静寂の誓いと黒の飛来
「……アルベール宰相閣下のご息女、だったのですか!?」
自己紹介を終えた途端、ティファが椅子から飛び上がりそうな勢いで畏まった。商家の娘である彼女にとって、国の実権を握る宰相家は雲の上の存在だ。
「そんなに固くならないで。家の中じゃ、ただの騒がしい双子なんだから」
ユーリが笑って彼女をなだめる。だが、ティファの視線は依然として僕に釘付けだった。頬を赤らめ、尊敬と羨望が混ざったような瞳で僕を見つめる。
「それにしても、ユーリ様はもちろん、リンネ様……本当にお美しくて。あの、先ほどは『お姉様』なんて呼んでしまって失礼しました。あまりに凛々しくて、憧れの女性騎士様かと思って……」
「……ティファさん」
僕は重い溜息をつき、果実水のコップを見つめたまま静かに告げた。
「……ボク、男なんだ」
「えっ……?」
ティファの時間が止まった。
大きく見開かれた瞳が、僕の喉仏(まだほとんど目立たないが)や、肩のラインを必死に走査している。数秒の沈黙の後、彼女は顔を真っ赤にして絶句した。
「そ、そんな……! でも、その美貌で!? 声だってそんなに低くないし……!」
「ほらね、やっぱり間違えられた! リンネ、もう諦めて女装して入学したら? 誰にもバレないわよ」
「……笑い事じゃないよ、ユーリ。ボクは至って真剣に、男として生きてるんだから」
凹んでいる僕を尻目に、ユーリの笑い声が響く。だが、この「勘違い」は皮肉にもティファの緊張を解したようだった。彼女は「リンネくん……くん、ですね」と何度も反芻しながら、ようやく笑顔を見せた。
「あの、私も……商家の子ですが、今年から魔法学校に通うんです」
「本当? じゃあ、ボクたちと同級生だ」
「はい! 学校でまたお会いできるのを楽しみにしています」
僕たちは再会を約束し、夕暮れの港で別れた。ティファの後ろ姿を見送りながら、僕は無意識に懐の「ルール」の感触を確かめた。学園生活――それは、僕がこの世界の理を解析し、帝国を打倒するための力を蓄えるための、格好の「実験場」になるはずだ。
◇◇◇◇◇
深夜:アルベール館の裏庭
太陽が沈み、王都が深い眠りに落ちた頃。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返ったアルベール館の裏庭に、巨大な「影」が音もなく舞い降りた。
巨大な翼を畳み、鋭い爪を芝生に食い込ませるのは、漆黒のワイバーン「ノワール」。
その背から、同じく黒装束に身を包んだ女性――マリアンヌ・デュファが飛び降りた。
「……来たか」
庭の隅、巨木の影から僕が姿を現す。
昼間の半袖シャツではない。全身を闇に溶け込ませる黒のタクティカルウェア。リオンから受け継いだ短剣を腰に帯び、髪は戦いの邪魔にならぬようタイトにまとめ上げている。
「夜分に失礼します、リーン殿下……いえ、今は『リンネ・アルベール』でしたね」
マリアンヌが膝をつき、低く、重い声で言った。その瞳には、かつてのエルウィン王国竜騎士としての鋭い光が宿っている。
「昼間の港での一件、耳に入っております。……相変わらず、鮮やかな『掃除』だ」
「あれはただの余興だよ。それで、今日の用件は?」
マリアンヌは懐から、一枚の封蝋された書簡を取り出した。
「帝国の秘密兵器輸送ルートを特定しました。魔法の探知を避けるため、物理的な『破壊』が必要な任務です。……魔力を持たぬがゆえに、誰よりも正確に理を壊せる貴方にしか、頼めない」
僕は書簡を受け取ると、無表情に口端を吊り上げた。
「……いつもの依頼(仕事)だね。いいよ、引き受けよう」
カストラート王国の若き公子の皮を被り、僕は今夜も、世界の理不尽を解体するための闇へと飛び込んでいく。
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