汐咲ちゃん、写真撮影楽しかったね!」
「えっ!? う、うん……!」
突然声を掛けられた汐咲は動揺を隠すようになるべく明るい口調で返事をすると、美癒は制服に着替えながら話し続けた。
「明日は学校休みだし一緒に何処か出かけようね、何処が良いかなー? あ、桜さんと鈴ちゃんも誘ってピクニックにでも行こっか!」
「うん……っ……」
今から自分がやろうとしている事など露知らず、美癒は楽しそうに喋り続けていると、端末を手に持っていた汐咲の腕が止まった。
(やっぱり……私には、出来ないよっ……)
彼女が悪女であってほしかった。
それなら罪悪感も生まれないだろう、バランに言われた事を言われた通りに成し遂げられるだろう。
だがしかし、美癒は余りにも優しすぎた。それ故に汐咲の心は揺らぎ、未だに決心する事が出来ない。
つまりそれは作戦の失敗を意味しており、汐咲は手に持っていた端末を再びポケットに戻そうとした───その時だった。
まるで全身に電流が走るかのような衝撃が汐咲を貫く。
(あ゛っ! がッ……!?)
フラッシュバックされる映像の数々、それはどれも『黒』と『赤』に染まっており、全身に鳥肌を立たせるように痙攣し始める───。
(だじ、けッ、ヒぎぅ……イぅっぅ……!?)
それは『闇』、決して逃げ場の無い地獄に留まり、一寸の光りも無い。
(あっ、じッ!? はッ、ハッハッハッ……!!)
それは『血』、最早誰のものなのかも分からず、今日もひたすら泣き叫び、逃げ惑う。
誰が悪い何が悪いどうして何故なんでこんな何をしたごめんなさいごめんなさいごめんなさ……。
(い……や、そら……にぃ……)
あの時はいたのに、今はいない。
自分の元から去り、自分の知らない所で、生きている───。
(空にぃ……たすけてよ、守ってよぉ、ずっと、ずっとずっとずっとそばにいるってぇえッ!! 空にぃ空にぃ空にぃ空にぃソラにイッ!!)
「汐咲ちゃん……?」
後ろから荒い息遣いを感じ美癒が後ろに振り返る。
『全てこの女が悪い』
汐咲は更衣室のカーテンを強引に開けると、端末を握り締める右腕を大きく振り上げ全力で叩きつけるように美癒の胸目掛け突き出した。
「えっ───?」
胸を叩きつけられ激しい痛みが美癒を襲うが、それよりも美癒は自分の目の前に立ち冷たい目で睨むように立っていた汐咲から目が離せなかった。
直後、端末から眩い光りと共に美癒を囲うように魔法陣が展開、その魔力を察知し衣装室の前で待機していた空が扉を吹き飛ばし部屋に中に入ってくる。
開けるという動作より吹き飛ばす動作の方が最短で部屋に入れる、それ程まで急を要する事態に陥った事を空は既に察しており、美癒を囲う魔法陣を見て双剣を振り翳しなが叫んだ。
「美癒さんッ!!」
「空君……っ!」
美癒が手を伸ばし、空もまたその手を掴もうと腕を伸ばした。
だが、二人の指が触れる寸前、美癒は魔法陣が放つ光りと共に姿を消すと、空は美癒のいなくなった場所に立ち止まる事が出来ず跪くようにその場に倒れてしまう。
「そんなっ……美癒さん……?」
絶望に打ち拉がれる空、力無く後ろに振り返ると、そこには虚ろな目を見開く汐咲が足を震わせながら立っていた。
「今のは……転移魔法……? ……汐咲……?」
「え、へへっ……ソラにぃ、これで……これで、やっとぉ───」
全てが元通りになる───。
建物の照明が全て消え、その場が一瞬にして闇へと包まれる。
地鳴りが聞こえ建物が振動し始めるが最早不安や恐怖など感じず、全方位から聞こえてくる音が建物の崩壊する音だと気付いた時、汐咲の意識は唐突に途絶えた。
光りに包まれた美癒の意識は朦朧としていた。
眩い光りに目蓋を閉じ、事が終わるのを待ち続ける。
そして光りが消え、先程まで感じていた浮遊感も無くなると、ゆっくりと目蓋を開いた。
赤く長い絨毯の上に寝そべるように倒れている自分の体を起こし、その場に座りながらも辺りを見渡していく。
まるで何処かのお城のような場所に美癒は戸惑っていると、この部屋の奥にある一つの椅子に、一人の人間が座っているのが見えた。
豪華な部屋とは対するような質素な椅子、その椅子に座っていた純白の鎧を身に纏う女性。
美癒が現れるのを見ても特に動揺した素振りも見せずその場に立ち上がると、一歩ずつ踏みしめるように美癒に近づき始めた。
「あの……ここ……ううん、貴方は……誰……?」
透き通るような蒼い瞳、美しい長髪を靡かせ鎧を身に纏う女性に美癒が話しかける。
その時には既に美癒の目の前にまで来ており、女性は足元にいる美癒を見下ろしていく。
「よく憶えておけ」
そう女性が呟いた直後、その場に膝を突き美癒と視線を合わせると、その右手で美癒の顎を軽く上げ、額が触れそうな程顔を近づけた後、瞳の奥を覗き込むように目を見開き囁いた。
「私の名はジャスティア・リシュテルト───お前を穢す者だ」




