落第の淵と、放課後の物理講義
夏休みを目前に控えた学園は、いつになく殺伐とした空気に包まれていた。
理由はただ一つ。進級や夏休みの自由時間を左右する「期末魔導理論試験」だ。
僕たちは図書室の片隅で、絶望に打ち震える仲間たちの救済に当たっていた。
「……無理だ。こんな、何百年も前の古臭い魔力循環式なんて覚えてられるかよ」
長身を机に投げ出し、キースが深いため息をついた。
彼の前には、羊皮紙に書かれた複雑怪奇な「古典魔導式」が並んでいる。
「私もです……。風の指向性を高めるための『三層回旋の呪文』が、どうしても頭の中でこんがらがっちゃって……。リンネ様、私、もうダメかもしれません……」
ティファも半泣き状態で、参考書に突っ伏している。
一方で、僕の隣に座るエリザは、一切の迷いなくペンを動かしていた。
「……設問、終了。答え、導出済み。……次を、貸して」
彼女のペン先は正確無比だ。
僕が教えた「物理的なエネルギー計算」を魔法式に置換するコツを、彼女は最も早く理解していた。
「キース、ティファ。そんな暗記に頼るからいけないんだ。魔法だって、結局はエネルギーの変換なんだから、もっと単純に考えればいい」
僕は二人の間に入り、白紙の羊皮紙に図を書き込んだ。
「いいかい。この『三層回旋』っていうのは、物理で言えば単なる**『流体の渦』**の維持なんだ。呪文を唱えるんじゃなく、中心に低気圧を、外周に高気圧を作るイメージを持てばいい」
「……低気圧? 何だそれ、魔法の用語か?」
キースが顔を上げる。僕は苦笑いしながら説明を続けた。
「空気の密度の差だよ。ティファ、君は風を『吹かせる』んじゃなくて、風が『流れる道』を気圧差で作るんだ。そうすれば、無駄な魔力を使わずに、勝手に風が収束していく」
「風が……勝手に……? あ、本当だ。イメージすると、すごく楽に魔力が動く気がします!」
ティファの瞳に希望の光が戻る。僕はそのままキースの方を向いた。
「キース、君の光魔法も同じだ。この『光輝拡散の式』なんて覚える必要はない。光は直進するもの。それを遮るものがなければ、どこまでも届く。君がやるべきなのは、マナの密度を均一にして、光の屈折を防ぐことだけだ」
「……なんだ。そう考えると、あのクソ長い詠唱も、ただの『設定変更』みたいなもんか」
「その通りだよ」
僕のアドバイスを聞きながら、ユーリが甲斐甲斐しく僕の口にカットフルーツを運んでくる。
「はい、リンネ、あーん。脳を使うと糖分が必要よ。キースたちに教えるのもいいけど、自分の体も大切にしてね?」
「……ユーリ、今は勉強中だ。……ん、美味しいけど」
ユーリの過保護っぷりに苦笑しつつも、周囲の生徒たちが僕たちのテーブルを羨望の眼差しで見ていることに気づく。「学園の四強」を従え、淡々と理論を解く美少年の姿は、彼らにはどう映っているのだろうか。
***
勉強会の合間、僕はグロムを通じて軍部から届いた秘密の伝令を確認した。
「……『耐熱鏡筒。第一次試作分、完了』。……ふむ、いいペースだね」
軍部が製作しているのは、僕たちの実験を実用化するための「部品」だ。
魔導士一人の感覚に頼るのではなく、機械的に光を閉じ込め方向性を持たせる装置。これが軍に配備されれば、王国の装備一変するだろう。
「……リンネ。軍の、部品。……信頼できる?」
エリザが、感情の読めない瞳で僕を見つめた。
「部品はただの道具だよ。それを使うための『システム』と『運用思想』を持っているのは、ボクたちだけだ」
「……了解。あなたの組む世界を、私は、信じる」
エリザは短くそう言うと、再び淡々と試験対策に戻った。
「よっしゃあ! なんか、いける気がしてきたぜ! リンネ、もう一回今の『気圧』ってやつの説明、頼む!」
キースがやる気を取り戻し、ティファも大きく頷く。
平和な日常のひと時。だが、僕たちが今解いている「数式」の先には、帝国を焼き、王国の未来を切り拓く、冷徹な勝利の方程式が描かれていた。
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