第79話 満開の桜と、二人の秘密
春休みのある日、徹たち五人は上野公園へお花見に出かけます。
満開の桜、おいしいお弁当、そして気心の知れた仲間たち。
いつもの五人が過ごす、春の穏やかな一日をお楽しみください。
四月二日、木曜日。
春休みも残り少なくなった東京は、朝から気持ちのよい青空が広がっていた。三月の終わりにはまだ冷たさの残っていた風も、今では春らしい柔らかさを帯び、街を歩く人々の服装にも明るい色が増えている。
午前十一時を少し過ぎた頃、徹は春子と並んで上野駅の公園口に立っていた。
「今日はすごい人だね!」
春子が改札から出てくる人々を眺めながら、楽しそうに声を弾ませた。
「桜が見頃だからね。公園の中はもっと混んでるかもしれないよ」
「そっか。でも、お天気がよくて本当によかった!」
春子は嬉しそうに空を見上げた。淡い黄色のカーディガンに白いブラウスという春らしい服装で、肩には先日のデートでも使っていたコンパクトカメラを掛けている。
「今日も写真を撮るんだ?」
「もちろん! せっかく五人でお花見するんだもん。いっぱい撮っておきたいじゃない」
「フィルムは大丈夫?」
「予備も持ってきたよ。今日は準備万端!」
得意そうに笑う春子を見て、徹も頬を緩めた。
先週、二人で出かけたサンシャイン国際水族館でのデート以来、春子はすっかり写真を撮ることが気に入ったらしい。あの日の写真もすでに現像しており、徹の分を焼き増しして持ってきているという。
「そういえば、この前の写真、あとで渡すね」
「ありがとう。どんなふうに撮れてるか楽しみだよ」
「ふふっ。期待してて!」
春子が笑ったところで、背後から大きな声が聞こえてきた。
「おーい! 二人とも!」
振り返ると、達也が大きな鞄を肩に掛けて近づいてくるところだった。
「おはよう、達也。その荷物、ずいぶん多いね」
「おう! 今日は食い物をたっぷり持ってきたからな!」
「達也って、花見より食べる方が楽しみなんじゃない?」
春子が笑うと、達也は当然だと言わんばかりに胸を張った。
「桜を見ながら食べるのがいいんだろ!」
「それはそうだけど、全部食べられるの?」
「余裕だって!」
そんなやり取りをしているうちに、春樹とこずえも姿を現した。
「お待たせ。みんな早いね」
「俺たちも今揃ったところだよ」
徹が答えると、春樹は達也の鞄を見て苦笑した。
「達也くん、遠足にでも行くの?」
「花見だよ!」
「……遠足みたい」
こずえが小さく呟くと、春子が声を上げて笑った。
五人が揃ったところで、上野公園へ向かって歩き始めた。
公園の入口を抜けると、目の前には満開の桜が広がっていた。大きく伸びた枝には淡い桃色の花が幾重にも重なり、青空を覆うように咲き誇っている。風が吹くたびに花びらが舞い、行き交う人々の肩や足元へ静かに降り注いでいた。
「わあ、すごい!」
春子が思わず足を止めた。
「こんなにきれいに咲いてるなんて! ねえ、徹、見て!」
「見てるよ。本当にきれいだね」
「ちょっと写真撮っていい?」
「もちろん」
春子は早速カメラを取り出し、桜並木へ向けた。少し角度を変えながらファインダーを覗き、気に入った場所を見つけると嬉しそうにシャッターを押す。
「よし、撮れた!」
「春子、まだ入口だぞ!」
達也が先の方から声をかける。
「分かってるって! 今行くから!」
春子は笑いながらカメラを下ろし、徹の隣へ戻った。
その様子を見ていた春樹は、ふと二人へ視線を向けた。
徹と春子が仲のよいことは以前から知っている。けれど最近、二人の間に流れる雰囲気が少し変わったような気がしていた。
何が違うのかと聞かれれば、うまく説明できない。ただ、春子が徹に向ける笑顔も、それに応える徹の表情も、以前より柔らかく感じられるのだった。
しばらく歩いたところで、五人は桜の木の下に空いている場所を見つけた。人通りの多い道から少し離れており、枝いっぱいに咲いた花を見上げながら過ごすには申し分ない場所だった。
レジャーシートを広げると、達也が待ちきれない様子で鞄を開いた。
「よし、食おうぜ!」
「まだ座ったばっかりじゃない!」
春子が笑いながら注意する。
「朝から腹減ってたんだよ!」
「朝ご飯は食べなかったの?」
春樹が尋ねると、達也は平然と答えた。
「食ったよ」
「……そうなんだ」
春樹はそれ以上何も言わず、こずえと顔を見合わせた。
