左遷騎士と化け物王子
エルウィン王都の北端、手入れの行き届かぬ離宮の庭。
そこは、王家の「不名誉」を隠すための檻だった。
「……構えろ!リーン殿下」
風を孕むような鋭い声。
目の前に立つのは、リオン・ウィード・ヴォルタール。風雷騎士団の遊撃隊長を務める、この国屈指の若き剣才だ。本来ならば王太子(第三王子)の指南役に選ばれるはずだった男が、今、魔力を持たぬ「無色の王子」の前に立っている。
宮廷内では、これは明らかな「左遷」と笑われていた。だが――リオンの瞳に宿るのは、失望ではない。
(エリック王は、この母子を捨てる気だ。ならば、私が鍛えるしかない。この幼き命が、いつか放たれる牙に噛み殺されないために)
リオンは、敬愛するメアリ殿下の悔し涙を忘れていなかった。
彼はあえて心を鬼にし、二歳になったばかりの僕に向けて木剣を振るう。
「騎士にとって、魔力は生命線だ。だが、魔力を持たぬお前にはそれがない。ならば、泥を啜ってでも生き残る『技術』を体に刻み込め!」
ヒュン、と空気を切り裂く一撃。
大人でも反応できない速度。だが、僕はそれを「見て」いた。
(……驚いたな。この体、なんてスペックだ)
僕は横っ飛びに避ける。
前世の僕なら、頭で理解していても体が動かなかった。だが、この獣人の肉体は、一歩で数メートルを跳び、着地の衝撃を関節がしなやかに吸収する。
一年で人間の三歳分成長する獣人の身体能力。さらに僕は、これに「ルール」を付け加えた。
(重心の位置、関節の可動域、筋肉の収縮速度。すべては『ベクトル』と『モーメント』だ。魔法なんて不確かなものに頼らなくても、物理は僕を裏切らない)
「……避けたか。だが、次はどうだ!」
リオンが踏み込む。
僕は逃げなかった。逆に、彼の懐へと一気に潜り込む。
「なにっ!?」
リオンが驚愕に目を見開く。
僕が使ったのは、前世の図書館で読み耽った古武術と格闘技の知見。
相手の体重移動を読み、最小限の動きで死角を取る。二歳児の小さな体躯は、リオンのような長身の騎士にとって「視界の下」に消える死角そのものだった。
僕はリオンの膝裏を蹴り、同時に彼の腕を掴んで重心を奪う。
「ぐっ……おお!?」
巨躯が、まるで魔法にかけられたように地面へ向かって沈んだ。
柔の理。梃子の原理。
リオンが辛うじて踏みとどまるが、その顔には戦慄が走っていた。
「……今のはなんだ。風の魔法で加速したわけではない。ただの……いや、あまりにも『合理的』な身のこなし。誰に教わったんだ?!」
「ただの物理だよ、リオン。力任せに振るうのは、エネルギーの無駄だ」
僕は息を切らしながらも、不敵に笑ってみせた。
二歳児(人間換算で五歳)が放つ言葉ではない。
遠く、離宮の窓から僕たちの様子を見つめる母・メアリの姿が見えた。彼女は不安げに、けれど僕の成長に一筋の希望を見出すように、強く胸元で手を組んでいる。
「……ハハハ、生意気な。殿下、前言を撤回しましょう。『不憫な子供』だと思ったのは間違いでした」
リオンが木剣を握り直す。その口元には、狂気にも似た歓喜の笑みが浮かんでいた。
「殿下は、この国の腐った秩序を覆す『爆弾』だ。よろしい。地獄の果てまで付き合ってやる」
この日から、訓練はさらに過酷さを増した。
僕はリオンという最強の壁を相手に、前世の知識という刃を研ぎ澄ませていく。
(物理の理があれば、魔法にだって届く。見ていろ、エリック。僕を捨てたことを、すぐに後悔させてやる)
離宮の庭に、再び木剣のぶつかり合う音が響く。
それは、世界を書き換えるための序曲だった。
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