第67話 夕暮れのホーム
十六歳の葵に、今だからこそ歌ってほしい曲。
その答えを見つけた徹たちは、少しずつ曲を形にしていきます。
けれど、頭の中で完成していたものと、実際に誰かが歌う曲は少し違っていて――。
それから数日。
放課後の音楽室では、同じフレーズが何度も繰り返されていた。
春子のギターに、こずえのベースが重なる。達也のドラムがリズムを刻み、徹のキーボードがその隙間を埋めていく。
コンペへの参加を決めてから、四人は放課後の時間を使って少しずつ曲を作ってきた。
最初に徹の頭にあったのは、前の人生で聴いた、もっと先の時代のロックだった。
派手に音を重ねるのではなく、街で暮らす人間の何気ない日常や感情を、少し気怠さのある音に乗せる。
そこへ葵から聞いた話と、優子から聞いた高校生活を重ねた。
学校。
友達。
放課後。
電車。
仕事。
帰り道。
毎日繰り返されているからこそ、本人は特別だと思っていない時間。
けれど、十六歳の今にしか存在しない時間でもある。
そのイメージが固まってからは、止まっていた歌詞も少しずつ形になった。
「一回止めよう」
徹が鍵盤から手を離す。
ほぼ同時に演奏が止まった。
「どう?」
春子がギターを抱えたまま聞いてくる。
「今の方がいい。最初よりまとまってきた」
「私もそう思う」
こずえも小さく頷いた。
春子は譜面の横に置かれた歌詞を手に取った。
「歌詞はこれで完成?」
「たぶん」
「たぶん?」
「実際に歌ってみないと分からないところもあるから」
「でも、私は好きだよ」
春子はもう一度、歌詞へ目を落とした。
「なんか、葵ちゃんの一日を横から見てるみたい」
「それなら狙い通りかな」
徹は少しだけ安心した。
東京の華やかさを書きたかったわけではない。
芸能人としての葵だけを書きたかったわけでもない。
学校帰りの駅。
友達と別れ、一人で電車を待つ時間。
夕暮れのホームから見える東京の街。
そこから仕事へ向かう日もあれば、そのまま帰る日もある。
歌手・如月葵ではなく、一人の十六歳として過ごしている時間。
そこから曲のタイトルも自然に決まった。
『夕暮れのホーム』
少し寂しく、それでも暗くはない。
徹自身も気に入っていた。
「そろそろ一回、ちゃんと歌入れてみない?」
達也が言った。
「そうだな」
徹は少し離れた場所を見る。
「プォー……」
何とも頼りないサックスの音が響いた。
春樹が楽器から口を離す。
「……何?」
「いや」
「今、絶対僕のこと見たよね?」
「今回は女性の声で聴きたいんだよ」
「だったら最初から僕を見る必要ないじゃん」
「確かに」
「認めるなよ」
達也が吹き出した。
「でも、誰に頼むの?」
こずえの言葉に、四人が少し考える。
最初に口を開いたのは春子だった。
「美奈子は?」
「佐々木?」
「うん。サーチライトの」
佐々木美奈子。
徹たちと同じ二年生で、軽音楽部のバンド「サーチライト」のボーカルを担当している。
歌うことが好きで、軽音楽部の中でも歌は上手い。
何より、声の高さや響き方が葵に少し似ている。
「確かに美奈子なら、葵が歌った感じも想像しやすいか」
「でしょ?」
話はすぐに決まった。
美奈子はサーチライトのメンバーと話していた。
「美奈子、ちょっといい?」
春子が声をかけると、美奈子が振り返った。
「何?」
徹は持っていた譜面を差し出した。
「俺たちが作ったオリジナル曲なんだけど、デモで歌ってほしいんだ」
「歌えばいいの?」
「うん」
「いいよ」
「……早いな」
「だって歌うの好きだもん」
美奈子は当たり前のように答え、譜面を受け取った。
「『夕暮れのホーム』?」
「うん」
「へえ。どんな曲?」
「今から合わせてみる?」
「やる」
返事まで早かった。
さっそく五人で合わせてみることになった。
徹が簡単に曲の流れを説明し、美奈子が歌詞を確認する。
そして演奏が始まった。
春子のギター。
こずえのベース。
達也のドラム。
徹のキーボード。
そこへ初めて女性の声が入る。
(……やっぱり違うな)
徹は鍵盤を弾きながら思った。
頭の中で想像していたものに、一気に近づいた。
