第65話 なんでこんなことに
春子との日曜日を終え、いつもの学校生活へ戻った徹。
そんな徹たちDIGITAL FANTASYに、思いがけない話が舞い込みます。
気がつけば五人がいたのは、いつもの音楽室ではなく……。
春樹の歌声が、スタジオの中に響いていた。
その声を支えるように、春子のギターが重なる。
達也のドラムが一定のリズムを刻み、こずえのベースが低い音で全体を支える。その中で、徹は鍵盤の上を走らせていた指を止めることなく、ちらりと正面へ視線を向けた。
学校の音楽室とは、何もかもが違う。
壁には見慣れない機材が並び、何本ものケーブルが床を這っている。マイク一つを取っても、軽音楽部で使っているものとは明らかに違った。
そして、ガラスの向こう。
木崎が椅子に腰掛け、じっと五人の演奏を聴いている。
今、DIGITAL FANTASYが演奏しているのは『もしあの時』。
文化祭のために五人で作った、初めての歌入りのオリジナル曲だった。
それをなぜか今、都内の本格的なスタジオで、プロデューサーの木崎に聴かせている。
(……なんでこんなことになったんだ?)
鍵盤を弾きながら、徹は数日前の出来事を思い返していた。
始まりは、一本の電話だった。
「徹くん? 今、大丈夫?」
「大丈夫だけど。どうした?」
電話の相手は葵だった。
仕事の話でもするのかと思ったが、葵が口にしたのは予想外の名前だった。
「この前ね、木崎さんと話してたの」
「木崎さんと?」
「うん。それで徹くんの話になって」
「なんで俺の話になるんだよ」
「いいじゃない、別に」
電話の向こうで、葵が少し楽しそうに言う。
「それでね。徹くんがバンドでオリジナル曲を作ったって話したの」
「ああ、『もしあの時』?」
「そう。文化祭で歌ってた曲」
葵は文化祭の最後に間に合い、『もしあの時』を最初から最後まで聴いている。
「そしたら木崎さんが、ぜひ一度聴いてみたいって」
「……木崎さんが?」
徹は思わず聞き返した。
木崎とは、それまでにも二度会ったことがあった。
ただ、まともに話をしたのは、十二月に渋谷のタワーレコードで偶然会ったときが初めてだった。
葵のセカンドシングルについて話し、その流れで、十六歳の葵だからこそ歌える曲があってもいいのではないかと、自分なりの考えを口にした。
そのとき木崎から「いいセンスしてるな」と言われはしたものの、まさか自分たちの曲まで聴きたがるとは思っていなかった。
「それで、今度スタジオが空いてる時間に演奏してみないかって。どうする?」
「どうするって言われても……俺一人じゃ決められないよ」
「じゃあ、みんなに聞いてみてよ」
「分かった」
翌日。
徹は軽音楽部の四人に、その話をそのまま伝えた。
「本物のスタジオ?」
最初に食いついたのは、やはり達也だった。
「たぶん」
「たぶんってなんだよ」
「俺だって詳しく聞いてないんだよ。木崎さんが俺たちの曲を聴きたいって」
「行こうぜ」
「早いな」
「だって面白そうじゃん」
「私も行きたいな」
春子まで即答する。
「木崎さんって、葵ちゃんのプロデューサーでしょ? そんな人が聴いてくれるんだったら、行ってみようよ」
「僕も興味あるな」
春樹も眼鏡の位置を直しながら頷いた。
「レコーディングスタジオなんて入る機会ないし、どういう設備を使ってるのかも見てみたいし、それにプロの人が僕たちの演奏をどう聴くのかも気になる」
「春樹は相変わらず理由が多いな」
達也が笑う。
「こずえは?」
徹が尋ねると、こずえは少し考えてから小さく頷いた。
「……行ってみたい」
こうして、話はあっさり決まってしまった。
そして約束の当日。
待ち合わせ場所へやってきたのは、木崎本人ではなかった。
「長浜徹くん?」
「はい」
「木崎のアシスタントをしている足立です。今日は迎えに来ました」
三十歳前後に見える男が、丁寧に頭を下げた。
その後ろには車が停まっている。
「みんなも乗って。機材は後ろに積めるから」
五人は顔を見合わせた。
「なんか急に本格的になってきたな」
達也が小声で言う。
徹も同感だった。
ただ曲を聴いてみたい。
葵から聞いたときは、それくらいの話だと思っていた。
ところが車に乗せられ、着いた先は自分たちが普段使っている音楽室とは別世界だった。
そして今に至る。
徹は意識を演奏へ戻した。
春樹の声は文化祭の頃より低い音域が安定してきたものの、まだ完全に落ち着いたわけではない。それでも、以前の高い声を無理に追いかけることはなくなっていた。
曲が終盤へ入る。
徹のキーボードが音を重ね、春子のギターがそこへ絡む。
『もしあの時』は、この時代の曲だけを参考にして作ったものではない。
徹の中には、前の人生で何十年も聴いてきた音楽が残っている。
意識して未来の曲を真似したわけではない。それでも、コードのつなぎ方や曲の展開、メロディの作り方には、どうしてもその感覚が混ざっていた。
最後の音が消える。
スタジオに静けさが戻った。
達也がスティックを下ろし、春樹が小さく息を吐く。
五人の視線が自然と木崎へ向かった。
木崎はすぐには何も言わなかった。
手元の紙へ目を落とし、何かを確認している。
