無彩色の慟哭、赫(あか)の決別
リーン・ウィンディー・C・エルウィンが八歳を迎えた時、その姿は周囲を驚愕させる変貌を遂げていた。
一年で三歳分以上の急成長を遂げる獣人の血。八歳のリーンは、すでに身長140cmセンチに達し、その体躯は柳のようにしなやかで華奢だった。
何より人々を絶句させたのは、その容貌だ。
母メアリの面影を強く受け継いだ、吸い込まれるような美貌。透き通るような白銀の長髪をなびかせるその姿は、初見の者には高潔な美少女にしか見えず、その内側に苛烈な物理の牙が隠されているとは誰も思わなかった。
運命の日、王宮は重苦しい静寂に包まれていた。
病床の国王エリックの寝室には、正妃や側妃、そして第一から第三までの王子が一堂に集められ、離宮にいた母メアリもまた、王の「たっての願い」という名の強制力によってその場に付き添わされていた。
突如、鼓膜を震わせたのは、経験したことのない「重低音の唸り」だった。
空気が微細に振動し、離宮の窓ガラスがカタカタと鳴り始める。庭にいた僕は、その音の正体に心当たりがありすぎる自分に戦慄した。
「……嘘だろ。この振動、まさか、往復動エンジン(レシプロ)……?」
見上げた空、雲を割って現れたのは、太陽の光を鈍く跳ね返す鋼鉄の怪物だった。
騎士たちが「伝説の魔鳥か」「古代の遺物か」と混乱に陥る中、僕だけがその絶望的な正体を知っていた。四発のプロペラを持つ銀色の死神――ウルク帝国のB-29爆撃機。
「逃げろ! 城から離れろッ!!」
僕の叫びが空虚に響く中、鉄の鳥の腹から「黒い卵」が次々と産み落とされた。
王の寝室を狙い澄ました、精密爆撃。
直後、すべてを掻き消す轟音と衝撃がエルウィン城の本丸を粉砕した。魔法の障壁が展開される暇さえない、純粋な「質量と火薬」の暴力。
「母さん……母さん!!」
僕は叫び、砂塵が舞い上がる本丸へと駆け出した。
辿り着いた王の寝室は、見る影もなく崩落していた。
「『支配空間』――重力操作、下方減衰ッ!」
僕は慟哭を押し殺し、無彩色の空間を展開した。僕の意志一つで、母を押し潰している巨大な石材の質量を一時的に無効化する。紙屑のように瓦礫を跳ね飛ばし、僕はその中心へと飛び込んだ。
「母さん……母さん!」
そこで僕は、最悪の光景を目にした。
血を流し、息絶えている母メアリ。
彼女は、自分を蔑み続けた男――エリック王を庇うように、その上に重なって倒れていた。
僕の腕の中で、母の体はまだ温かかった。けれど、その瞳に光が戻ることはなかった。
「……う、あああああ……っ!!」
僕は母を抱き上げ、人目を憚らず叫んだ。理不尽だ。魔法だ、王命だ、運命だ。そんな不確かなもののために、なぜこれほど美しい人が死ななければならない。
「……見事なものだな。あれほど疎まれていながら、最期まで王妃の責務を果たすとは」
瓦礫の中から立ち上がったのは、第二王子アルベールだった。彼は泥に汚れながらも、その瞳には恐怖の色などひとかけらもなかった。むしろ、目の前の惨状すら冷静に観察している。
上空を悠然と旋回する爆撃機。そして、パラシュートで降りてくる帝国兵たち。彼らは腰のリボルバー拳銃を抜き、生き残った衛兵たちを掃射していく。
「消えろ……消えてなくなれ、全部……!」
怒りが悲しみを塗り潰し、僕の中で臨界点を超えた。
脳内の演算回路が、この世界の理不尽を打ち砕くための「解」を導き出す。
「『支配空間』――最大出力、射出系定義ッ!!」
アルベールの目の前で、僕を中心に半径数十メートルの世界から色彩が剥ぎ取られた。
色彩なきモノクロームの空間内、僕はまず大気分子を排除し、完全なる『真空』を固定する。流体抵抗をゼロにするためだ。
次に、虚空へ二条の平行な電磁レールを構築。強烈な磁場を励起させ、その中心に高密度の『劣化ウラン』を材料とした円錐状の弾体を生成した。
(弾体に超高速のライフリング回転を付与。ジャイロ効果による直進性の固定、完了――)
僕が掌を天へ向けた瞬間、ローレンツ力による暴力的な加速が始まった。
――射出。
真空空間内では音一つしなかった。
だが、音速の数倍へと加速された劣化ウラン弾が、支配空間の境界線を越えて大気へと解き放たれた瞬間、世界が悲鳴を上げた。
――カァッ!!
静寂を切り裂く、鼓膜を震わせる凄まじい衝撃波。
極超音速で飛翔する質量が空気を強制的に排除し、断熱圧縮による白光の尾を引く。
回避も、防御も、魔法の詠唱さえも許さない。
着弾と、大気を震わせる轟音はほぼ同時だった。
劣化ウラン弾はB-29の主翼根本を容易く貫通し、その膨大な運動エネルギーを内部で爆発的に解放した。鋼鉄の巨躯が紙細工のようにひしゃげ、火を吹き、螺旋を描きながらエルウィンの街へと墜落していく。
「……ほう。それがお前の『無色』の正体か」
アルベールが、衝撃波で乱れた髪をそのままに、不敵に口端を吊り上げた。
目の前の幼き王子が放ったのは、魔法などという不確かな奇跡ではない。厳然たる物理法則の暴力だった。
その時、頭上から黒い影が舞い降りる。竜騎士マリアンヌのワイバーン「ノワール」だ。
「リーン様! 急いで!」
マリアンヌが差し伸べた手を見て、僕は一瞬、傍らのアルベールを振り返った。だが、小柄なノワールの背に、成人男性の彼を乗せる余地はない。
「アルベール兄上、あなたは……!」
「案ずるな、リーン。私は城内の生き残りを集結させ、ここを立て直す。王も他の兄弟も死んだ今、私が動かねばこの国は終わる」
アルベールは冷徹に言い放った。その瞳には、すでにこの惨劇すら利用して権力を握らんとする、黒い野心が燃えている。
「お前は行け、リーン。その力、ここで死なせるには惜しい。……いずれまた、私が呼び寄せるまでな」
「……わかった。死ぬなよ、アルベール兄上」
僕は母を抱いたままでは飛べないことを悟り、断腸の思いでその遺体を安全な影へと横たえた。マリアンヌの手を掴み、ワイバーンの背へと飛び乗る。
「西へ……カストラート王国へ向かう!」
ノワールが夕闇の空へと羽ばたく。
燃え盛る王都を背に、僕は誓った。
この美しくも醜い世界に蔓延る全ての理不尽を、僕の物理学で塗り替えてやるのだと。
八歳。
母と瓜二つの容姿に、化け物の力を宿した「無色」の王子。
復讐と再構築の旅路が、ここから始まる。
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