鋼鉄の揺り籠と、「無耳(みみなし)」の異端
僕の指示通り、ユーリが適切な浸透圧の魔法水を流し込み、エリザが真空で傷口を塞ぐ。
水竜を蝕んでいた黒い槍が抜けると、濁っていた湖の水は一気に浄化され、竜の青い鱗が美しい輝きを取り戻した。
「……あ。頭の中に、直接声が聞こえる……」
水色の犬耳をピクリと震わせ、ユーリが水竜の鼻先にそっと手を触れた。
水属性として高い親和性を持つ彼女に、竜が感謝の念話を送っているのだ。
「……竜の意思。……受信中」
エリザが報告する。ユーリは瞳を潤ませ、自分の「耳」で聞いた竜の言葉を代弁した。
「この子は、この島を守る守護竜だったの。でも数日前……帝国軍が小竜たちを狙って現れた。この子は子供たちを守ろうとして、あの卑怯な槍を……」
「帝国が水竜狩りを? 素材集めにしては、やり方が組織的すぎるな」
僕は抜き取った黒い槍の材質を確認した。これは魔導金属ではない。炭素含有量を極限まで調整された、現代的な「高炭素鋼」に近い。
「リンネ様、竜さんが言っています。小竜たちは、島の北側に停泊している『鉄の巨大な箱』に閉じ込められているって……」
ティファが瞳を不安げに揺らしながら僕を見つめる。
「鉄の箱……。木造帆船が主流のこの世界で、装甲艦を実戦投入しているのか」
***
深夜。北の入り江に、月光を反射する無骨なシルエットが浮かび上がっていた。
全長八十メートル。木材を一切使わない鋼鉄製軍艦。煙突からは重油の焦げた匂いが漂い、内燃機関の振動が海面を伝って微かに響いてくる。
「……目標、視認。鉄の艦。……魔力的反応、希薄。物理的強固さ、最大」
エリザが潜入用のウェットスーツの隙間から、獣人特有の鋭い耳を覗かせながら呟いた。
僕たちは影となり、鉄の怪物の舷側へと取り付いた。
小竜たちの悲鳴を頼りに、最下層の実験室へと辿り着く。
重厚な扉の隙間から中を覗き込んだ瞬間、僕の背筋に冷たいものが走った。
「……検体04、マナの抽出効率は維持。次の段階へ移行する」
そこにいたのは、帝国の魔導士ではなかった。
この世界の住人なら必ず持っているはずの、「獣の耳」を持たない男。
機能的な「白いコート」を羽織り、彫りの深い顔立ちに度数の入った眼鏡。
それは、僕がかつていた世界で「白人」や「アメリカ人」と呼ばれていた人種そのものの姿だった。
「な……何、あの人。耳がないわ……!? それに、あの格好……」
ユーリが息を呑む。この世界において、獣の特徴を持たない「人間」の姿は、伝承の中にしか存在しない異形だ。
「……異質。マナを感じない。……でも、不気味なほどの知性」
エリザが喉を鳴らし、警戒を露わにする。
男がゆっくりと振り返った。その冷徹な微笑には、科学者特有の「知識への渇望」が宿っている。
彼は僕たちを一瞥し、特に僕の顔を凝視した。
「おや……。予定にない侵入者だね。それも、ずいぶんと『洗練された』術式を纏っている。……その若さで、マナをこれほど精密な『物理定数』として扱っているのかい?」
「リンネ様……あの人、何を言っているんですか?」
ティファが怯えるように僕の袖を掴む。
仲間たちは、僕が使う「物理」を、僕独自の天才的な魔法理論だと思っている。
僕が彼と同じ「異世界人」であることなど、夢にも思っていない。
「……質問に答える前に、一つ訂正しておこう」
僕は一歩、明るい通路へと踏み出した。仲間に悟られないよう、細心の注意を払いながら。
「ボクの計算は、君のような独善的な実験のためにあるんじゃない。ボクは、この世界の『理』を守るために、君たちのオーパーツを解体しに来たんだ」
「はは、面白い。獣人の子供に説教されるとはね。……だが、君の『理論』が、我々の『科学』にどこまで通じるか……試させてもらうよ」
男がタブレット型のデバイスを叩くと、室内を囲む電磁障壁が青白く唸り始めた。
同じ世界の知識を持ちながら、正反対の道を歩む二人の「知」。
鉄の艦内で、物理学と物理学が衝突する、静かなる宣戦布告が鳴り響いた。
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