やがて顔を上げた。
「演奏は、まだ少し荒いかな」
「……やっぱりそうですよね」
春子が苦笑する。
「でも、それはこれからでいいと思うよ。まだ中学生だし、バンドを始めてそんなに長いわけじゃないんだろ?」
「はい」
「それより、曲が面白い」
徹は木崎を見る。
「コード進行が面白いね。そこからの展開も少し変わってるし、メロディにも耳に残るところがある。誰かの曲をそのまま追いかけて作った感じがしない」
木崎はそう言ってから、手元の紙へ目を落とした。
「歌詞もよくできてる。これは誰が書いたの?」
「俺です」
「曲も長浜くん?」
「元になる部分は。みんなで合わせながら変えたところもありますけど」
「そうなんだ」
木崎はもう一度、五人の方を見る。
「いいね。俺はこういうの、結構好きだよ」
春子の表情が緩み、達也も嬉しそうに春樹の肩を軽く叩いた。
文化祭のとき、五十嵐にも曲について似たような反応をされた。
やはり、この時代の人間が聴けば、どこか違って聞こえるのだろう。
「長浜くん」
「はい?」
「せっかくだし、もう一曲作ってみない?」
「新しいオリジナルですか?」
「新しい曲ではあるんだけどね」
木崎が穏やかな表情のまま続ける。
「今度は、君たちが歌う曲じゃないんだ」
「え?」
「葵の次のシングル」
一瞬、誰も言葉を発しなかった。
「……はい?」
最初に反応したのは達也だった。
「葵ちゃんの曲って……あの葵ちゃんですよね?」
「うん。その葵」
「マジで?」
春子も驚いた顔で木崎を見る。
「私たちが、葵ちゃんの曲を作るんですか?」
「候補の一つとしてね」
木崎はそう言うと、五人にも分かるようにゆっくり説明を始めた。
「次のシングルに向けて、これから何人かの作家さんに曲をお願いすることになってるんだ。その中に、君たちも一曲出してみないかなと思って」
「何人かって……」
春樹が恐る恐る尋ねる。
「プロの作曲家もいるんですか?」
「もちろん」
「……僕たちが一緒に参加していいんですか?」
「そこは気にしなくていいよ。曲を作るのに年齢は関係ないから」
木崎は笑みを浮かべたまま答えた。
「ただ、出してもらったからって採用を約束できるわけじゃない。そこは他の作家さんたちと同じ条件になる。それでもよければ、やってみない?」
さっきまで驚いていた五人の空気が、少しだけ変わった。
「締め切りは一か月くらい先。作詞も作曲も含めて、完成したらデモテープにして持ってきてもらえればいいよ」
「一か月……」
徹は呟いた。
三年生を送る会の準備もある。春樹はサックスを始めたばかりだし、当然、学校もある。
余裕があるとは言えない。
だが。
「面白そうじゃない」
隣から声がした。
春子だった。
「せっかく声かけてもらったんだよ。やってみようよ」
「俺もやる」
達也がすぐに続く。
「プロと同じところに曲出すなんて、普通できないだろ」
「僕もやってみたい。採用されるかどうかは別として、曲を作る勉強にもなると思う」
春樹も乗り気だった。
こずえも静かに頷く。
「……私も」
四人の視線が徹へ集まった。
どうやら、答えは決まっているらしい。
徹は木崎を見た。
「分かりました。やってみます」
「うん。楽しみにしてるよ」
木崎はそれ以上、大げさなことは言わなかった。
プロの作家たちと同じコンペに、自分たちの曲を出す。
それだけで、今の五人には十分すぎる話だった。
話が終わり、五人がスタジオを出ようとしたときだった。
「長浜くん」
木崎に呼び止められ、徹は振り返った。
「はい?」
「この前、タワーレコードで話したこと、覚えてる?」
「もちろんです」
「十六歳の葵が歌うからこそ、意味のある曲があってもいいって話」
「……はい」
木崎は穏やかに笑った。
「あの話、俺は結構好きだったんだ」
「そうなんですか?」
「うん。だから今度は、長浜くんなりに考えてみてほしい」
木崎は少しだけ間を置いた。
「十六歳の葵に、どんな歌を歌わせたいか」
徹は何も言わず、木崎を見つめた。
「正解なんてないからさ。自由に作ってみてよ」
「……分かりました」
「楽しみにしてるよ」
スタジオを出ながら、徹は小さく息を吐いた。
十六歳の葵が歌うから意味のある曲。
言うだけなら簡単だった。
だが今度は、自分がそれを形にする側になった。
ほんの数日前まで、自分が考えていたのは春子とのことだったはずなのに。
今度は、プロの作家たちと同じ場所へ曲を出すことになった。
やはり人生は、思った通りには進んでくれないらしい。
最後までお読みいただきありがとうございます。
文化祭のために作った『もしあの時』が、思わぬ形で木崎の耳に届くことになりました。
そして舞い込んできた、葵の次のシングルを決めるコンペへの参加。
プロの作家たちと同じ場所へ、中学生の五人が曲を出すことになります。
「十六歳の葵に、どんな歌を歌わせたいか」
以前は言葉にするだけだった徹ですが、今度は自分でその答えを形にしなければなりません。
果たして五人は、どんな曲を作るのでしょうか。
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