シートの上には、それぞれが持ち寄った料理が並べられていった。おにぎりやサンドイッチ、唐揚げに卵焼き。春子は母親と一緒に作ったというおかずを小さな容器から取り出し、こずえも手作りの料理を遠慮がちに差し出した。
「こずえ、これ作ったの?」
春子が卵焼きを指さすと、こずえは小さく頷いた。
「……うん。ちょっと甘いけど」
「私、甘い卵焼き好き! いただきます!」
一口食べた春子が嬉しそうに目を細める。
「おいしい! こずえ、料理上手だね!」
「……ありがとう」
こずえは照れくさそうに微笑んだ。
徹は持ってきたお茶を紙コップへ注ぎ、春子の前に置いた。
「春子、お茶いるでしょ?」
「うん、ありがとう。ちょうど喉が渇いてたんだ」
「写真、いっぱい撮ってたからね」
「まだまだ撮るよ。徹もあとで撮らせてね」
「いいけど、変な顔の写真はやめてよ」
「そんなの撮らないって!」
春子は楽しそうに笑い、徹が差し出したお茶を口に運んだ。
春樹はそんな二人を眺めながら、先ほど感じた違和感の正体が少し分かったような気がした。
二人は特別にくっついているわけでもなければ、周囲を気にしている様子もない。けれど、互いのことをよく見ていて、何気ない言葉の端々に親しさが感じられる。
隣に座るこずえも、時折二人へ視線を向けていた。
「そういえば、長浜くん」
春樹が話しかけると、徹はおにぎりを置いて顔を上げた。
「高校はどうするか、もう考えてる?」
「うん。外部受験するつもりだよ。まだ志望校を一つには絞ってないけどね」
「やっぱりね。僕も外の高校を受けようと思ってるんだ」
「春樹も?」
「うん。せっかくだから、もう少し上を目指してみたいしね」
徹は納得したように頷いた。
春樹は学年二位の成績を収めており、勉強に対しても真面目だった。普段は穏やかな性格だが、自分で決めたことには粘り強く取り組むところがある。
「お前ら二人はそうだろうなあ」
達也がサンドイッチを頬張りながら口を挟んだ。
「俺はそのまま上に行くつもりだぞ。わざわざ受験なんてしたくないし」
「内部進学でも勉強は必要だよ?」
春樹が笑うと、達也は面倒くさそうに肩をすくめた。
「分かってるって!」
「……私も、そのまま進むと思う」
こずえも静かに答えた。
「桐谷さんは?」
春樹に尋ねられ、春子は少し考えるように首を傾げた。
「私? うーん、まだ考えてなかったなあ」
これまで高校について真剣に考えたことはなかった。今の学校なら、そのまま高校へ進める。友達もいるし、慣れ親しんだ場所を離れる理由も特にないと思っていた。
けれど、徹が外部受験すると聞いて、春子は初めてその先のことを少しだけ意識した。
「徹は、もう行きたい高校があるの?」
「いくつか候補はあるよ。これから見学にも行ってみようと思ってる」
「そっかあ……」
春子は小さく頷いた。
徹が今の学校を離れるかもしれない。そう考えると、少しだけ寂しい気もしたが、まだ一年近く先の話だった。
「まあ、まだ時間はあるもんね! 私もそのうち考えよっと!」
春子はすぐにいつもの明るい笑顔へ戻り、目の前のおかずへ箸を伸ばした。
「ねえ、徹。これ食べてみて。私が作ったんだよ」
「どれ?」
「この肉巻き!」
徹が一つ口に運ぶと、春子は期待に満ちた表情で顔を覗き込んだ。
「どう?」
「うん、おいしいよ。味もちょうどいいね」
「やった! 昨日、お母さんと練習したんだ!」
「昨日も作ったの?」
「うん。徹にも食べてもらいたかったから」
春子はそこまで言ってから、少し照れくさそうに笑った。
徹も嬉しそうに微笑み、もう一つ食べようと箸を伸ばした。
そのやり取りを見て、春樹は確信に近いものを感じた。
こずえと目が合うと、彼女も何となく察したように小さく微笑んでいる。
春樹は少しだけ間を置いてから、二人へ穏やかに尋ねた。
「ねえ、長浜くんと桐谷さんって、付き合ってるの?」
突然の質問に、春子がぱちりと瞬きをした。
徹も春樹へ目を向ける。
二人は一瞬だけ顔を見合わせた。
そして、春子がくすっと笑った。
「……バレちゃったね」
「そうだね」
徹も照れくさそうに笑った。
「うん。実はバレンタインの日から付き合ってるんだ」
「やっぱり。何となく、そんな気がしてたんだ」
春樹は納得したように頷いた。
「……私も」
こずえが小さく呟く。
「えっ、こずえも気づいてたの?」
春子が驚くと、こずえは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「……何となくだけど」