ところが、途中で美奈子の歌がわずかに遅れた。
そのまま最後まで歌い終える。
「どう?」
春子が尋ねた。
美奈子はすぐには答えず、歌詞の一部分を指で示した。
「ここ、ちょっと歌いにくいかも」
「歌いにくい?」
徹が近づく。
「うん。言葉が多いっていうか……メロディに無理やり入れてる感じがする」
「そこか……」
自分で仮に歌っていたときには、それほど気にならなかった。
春子も歌詞を覗き込む。
「言われてみれば、私もここちょっと引っかかってた」
「だったら先に言ってよ」
「歌が入るまで分からなかったんだもん」
「まあ、それは俺もだけど」
徹は鉛筆を取った。
言葉を一つ削る。
だが、それだけでは意味が少し変わる。
「こっちの言い方なら?」
「歌ってみる」
美奈子がその部分だけ口ずさむ。
「さっきよりいい。でも最後がちょっと苦しい」
「じゃあメロディも変えるか」
そこから再び曲作りが始まった。
徹がメロディを少し変え、春子がギターを合わせ直す。
達也とこずえもそれに合わせる。
美奈子がもう一度歌う。
「今のは?」
「うん。歌いやすい」
「じゃあ、これでいこう」
徹は修正した歌詞を見つめた。
自分では完成したつもりだった。
けれど、実際に誰かに歌ってもらって初めて分かることがある。
曲は譜面の上だけで完成するものではないらしい。
その日の夜。
徹は葵へ電話をかけた。
『もしもし?』
「葵?」
『徹くん。どうしたの?』
「曲、だいぶ完成した」
『本当に!?』
予想通り、声が一気に大きくなった。
「まだデモができてないけど」
『聴きたい!』
「まだダメ」
『なんで?』
「ちゃんと録ってから」
『じゃあ早く録ってよ』
「そのことで頼みがあるんだよ」
『何?』
「木崎さんに聞いてほしいんだけど、スタジオ、空いてる時間に使わせてもらえないかな」
『スタジオ?』
「学校でも録れなくはないけど、コンペに出すならちゃんとしたデモにしたいんだ」
『分かった。聞いてみる』
「頼める?」
『もちろん。私の曲なんだから』
「まだ葵の曲になるって決まってないけどな」
『細かいなあ』
電話の向こうで葵が笑った。
返事が来たのは翌日の夜だった。
『徹くん、いいって!』
「本当に?」
『うん。空いてる時間なら使っていいって。足立さんもいてくれるって言ってた』
「助かる」
『その代わり』
「何?」
『できたら私にも聴かせてよ』
「まあ、それはいいけど」
『やったね』
また嬉しそうな声が返ってきた。
数日後。
徹たち五人と美奈子は、都内のスタジオを訪れた。
前に一度来ている徹たちとは違い、美奈子は入口から落ち着かない。
「……ねえ」
「何?」
「デモって、こんなところで録るの?」
「まあ……今回は」
「普通、学校とかじゃないの?」
「使わせてもらえることになったから」
「誰に?」
「知り合い」
「どんな知り合いよ」
美奈子が怪訝そうな顔をする。
コンペのことは話していない。
DIGITAL FANTASYのオリジナル曲のデモを録る。
美奈子が知っているのは、それだけだった。
「来たね」
声をかけてきたのは足立だった。
「今日は俺がいるから、分からないことがあったら聞いて。まずは一回やってみようか」
「よろしくお願いします」
徹たちが頭を下げ、美奈子も慌てて続いた。
準備を終え、録音が始まる。
春子のギターが鳴る。
こずえのベース、達也のドラムが続き、徹も鍵盤へ指を落とした。
そして美奈子が歌い出す。
学校で合わせたとき以上に、徹の頭の中に景色が広がった。
夕方の東京。
制服姿でホームに立つ十六歳。
さっきまで友達と笑っていたのに、一人になれば少しだけ静かになる。
電車が来れば、また次の場所へ向かう。
徹が書きたかったものが、ようやく音になっている。
最後まで演奏を終える。
「どうでした?」
徹がガラスの向こうの足立を見る。
足立はすぐには答えなかった。
「思ったよりロックだね。なかなか面白い」
その言葉に、徹は少し安心する。
しかし足立は続けた。
「ただ、ちょっと音が多いかな」
「音が多い?」
