硝煙のち、潮風の予感
試験という名の「精神的摩耗」を乗り越え、学園にはようやく穏やかな、そして浮足立った空気が戻ってきた。
学生達は、物理定数の計算よりも、今はカレンダーの空白をどう埋めるかが重要だった。
◇◇◇◇◇
試験最終日の放課後。僕たちはいつもの旧演習場ではなく、学園近くのテラス席に集まっていた。
「終わった……。終わったんだ……。これでようやく、マナの波形を見なくて済む……」
キースが机に突っ伏し、抜け殻のようになっている。隣では、ティファが安堵のため息をつきながら、冷たいエール(ノンアルコール)を口にしていた。
「お疲れ様です、キースさん。私も、リンネ様に教えていただいた『気圧のイメージ』がなければ、今頃どうなっていたか……」
「……試験、完了。結果、概ね良好。脳の冷却、推奨」
エリザが淡々と、けれどどこか満足げにアイスティーを啜っている。
「本当にお疲れ様、みんな。このところ実験続きだったし、夏休みくらいは物理も魔法も忘れて羽を伸ばそうか。……僕も少し、演算を休みたくなってきた」
僕がそう言うと、隣に座っていたユーリが、待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「それなら名案があるわ! アルベール家が南南西の海に所有している離島……『アクアマリン島』に行かない? 誰にも邪魔されないプライベートビーチがあるのよ!」
「離島、か。いいな……。でも、俺みたいな平民が行ってもいいのか?」
「何を言ってるのよ、キース。これは『チーム・リンネ』の決起集会なんだから! ね、リンネ、いいでしょう?」
ユーリのキラキラした瞳に抗う術を、僕は持っていない。
「……いいよ。みんなで行こう。手配は父様に頼んでおく」
「やったー! そうと決まれば、女の子たちは準備があるわよね? ティファ、エリザ! 明日は王都のブティックで水着を買いに行くわよ!」
「えっ、私もですか!? は、はい、わかりました!」
ティファが頬を赤らめて頷く。エリザは一瞬だけ僕を見て、短く応えた。
「……水着。水中における抵抗の最小化。……了解」
◇◇◇◇◇
翌日。華やかなブティックの試着室エリアは、男子禁制の熱気に包まれていた。
「見て見て、ティファ! このフリルたっぷりの水着、絶対リンネの好みだと思うの!」
「ユ、ユーリさん……それは少し、露出が過ぎませんか? 私、こういうのは初めてで……」
ティファが選んだのは、清楚な白のワンピースタイプだ。けれど、鏡に映る自分の体のラインに、彼女は恥ずかしそうに肩をすくめている。
「いいのよ! 普段、あの人は数式と無機質な金属ばっかり見てるんだから、こういう時に『女の子』を意識させないとダメなんだから。ねえ、エリザはどう思う?」
試着室のカーテンが開き、エリザが出てきた。彼女が選んだのは、機能性を突き詰めたような緑の競泳風ビキニ。無機質でありながら、その完成された肢体はどこか彫刻のような美しさを放っている。
「……動作に、支障なし。リンネの反応……予測不能。でも、嫌いでは、ないと思う」
エリザの無機質な言葉に、ティファが意を決したように尋ねた。
「あの……お二人から見て、リンネ様ってどういう存在なんですか? 私にとっては、雲の上の天才で……でも時々、すごく寂しそうな目をする気がして」
その問いに、ユーリが少しだけ真面目な顔をした。
「……リンネはね、全部一人で背負おうとするの。あの子の頭の中には、私たちには見えない『未来』が見えているみたいで。だから、私はあの子を現実に繋ぎ止めておきたい。美味しいものを食べさせて、甘やかして、あの子を『ただの男の子』にしてあげたいのよ」
「……私は、彼に救われた」
エリザが静かに口を開く。
「……彼の理論は冷徹。でも、その奥にある意志は温かい。私は、彼の『部品』ではなく、彼の隣に立つ『個』でありたい。……水着も、そのための武装」
「武装、ですか……エリザらしいですね」
ティファは少しだけ微笑み、鏡の中の自分を真っ直ぐに見つめた。
「私も……ただ守られるだけじゃなくて、リンネ様に『私』という存在を見てほしい。今回のバカンス、精一杯、羽を伸ばしてもらえるように頑張ります!」
「よし、決まりね! 最高の夏にするわよ!」
カーテンの向こうで繰り広げられる、僕についての熱い(?)作戦会議。
そんなこととは露知らず、僕は自宅の書斎で、離島までの最短航路と、海水の塩分濃度による光の屈折率の変化を計算していた。
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