その横で、達也だけが食べかけのおにぎりを手にしたまま固まっていた。
「……ちょっと待てよ」
達也は徹と春子を交互に見つめた。
「お前ら、付き合ってるって……本当に?」
「本当だよ!」
春子が笑顔で答える。
「いつから?」
「だから、バレンタインから!」
「えええっ!? マジかよ!」
達也の大声に、近くで花見をしていた人たちが何事かと振り返った。
「達也! 声が大きいって!」
春子が慌てて笑いながら注意する。
「いや、だって! 何で教えてくれなかったんだよ!」
「だって、もう少し二人だけの秘密にしておきたかったんだもん」
春子は悪びれる様子もなく答え、徹へ楽しそうに笑いかけた。
「ね?」
「うん。だから、今まで黙ってたんだ」
「何だよ、それ! 俺だけ全然気づかなかったぞ!」
「僕も今日、確かめたところだよ」
春樹が笑いながら答える。
「……でも、ちょっと怪しかった」
こずえが小さく付け加えると、春子は声を上げて笑った。
「そんなに分かりやすかったかなあ?」
「前から仲はよかったけど、最近は少し雰囲気が違ったからね」
春樹はそう言ってから、二人へ穏やかな笑顔を向けた。
「でも、おめでとう。二人とも」
「ありがとう、春樹」
「ありがと!」
「……お似合いだと思う」
こずえの言葉に、春子は嬉しそうに目を細めた。
「こずえもありがとう!」
達也はしばらく納得できない様子だったが、やがて大きく息を吐いた。
「まあ、そういうことなら、おめでとうって言っとくか!」
「何よ、その言い方!」
「いや、めでたいだろ! バンドの中でカップル誕生なんだから!」
達也が大げさに両手を広げると、五人の間に笑い声が広がった。
春子は徹と顔を見合わせ、もう一度嬉しそうに笑った。
今まで二人だけで大切にしてきた秘密が、仲間たちにも知られてしまった。それでも不思議と嫌な気持ちはなく、むしろ祝福してもらえたことが嬉しかった。
昼食を終えた五人は、食器やゴミを片づけてから不忍池へ向かった。
池の周囲にも多くの人々が集まっており、春の日差しを受けた水面にはいくつものボートが浮かんでいた。
「わあ、ボートだ!」
春子が目を輝かせる。
「ねえ、徹。乗ってみない?」
「いいよ。せっかくだしね」
徹が答えると、達也がすかさず口を挟んだ。
「おっ、二人でデートか?」
「そうだよ!」
春子が当然のように答えた。
そのあまりにも堂々とした返事に、達也は一瞬言葉を失った。
「……お前、さっきまで秘密にしてたくせに!」
「だって、もうバレちゃったんだもん!」
春子は楽しそうに笑った。
「僕たちはこの辺りを見てるから、二人で乗ってきなよ」
春樹がそう言うと、こずえも頷いた。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね!」
春子は三人へ手を振り、徹と一緒にボート乗り場へ向かった。
しばらく待ってから二人が乗り込んだのは、小さな手漕ぎボートだった。徹がオールを握ってゆっくり漕ぎ始めると、水面に小さな波紋が広がり、ボートは少しずつ岸から離れていった。
「気持ちいいね!」
春子は頬を撫でる風を感じながら、周囲を見渡した。
「うん。岸にいるときより静かだね」
「桜もきれいに見えるよ。ねえ、徹、あっち!」
春子が指さした先には、池の向こう側に続く桜並木が見えていた。淡い桃色の花が水面に映り、風に揺れるたびにその輪郭を変えている。
徹がボートの向きを少し変えると、春子は満足そうに微笑んだ。
「ねえ、徹」
「何?」
「今日、みんなにバレちゃったね」
「そうだね。春樹には驚いたよ」
「私も! でも、こずえまで気づいてたなんてね」
「達也だけは本当に知らなかったみたいだけど」
二人は顔を見合わせて笑った。
「達也の顔、面白かったなあ。でも、みんな喜んでくれてよかった」
「うん。俺も嬉しかったよ」
徹が答えると、春子は柔らかな笑顔を浮かべた。
「これからは、みんなの前でも普通にしてていいんだね」
「そうだね。でも、達也にはしばらくからかわれそうだけど」
「それくらい平気だよ!」
春子は楽しそうに笑い、もう一度水面へ目を向けた。
「ねえ、また二人でも遊びに行こうね」
「もちろん。次は俺が行き先を考えるって約束したからね」
「ふふっ、楽しみにしてる!」
春子の弾んだ声を聞きながら、徹はゆっくりとオールを動かした。
穏やかな水面を渡る風は心地よく、二人の乗ったボートは春の日差しの中を静かに進んでいった。
岸へ戻ると、達也たちが手を振って迎えてくれた。