「うん。みんな自分の音をちゃんと出そうとしてるから、歌が少し埋もれてる」
徹は黙った。
足立は責めるような言い方ではなかった。
「これ、バンドそのものを売り込むためのデモじゃないよね?」
「はい」
「だったら、一番聴かせたいものを決めた方がいいと思う」
足立が美奈子の方を見る。
「今回は歌じゃないかな」
言われて、徹は初めて気づいた。
四人で曲を作っているうちに、いつの間にか自分たちの演奏を格好よくすることも考えていた。
けれど、この曲はDIGITAL FANTASYが歌うための曲ではない。
葵に歌ってもらうための曲だ。
「……春子」
「うん。私も少し抑える」
「俺もだな」
達也もすぐに理解した。
「キーボードも減らしてみる」
音を削る。
春子のギターを少し抑え、達也もドラムを整理する。
徹も鍵盤で埋めていた部分をいくつか消した。
こずえのベースは歌を支えることを意識する。
「もう一回お願いします」
「うん。やってみよう」
二度目の録音。
音が減った。
それなのに、徹には一度目より曲が大きく聞こえた。
美奈子の声が前へ出ている。
歌詞が聞こえる。
十六歳の日常が、さっきよりはっきり見える。
演奏を終えた瞬間、春子が徹を見た。
徹も頷く。
自分たちでも分かった。
こっちだ。
「今の方がいいね」
足立も笑った。
「音を足せばいいってわけじゃないんですね」
徹が言う。
「必要な音ならね。でも、何を聴かせたいのか分からなくなるくらいなら、ない方がいい音もあるよ」
徹はその言葉を頭の中で繰り返した。
曲を作る。
今までなら、メロディと歌詞ができて、演奏できれば完成だと思っていた。
けれど、人に歌ってもらう曲は、それだけではない。
誰の声で、何を伝えたいのか。
そのために音を足すこともあれば、削ることもある。
まだ知らないことばかりだった。
さらに何度か録り直し、ようやく一本のデモテープが完成した。
ケースには徹が手書きでタイトルを書く。
『夕暮れのホーム』
「終わったー」
美奈子が大きく息を吐いた。
「ありがとう。助かったよ」
「いいよ。楽しかったし」
美奈子は完成したテープを見ながら笑う。
「この曲、結構好き」
「本当?」
「うん。最初はもっと暗い歌かと思ったけど、歌ってみたら違った」
それは徹にとって嬉しい言葉だった。
哀愁は欲しかった。
けれど、悲しい曲を作りたかったわけではない。
十六歳の日常は、まだ続いている。
「結構いいんじゃない?」
春子が満足そうに言う。
「俺もそう思う」
達也も自信ありげに頷いた。
春樹も完成した音を聴いて、
「僕が歌わなくて正解だったね」
「最初から誰も頼んでない」
「分かってるよ」
みんなが笑った。
徹は完成したテープを手に取った。
最初に考えていたものとは少し違う。
美奈子に歌ってもらったことで歌詞が変わった。
足立の言葉で、アレンジも変わった。
自分一人では気づかなかったことがいくつもあった。
それでも。
いや、だからこそ。
今、手の中にあるものは、最初に思い描いていた曲よりずっといい。
相手はプロの作家たちだ。
これが選ばれる保証など、どこにもない。
それでも徹は、ケースに書かれたタイトルを見つめた。
(これなら、勝負できるかもしれない)
十六歳の葵に、今だからこそ歌ってほしい曲。
自分たちなりに出したその答えが、『夕暮れのホーム』だった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
『夕暮れのホーム』、ようやく完成しました。
美奈子に実際に歌ってもらったことで見つかった歌詞の違和感。
そしてスタジオでは、足立から「何を一番聴かせたいのか」という新しい視点を教えられました。
音を足すだけではなく、ときには削る。
徹にとって今回は、曲を作ること以上に「誰かに歌ってもらう曲」の難しさを知る経験になったのかもしれません。
プロの作家たちも参加するコンペに挑む『夕暮れのホーム』。
果たして、この曲はどんな結果を迎えるのでしょうか。
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