「おーい! 楽しかったか?」
「うん! すっごく楽しかった!」
春子が笑顔で答えると、達也はにやにやしながら徹を見た。
「よかったな、徹!」
「達也も乗ればよかったのに」
「俺はいいよ。漕ぐの疲れそうだし!」
「……達也らしいね」
こずえの一言に、春樹も笑った。
その後も五人は池の周囲を散歩しながら、春子のカメラで写真を撮った。達也が妙なポーズを取って春子に笑われたり、こずえが桜を背景に少し恥ずかしそうな笑顔を見せたりと、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
午後の日差しが少し傾き始めた頃、春子が思い出したように声を上げた。
「あっ、そうだ! 最後に五人で写真撮ろうよ!」
「いいね。せっかくみんな揃ってるんだし」
徹が賛成すると、春樹たちも頷いた。
春子は近くにいた女性に声をかけ、写真を撮ってもらえるようお願いした。
満開の桜を背景に、五人が横一列に並ぶ。
「ほら、達也! もっとこっち!」
「十分近いだろ!」
「ちゃんと五人入らないと!」
春子は笑いながら達也の位置を直し、こずえを隣へ呼び寄せた。
徹が春子の横に立つと、彼女は嬉しそうに顔を向けた。
「徹、ちゃんと笑ってね!」
「春子こそ」
「私はいつでも笑ってるもん!」
「確かにね」
徹が笑うと、春子も楽しそうに笑った。
「はい、撮りますよ!」
カメラを構えた女性の声に、五人が一斉に顔を上げた。
春子は満面の笑みを浮かべ、春樹は穏やかに微笑んだ。こずえも少し照れくさそうに笑い、達也は最後まで大げさな笑顔を作っている。
徹も四人の温かな雰囲気に包まれながら、自然と頬を緩めた。
シャッターの乾いた音が、春の空気の中に小さく響いた。
「ありがとうございました!」
春子は丁寧に頭を下げ、カメラを受け取った。
「現像するの楽しみだなあ!」
「ちゃんと俺にも一枚くれよ!」
達也が言うと、春子は笑顔で頷いた。
「もちろん! みんなの分を焼き増しするね!」
夕方が近づき、五人は駅へ向かって歩き始めた。
公園にはまだ多くの花見客が残っており、桜の下からは楽しそうな笑い声が聞こえてくる。風に乗って舞い落ちた花びらが、歩道の上を転がるように流れていった。
「いやあ、今日は楽しかったな!」
達也が満足そうに伸びをした。
「達也は食べてばっかりだったけどね」
春樹が笑う。
「ちゃんと桜も見たって!」
「……おにぎりの方が見てたと思う」
こずえが小さく呟くと、春子が声を上げて笑った。
「こずえ、今日は絶好調だね!」
五人の笑い声が、賑やかな公園の中に溶け込んでいった。
徹は隣を歩く春子へ視線を向けた。
春子はカメラのケースを大切そうに持ちながら、今日撮った写真のことを楽しそうに話している。
「ねえ、徹。五人の写真、きれいに撮れてるといいね」
「きっと大丈夫だよ」
「ふふっ。現像したら、一番に見せてあげる!」
「楽しみにしてるよ」
春子は嬉しそうに微笑み、徹の顔を覗き込んだ。
「今日は本当に楽しかったね!」
「うん。またみんなで遊びたいね」
「もちろん!」
春子は元気よく頷き、少し先を歩く三人へ駆け寄っていった。
「ねえ、みんな! 次はどこに遊びに行く?」
「もう次の話かよ!」
達也が笑い、春樹とこずえも楽しそうに顔を見合わせた。
徹はそんな四人の後ろ姿を眺めながら、ゆっくりと歩みを進めた。
満開の桜の下で過ごした一日。
春子との秘密が仲間に知られ、少し照れくさくも嬉しい時間を過ごした。
春休みが終われば、いよいよ中学三年生になる。
けれど今は、そんな少し先のことよりも、目の前で楽しそうに笑っている仲間たちとの時間を大切にしたかった。
「徹! 早く!」
春子が振り返り、明るい声で呼んだ。
「今行くよ!」
徹は笑顔で答え、四人のもとへ足を速めた。
春の柔らかな風が吹き抜け、満開の桜が静かに揺れていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ついに徹と春子の交際が、春樹たちにもバレてしまいました。
驚く達也とは対照的に、何となく気づいていた春樹とこずえ。
それでも、みんなが温かく祝福してくれたことで、二人にとっても嬉しい一日になったようです。
次回からはいよいよ中学三年生。徹たちの新しい一年が始まります。
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